糸井 |
いやあ、こないだはどうも。
こんな暮らしだから、
最近は、しょっちゅう会っていますけど・・・。
(※インパク準備中による頻繁なミーティング)
ただ、荒俣さんがウェブに夢中になっている、
ということを聞いたのは、わりと最近なんです。
荒俣さんと言うと、ぼくのなかでは、まあ、
グーテンベルクの申し子みたいなところがある。 |
荒俣 |
ええ。 |
糸井 |
あれだけこう・・・何て言うんだろう?
ほとんど、フェティシズムに近いような感じで
本を愛してきていた人でしょう?
そんな人が、インターネットに関して
かなり強い興味を持っているとうかがいまして、
そうやって、本を愛しながらも
インターネットが好きな人もいるんだよなあ、
という感想を、それ聞いた時にはまず持ちました。
一般的な話をすると、ひとつフェチがあると、
それ以外を否定する感覚があるじゃないですか。
ひとつのパイを分割するような、
ゼロサム的な世界に入りがちで・・・ |
荒俣 |
はい。 |
糸井 |
でも、荒俣さんがインターネットにのめりこむ
その自由さを聞いたら、
ものすごくうれしくなりました。
その自由さがあっちこっちにあったら、
もっと、本の世界にもウェブの世界にも
いいんじゃないかなあと思っているんです。
メディアの分類の垣根を超える代表者として
荒俣さんのことぼくは見ているんだけど・・・
パソコンへの抵抗は、なかったでしょうか? |
荒俣 |
おおもとのところから話しちゃいますけど、
本が好きというのは、
もうそれこそ子どもの時からで、
あの「ブック」というかたちが
いちばん大好きで・・・。
だいたい、それを抱いて寝ていたくらいですので。 |
糸井 |
(笑)そんなに、好き! |
荒俣 |
買った本があると、うれしくて抱きました。
・・・ま、ふつうの人は18歳くらいになると
女の人を抱いて寝るようになるんですけれども、
私は、その・・・ず〜っと、本を(笑)。 |
糸井 |
わははは。 |
荒俣 |
なんかだいたいその頃のぼくは、
「三歳にして心朽ちたり」
という中国の熟語が、とても好きで・・・。
どうせ世の中なんて大したことはないのだから、
せめてくだらないことに拘泥して生きていこう、
という一種のあきらめの境地があったんですね。 |
糸井 |
(笑)ほおー。おもしろくなってきたっ。 |
荒俣 |
それが好きで、そのあきらめの境地に達さないと、
なかなか本を愛したり買ったりできないんですよ。
と言うのは、本よりおもしろいことなんて、
どう考えても世の中にはいっぱいあるのですから。
僕が本読んでる時、みんなはスポーツをやったり
連れ立ってハイキングに行ったり、合コンしてる。
そいつらのほうが、そりゃあ絶対楽しいと思う。
そこであえて本にこだわろうとすると、
西行や芭蕉のような心境にならないと、
なかなか、そうは思えない(笑)。 |
糸井 |
「朽ちたあ」と思わないと。(笑) |
荒俣 |
そう。
「朽ちた」って思わないと・・・。
特に、本フェチみたいな人が
本を買おうと古本屋に行くと、だいたい高いし、
2万か3万だみたいな本を買う時は、
もうこれは、大変ですよっ。 |
糸井 |
いやあ、命がけですよねえ。 |
荒俣 |
(笑)はい。もう命がけ。
その時にまわり見わたせば・・・
2万か3万くらいあったら、それこそ、
どっかでおいしいものが食べられたり、
教習所で車の運転をできたりするじゃないですか。 |
糸井 |
うん。 |
荒俣 |
そういう使いかたに比べてみると、
本を買うよりもそっちのほうが、
絶対いいに決まってるんですよ。
本を買って、ただ自分が喜んでいるだけで、
両親はぜんぜん喜ばずに、しかも、
「こんなにすごい本持ってるよお」
って見せたって、女の子は絶対に寄ってこない。 |
糸井 |
ははは(笑)。寄ってこないですね。 |
荒俣 |
そしたら、運転免許を持ってる男の方が
絶対に効率いいわけです。
そうなると、そこで本を買っちゃう自分に
どうやって言いわけをするかと言うと、ですね。
「持ってたものがスリにすられたと思って」
「悪い女にだまされたと思って」
「火事になって家が燃えちゃったと思って」
・・・で、買おう!というようなところで
だんだんエスカレートさせて、
自分をなぐさめるしかなくなるわけで。 |
糸井 |
あははは(笑)。いいなあ、それ。うん。 |
荒俣 |
そういう言い訳が最後はとうとう年代を超えて、
「第二次世界大戦に遭遇して、
東京空襲に遭ったと思って、この本を買おう」
と自分を言いきかせていたんだけど、
そのへで小松左京が『日本沈没』を書いたから
これはちょうどいいなあと思って、
「小松左京の言うとおり日本が沈没したと思えば、
何を買ったって、ぜんぜん惜しくないぞ」と。
隣の人間がモテて、こっちがモテてなくても、
どうせ日本が沈没しちゃったら、
どちらに転んでもおんなじだ・・・(笑)。 |
糸井 |
(笑)そうですよ! |
荒俣 |
で、そう考えて本を買うようになったり、
本にこだわるようになっていったので、いつしか
「いろいろなものを諦めて本を買う」
という仕組みになっていったんですけども、
そうやって集めていたら、
ひどいことがわかっちゃったんですよ。 |
糸井 |
え? 何ですか? |
荒俣 |
世の中の本は、だいたい、
そんなに大したものがないというのが
わかっちゃったんです。これはコワい。 |
糸井 |
おお!
その世界に入ったあとでまた戻っちゃったんだ。 |
荒俣 |
これがコワいところで、以前は
芥川龍之介の初刊本なんか喜んで買ったけれども、
実はそんなのは大したことがなくて、
その前に出たものとしては、
もっといい本がぞろぞろあるし・・・。
海外に目を向けたら、目の玉の飛び出るような
いい本もあって、で、やっぱりまあ、そういうのを
どんどんエスカレートして買うじゃないですか。 |
糸井 |
(笑)やっぱり、買う! |
荒俣 |
そうしたら、そのうちにだんだんだんだん
そーいうことがバカバカしくなっていって、
「本をこんなに集めていって、
いったい何の役にたつんだろうか?」
というある種の無常感みたいなのが出るんですね。 |
糸井 |
ええ・・・ついにそこまで(笑)。 |
荒俣 |
(笑)そのために、まあ・・・長い道のりで。
生きている時の彩りだとか楽しみだとかを
捨ててきたことの代償としてわかったのが、結局、
「自分が集めていたものは大したものじゃない」。 |
糸井 |
(笑) |
荒俣 |
極端な話をすれば、本のことを考えてみると、
一番残る本って、粘土板なんですよね。 |
糸井 |
そこまで!(笑) |
荒俣 |
メソポタミアの奇形文字で作った粘土板を
天火で焼いたものは、まあ何万年も持つけれど、
紙になると耐久年数が「数百年」になって、
更に酸性紙になると100年持つかどうか・・・・。
CD−ROMになると20年かそんなもんになるとすると、
ハードウエアとしての本は、どんどん
だめな方向に行っているわけです。 |
糸井 |
なるほどー。そうか。
おもしろいなあ、それ。
もっと言ってえ!(笑)。
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