糸井 |
本に対する、芯ではない部分の信仰は、
最近なくなってきた感じがありますよね。
健康になったとも思うのですけど。 |
荒俣 |
自分で本を書いていてもよくわかるのですが、
やみくもに膨大な本、例えば『資本論』にしても、
それが本棚に並んでいた時に、
圧倒されるような感覚って、実はごまかしですよね。
私の実感から言うと、
ほとんどの本が、詰めれば1行で済むんじゃないか、
という感じがするんですよ。
タイトル1個あればいいというか・・・。
「自分のことを書いた本だよ」
というだけでもいいような気がして。
あとはぜんぶゴミだったりすると思います。 |
糸井 |
おなじようなことをぼくも考えてて、
最近、本を読んでいて思うんだけど、
ある程度の本というのは、だいたい、
前半だけは絶対におもしろいですよね?
「俺はこういう問題を解決するぞ」
とホラを語っているところは、
問題意識が出ているから、すごくおもしろい。
逆に言えば、その問題を出した時点で
答えが出ているとも言えるわけで。 |
荒俣 |
ほとんどの人が、
最初の1ページに全力をかたむけますよね。
で、あとのほうは、
ただ、束を出しているだけで・・・。
最初の1ページがあればいいわけです。 |
糸井 |
そうです(笑)。 |
糸井 |
荒俣さんほどのフェチじゃなかったけれども、
やっぱりぼくにも本に対する愛着があって、
ぼくの場合は、本を売ろうとした時に、
逆に本への宗教が芽生えちゃいまして。 |
荒俣 |
なるほど。 |
糸井 |
古本屋に行ってお金にする時に、
悲しいと思う自分に気づいて。
「脳の一部を売り渡してしまうのか?
俺はバラじゃなくてパンを取る人間か?」
という、怖れのようなものを感じました。
そういう、当時なりの幻想がなければ、
ぼくはもっと自由でいられたような
気がするんですけど・・・
ようやく最近になって成熟したわけです。 |
荒俣 |
なるほど。
わかります。
本に対するぼくの熱がさめた理由の
ひとつが、糸井さんの体験と少し似てるから。
本を買いすぎていたし、会社も辞めたし、
次の本を買うお金がないので、
しょうがないからサラ金に行きました。 |
糸井 |
おお!(笑) |
荒俣 |
でも、
会社を辞めていたから貸してくれなかった。
しょうがないから、今まで買ったもののうちの
何冊かを売って、そのあがりで
次の本を買おうとしたんです。 |
糸井 |
それでも、やっぱ買いたかったんだ。 |
荒俣 |
「本を担保にするのは、どうか」
と聞いたら、本なんてだめだって言われて、
じゃあ、ということで、10万円もした洋書を、
古本屋に持っていったんです。そしたら、
「こんなの買う人いないから、1000円」。
それではじめて目が覚めました。 |
糸井 |
(笑) |
荒俣 |
私が10万円だと思っているのに、
世の中の人は1000円にも思っていない。
ぼく、ブックオフに、15000円くらいの
分厚い年鑑を持っていったこともあるんです。
買って1年くらいしか経っていなかったし、
2〜3回きれいに使っただけだから、
きっといいだろうと思って。
ついでに、となりに置いてあった
「モーニング」か何かのマンガ雑誌も
一緒に持っていきました。
だいたい1割くらいで売れるだろうから、
年鑑は1000円くらいで、マンガのほうは
ぜんぶあわせて50円くらいかなあと思ってた。
その本をぽんと置いたら、
お店の人が、シャーッと明細書いて。
「150円」って。
聞いたら、マンガが100円で年鑑が50円・・・。
マンガのほうが、高かったんです。
そういうようなことで、
本の価値が、わかっちゃったの。
私の愛しかたは、実は
とんでもない幻想であったということが(笑)。 |
糸井 |
(笑)痛いですよねえ。
そうやって、ことあるごとに
おとなにされていくわけですよ。 |
荒俣 |
読書界の永井荷風になっちゃった。 |
糸井 |
私の愛していたものは、
私の中にしかなかった(笑)。 |
荒俣 |
流通面でも、マンガのほうが
経済的に価値があるとわかったのが、
はっきり言って、ショックだった。
内容や紙の品質的には、
昔の本に今の本は負ける、
と若い頃にわかっていたけれど、
経済的価値が、ぼくの持っているものには
まったくなかったんだというのを知らされて。
・・・これはもう終わりですね(笑)。 |
糸井 |
(笑)そこでがっかりしても
荒俣さん自身が壊れなかったというのは、
最初に「三歳にして朽ちたり」という
負のイメージを、自分に性格に課していたから? |
荒俣 |
そうなんです。
世の中に期待していなかったからですね。 |
糸井 |
それは、哲学だなあ・・・。 |
荒俣 |
はい(笑)。
だからもう、悪い女に何人ダマされたか。
あんな思いをして集めた本が50円・・・。 |
糸井 |
荒俣さんの愛の遍歴の経費って、「億」でしょう? |
荒俣 |
ええ、それは軽く。
昔に『帝都物語』を書いて売れた印税が
1億5000万くらいだったけど、その時も、
こりゃいいやってことで
ほとんど本を買いましたからねえ・・・。
悲しいですよ。 |
糸井 |
(笑)うわあ。
・・・ぼく、最近、世の中には、
いろんなことの軸になる言葉があると思っていて、
そのうちのひとつに、
「王の掟は街の掟に破れる」
というベトナムの諺があるんです。
かっこいいなあと思って・・・。
民を信じるか信じないかは別にしても、
民とともにいない限りは、
どんなに先端のことを考えていても
世界に生きていることにはならないというか。
王は、孤独で気高いかもしれないけれど、
孤独を守っている王の言葉を
理解する人がひとりでもいるかと言えば、
実はこれが、いないんですよね。 |
荒俣 |
(笑)はい、いないです。 |
糸井 |
だったら、民が変わっていくことには
意味があるような気もしてきたんです。
多数決の力でものを動かすというのでもなくて、
いちばん大勢の人たちが、
安楽に自由に生きられることを、
ぼくは考えたくなってきて・・・。
そういう意味では、けっこう
否定的に見ていた民主主義が、
今ごろぼくの中ではじまった。 |
荒俣 |
うん。 |
糸井 |
そういう、大勢の人の自由という点で見ると、
インターネットというものは、そのための道具に、
今のところ、いちばん近いんじゃないかと思います。 |
荒俣 |
なるほど・・・。、 、
(※インターネットの話に
移ったところで、次回につづきます)
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