2024-11-24 |
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・いま神田のTOBICHIで志村ふくみさん100歳記念の「100の彩ノ種」という展示と販売の催しをやっています。ぼくは、昨日の株主ミーティングの終了後に、ちょっとのぞいた程度なのですが、展示されている着物におどろいていたのでした。え?と、なんだかわからない新鮮さがあって、そのわからなさを立って考えていたら、会場にいたアトリエシムラの方が、「おもしろいでしょう。この部分だけ布が横なんです」と教えてくれたのでした。着物は色のちがう大きな布を縫い合わせて仕立てた洋風にいえばパッチワークのつくりなのですが、そのうちの浅葱色の布だけ、織りの目が横なのです。着物に仕立てているのに、わざと織りの目を揃えてない。「先生ご本人にしかできません」と付け加えてくれました。ほんとにそうなんです、一部分だけが遊んでいるせいで、やわらかで落ち着いた暖色系の着物全体のトーンに、新しい物語ができてしまうんですよね。たしかに、染めて織って仕立てる「ご本人」なら、こんな物語を誕生させることも自由なんです。
なんか、いまの時代の「商品」って、「お客さまのお望みは、こうですか?こうですか?」と、つくり手が歩み寄っていくのが当然みたいになってます。もちろん、「このよさは、作者にしかわからない」とか、受け手を無視したものもおもしろくはないのですが。作品をつくっている空間、表現を生み出している時間は、やっぱり作家の「自由」が占有しているはずなんですよね。だって、なんてったって、表現の「ご本人」なんですから。その「自由」さこそが、人もほしがるものだと思うのです。
TOBICHIの、けっして広くはない空間に、たった一枚だけ展示されていた着物が、なんだかとても大きなものを訴えかけてくれました。いま100歳の志村ふくみさんが、いつごろ織ったものか、その場でぼくは聞かなかったのですが、やっぱり、大事なのは「自由」なんだぞと感じていました。着物は、絵画などとちがいますが、そこにあると、その場の空気をすっかり変えてくれます。いまなら、まだ、神田のTOBICHIで見られるはずですよ。
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