モノポリーエッセイ

第2回 モノポリー界の救世主

こんにちは。
日本モノポリー協会副会長の百田です。
何とか、無事たちあがりました
モノポリー協会のページですが、
まだまだ、充実度18.75%くらいです。
今後どんどん充実させていきますので
よろしくお願いいたします。

さて、無理やり、皆さんに見ていただいた
「会長杯」のお知らせですが、お陰様で、
たくさんの方からメールを頂戴しているようです。
これからでも間に合いますし、
当日、なんの音沙汰なくいらっしゃっても
間違いなく参加できますので、
お誘い合わせの上、どうぞ起こし下さい。

大会というと緊張されるかたがいらっしゃいますが、
初心者の方でも楽しめる雰囲気になりそうです。
モノで釣るのもナニですが、ほとんど全員に
なんらかの賞品を持って帰っていただけそうです。
もちろん、私としてはそれ以上の満足感を
持って帰っていただけると信じているのですが……。

前口上が長くなりましたが、いよいよ本編です。
1986年に一体何が起こったのだ、
と問い詰められるとちょっと困ってしまうのですが、
つまり、糸井さんがモノポリーにハマリ出した、
ということなのです。

別に糸井さんの周辺の方だけが
モノポリーをやりだしたところで
そう大問題にはならないと思うのですが、
糸井さんがある日、テレビの番組で
「モノポリーなるボードゲームは面白い」
と発言されてからは状況が一変しました。

マスメディアの力とは恐ろしいもので、
玩具やさんやデパートで「モノポリー」を買う人が
どんどん増えていったのです。
では、どのくらい「モノポリー」が
売れ出したかといいますと、わたしはおおよその数を
把握しているのですが、それを公開するのは
ちょっと問題がありますので、売上が何倍になったか、
ということだけお伝えしましょう。

例えば、1985年と1990年の売れ行きを比較しますと、
約20倍! にもなったのです。
皆さんご存知のように、この間、
世の中は好景気の波にのっていましたから、
全てが糸井さんのシワザとは申しませんが、
少なくともモノポリー関係者は糸井さんの方
にクサイ足を向けては寝られませんですよね。
もちろん、わたしも寝るときは
足を洗って寝るようにしています。

このようにモノポリーの日本での普及は
糸井さんの情熱に負うことが多いのですが、
それだけでは一過性のブームに過ぎなかったでしょう。
こうやって10年以上経過した現在でも
相変わらず愛してくださるプレイヤーが多いのは
モノポリーのなせる技なのだと思っています。

次回からは、このモノポリーの魅力をお話しつつ、
私が日本代表となり、世界大会で優勝するまでの道のりを
お伝えできればと思っております。
それでは、みなさん、
日曜日に「会長杯」の会場でお会いしましょう。

1999-06-19-SAT

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