糸井 |
みなもとさんの『風雲児たち』が
長くなっちゃった理由でも
あると思うんですけど、
「歴史は、ひとことでは語れない」
という発見が、おもしろいですよね。
みなもとさん、何回も
あちこちでお書きになっていますけど、
「竜馬の本を読めば、明治維新は
竜馬ひとりでやったようだし、
勝海舟を読めば、
何でも勝海舟がやったようだし」
というあたりの話ですよね。
あのあたりが、すごかった。 |
みなもと |
うん。
司馬遼太郎全集を読んだ結論です。
結局なんなんだというと、
出てこないんだもん。 |
糸井 |
漫画っていうのは、
だいたいこのくらいのものだとか、
主人公は、ひとりの漫画ではひとりだとか、
気にしないでやっていますし。 |
みなもと |
それは『ジャングル大帝』だって、
脱線したほうがおもしろいわけで。 |
糸井 |
『おそまつ君』もそうですからね。
漫画の好きな人どうしはオッケーだけど、
漫画を見慣れていない人は
「おそまつ君、出てこねぇじゃねえか!」
ってなりますよね。
物語は、ひとつだけ描いていても、
おもしろくない。
そういうメカニズムを知った上で、
いろんな人に物語を背負わせて、
歴史というもの全体を主人公にしてみよう、
という発想が、おもしろかったんです。
日本全体が主人公、みたいな……。 |
みなもと |
もう、時間が主人公という感じだよね。
やっぱり、
知らなかったから、はじめられたんです。
こうやって二五年も続くとわかっていれば、
最初から、やっていませんから……。
とても、やれないよ。
だんだんわかってきて、
一九九〇年に入る前には、既に、
「今世紀中にペリーが来るかなぁ?」
とは、思っていましたけど……それは、
編集者の前では、絶対に言えなかった!(笑) |
糸井 |
「幹の他に、枝全体を描き、葉っぱを描き、
というふうにしないと木じゃないんだよ」
という方法論で
『風雲児たち』を作ってくださったことに、
感動があるんです。
日本の歴史というものは、
枝葉の葉脈まで行けば、
うちのお父さんやらおじいさんやら、
ご先祖さまの
ただの農民にまでつながるじゃない、と。
今、生きている自分たちが、
どこかで、歴史のはじっこに触っているという。
『風雲児たち』は、ほんとに、
細かいところまで命が通っていますね。 |
みなもと |
そのへんは、
私自身が悩みながら描いて、
読者も一緒に悩んで、みたいな気分で
やっているからかもしれないね。
少なくとも、
「みんな教えてやるぞ」という気持ちはない。
「こんなの描いてるんだけどさ、
この人、こんなふうで、変だよね?」
という語りで描いているから。 |
糸井 |
町人たちが、
自分たちで考えるところもおもしろかった。
お上が強い時だったら、
黒船をみんなで見に行くなんて、
できなかったはずなんですよね。
でも、弱くなっちゃったがゆえに、
自分たちなりに黒船を理解しようとする。
薩長貧乏侍たちも、
自前の考えを持たざるをえなくなった時代。
あの時代ぐらいから、
ピカピカしはじめますね。 |
みなもと |
それまで絶対だった幕府が
ヨタヨタになったら、
「何とかしなきゃ」になるでしょう? |
糸井 |
今、『風雲児たち』が、
売れるんじゃないかと思うのは、そこなんです。
「曲がりなりにも何か権威のあるもの」
というのが、上のほうに見えなくなっちゃった。
もうちょっと前だと、曲がりなりにも、あった。
権威がある間は、
アンチの思想みたいなので
間に合ってたと思うんですよ。
強い力があって、批判するメディアがあって、
っていうのも、今は効果はないですから。
そういう時期に、読みたい漫画なんですよ。
上が頼りなくなっちゃったときの、
生き方探しのヒントになるような本。
「無名の人々こそが、実は歴史の主人公だ」
という考えは、前々から、あったのですか? |
みなもと |
いや、ぜんぜん。 |
糸井 |
どういうふうに出てきました? |
みなもと |
関ヶ原の合戦を描いたときには、
まだ、普通の戦国武将の姿を描いていた。
やっぱり、水戸光圀が、
とんでもない歴史観を出したときに、
「これを否定するならば、
こちらはそれに変わる歴史観を、
出さなきゃいかん」と。
水戸光圀は、
天皇につくかつかないかで
正義と悪というものを分けて歴史を描いたわけ。
確かに、プラスとマイナスの戦いは
ドラマの中に必要なものであるから、
これは「良し」とするけれども、
「プラス=天皇に目を向けてること」
というのでは、ないだろう、と。
「敢えて言うなら、やっぱり、庶民に
目を向けてる人間たちを正義と見なす」
一応、そう見なして
物語を綴っていくことにしたんです。
そういう視点を定めたのは、水戸光圀は
ちょっとおかしいぞ、と思ったときからですね。 |
|
|
(明日に、つづきます!) |