2024-12-25 |
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・サンタさんがきてくれた子どもたち、よかったです。くるかな、くるかな、と待ちわびている間、ずっと「たのしみ」という贈りものをもらってましたよね。大人になってしまったぼくらは、サンタさんにもらえるプレゼント以上に、その前の日々、まだかなまだかなと待っている間の「たのしみ」のことが、うらやましくてなりません。できることなら、もれなく、あらゆる子どもたちが、その「たのしみ」と、プレゼントとの、両方を、もらえるようになるといいなと願ってやみません。この願いは、ことばで言うとかんたんそうですが、それをほんとうにするには、なんだかむつかしそうです。
・それはそうと、お話は変わりますが。「うま過ぎる」とか「うれし過ぎる」という表現が流行してましたよね。ほんとは「うまい」「うれしい」でいいはずですが、これを強調したいためにあえて「過ぎる」を付ける。「過ぎる」を付けたい気持ちもわかるのですが、ほんとうは何事も「過ぎない」ほうがいいわけです。「吾唯知足」(われただたるをしる)って、ひとつの憧れの境地じゃないですか。だとしたら、じぶんの日々の暮らしから「過ぎる」を減らすように気をつけるのはどうかな、と。クリスマスの日に思いついたわけです。たとえば、おいしいものを食べるのはいいのですが。それを食べ「過ぎる」のをやめるようにする。そしたら、カロリーを摂り「過ぎる」のも止まるでしょう。考え「過ぎる」とか、働き「過ぎる」とかも含め、じぶんなりの「過ぎる」について考えてみようかな、と。「過ぎる」くらいの強度がないと満足しないというのは、おそらくちょっとなにかが鈍ってるのかもしれません。いままでお菓子を5つ食べ「過ぎていた」としても、ほんとは4つとかでやめたら、たぶん「満足」ですよね。で、食べ「過ぎていた」分を、カウント(メモ)しておく。そうすると、一年間で「過ぎる貯金」がけっこうできそう。いろんな「過ぎていた」分を貯めたら、どこかのだれかに「たのしみ」や「プレゼント」を贈ってあげられるような「小さいサンタさん」になれるんじゃないか。そんなことを、ケーキ食べ過ぎの夜に空想しました。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。「つもり貯金」じゃなく「すぎる貯金」。あり得るような?