荒俣 |
本は粘土板の頃がいちばんいいわけで、
それに、デザインも、年を経つにつれて、
どんどんだめな方向に行ってるじゃないですか。 |
糸井 |
ほーほー。
最近50年とかの話じゃなくて、
「粘土板の時期に比べて悪くなる」
という荒俣さんの感覚が、おもしろいなあ。 |
荒俣 |
特に最近の電算システムなんかもそうで、
一見、よくなったようにも見えるんですけど、
ひいて考えるといろいろとだめな部分が見える。
極端な話で言えば、
コンピュータの漢字制限があるから
イメージとおりに活字に組みなおそうとしても
ほとんどできないんですよね。
それは糸井さんも本を作っていて感じますよね? |
糸井 |
うん。ほとんどできない。 |
荒俣 |
「最近の本は、最近の読者のために
優しい漢字で読みやすいようにしましたよ」
とか書いてありますけども、実は大うそで、
「読みやすくなくてもいいから、そのままやってよ」
と言ってもできないから、その方便として
読みやすくなりましたと言っているんですから。
以前はトータルなかたちとして
あんなに自由に本を作っていたのに、
そのうちに必ず校正者のようなやつが出てきて
「こちらではひらがなだけど、
こっちでは漢字だから、統一しろ」
とか言っているというか・・・。
でも、こっちではひらがな、
こちらは漢字を使いたい、
そういうことは、あるじゃないですか。 |
糸井 |
多々ありますね。
|
荒俣 |
そういう自由度がどんどん失われて、
ふと見たらいつのまにか統一されたものだけが
流通されたものになってきていますよね。
・・・江戸時代の書き方なんて、
もう、むちゃくちゃじゃないですか? |
糸井 |
点とかマルなんて、ないですからね。 |
荒俣 |
そう。めちゃくちゃ。
それでも何とか読めるし、
「変体仮名」なんて好きなように書いてますよね。
それでもちゃんとメディアとして成り立っていて、
「滝沢馬琴風」だとか
「十返舎一九風」みたいなものができて、
滝沢馬琴なんて、挿絵の指定やレイアウトまで
自分でやっているぐらいでしょう?
つまり、けっこういろいろなことができていて、
「わがままがきいた」んですよね。
やりたいことをかなりストレートに表現できた。 |
糸井 |
ソフト優位ですよね、完全に。 |
荒俣 |
はい。
わがままを最大限に容認できるところがあって。
いま糸井さんがおっしゃったように、
ソフトがいちばんの中心で、
ソフトがハードを否定するからおもしろいんです。
なのに、それがだんだん逆転していって、
そのいちばん極端な例が、
中国の漢字を使いたいのに、
日本の漢字のフォントしかない
という関係でできない。
だから、本づくりは
だんだんとだめになってきているんだな、
と、本を集めた結果でわかってきたので、
「粘土板のくさび形文字がいちばんよかった」
という結論に行くわけです。 |
糸井 |
(笑)そこにいくか。 |
荒俣 |
例えばよく言われるような、
デジタルになるとページをめくる感覚がない、とか
生理的にいやだというのは実は瑣末な問題でして、
全体的に本というものをオブジェとして見た時に、
明らかにいい方向に進んでいないわけで・・・。 |
糸井 |
デザインとして「やせて」いってるんだ。 |
荒俣 |
やせてきているんだ、と思うと、
そんなに本への
こだわりもなくなっちゃったんです。
あんなにねえ・・・抱いてたのに。 |
糸井 |
ははは。 |
荒俣 |
ぱっと気がついたら愛していた人が実はババアで、
この人が若かりし頃にはビーナスだったはずなのに
気がついたらただのアホだったとわかって(笑)、
一気に熱が醒めた・・・。 |
糸井 |
(笑)醒めたというのがあったんですか。 |
荒俣 |
どんどん醒めちゃった。 |
糸井 |
あ、それは知らなかったですよ。 |
荒俣 |
そうなると、今のように
デジタルであろうが何であろうが
ここまで「やせて」しまったものは、
もう、何とかだましだまし使うぐらいしか、
とてもじゃないけどやっていけないので、
そこで問題は、何がいいのかというよりも、
今あるものをどう使うかということに、
まあ、すりかわってくるわけですよね・・・。 |
糸井 |
おもしろいなあ〜、その感覚! |
荒俣 |
なんかねえ・・・。
本を集めるのは、まあ、
やって損したっていうのが実感ですね(笑)。 |
糸井 |
だってそれ・・・
ひとつひとつ、人生賭けてたじゃない?(笑) |
荒俣 |
そう・・・。
だから逆に言うと、
もうここまで来たら
ネットになろうが何になろうが、
悪くなるぶんには変わりないんだから、と、
こだわりがなくなっちゃたんです、ある日に。 |
糸井 |
なるほどなあ。 |
荒俣 |
むしろ、それよりも、
ババアになったぶんだけたくましくなった、
その部分に目を向けよう、というか・・・。
若い頃には知らないこともあったけれど、
おばあさんになったおかげで
いろいろな知恵を引っぱり出せるとか、
美しさにかまけていた頃には
わからなかったことも、わかったとか(笑)。
そういうもので
デジタルみたいなものも、
救えるかもしれない点があると、
思うようになってきました。 |
糸井 |
うん。わかるなあ。なるほど。
|