モノポリーエッセイ

第6回 心残り

♪タワシばかよねぇ。ヘチマさんよねぇ♪
えー、糸井さんにオヤジ系ギャグの
烙印を押されてしまった百田です。

さて、世界大会への出場権をかけた日本選手権へ
参加することになったわたしの「心残り」とは
なんだったのでしょうか。

世界大会は10月にロンドンでの開催が決まっています。
日本選手権は8月。
この2カ月間が私にとって微妙な時間でした。
実は、その当時、私の父が肺がんで入院しており、
「あと、2、3カ月の命」を宣告されていたのでした。
万が一、日本選手権を勝っても、10月に1週間も
日本を離れるというストレスは少々悩ましいものでした。
しかし、代表になってもいないうちから悩むのは
アホラシイと思いなおし、日本選手権には
全力で立ち向かおうと決意した私でした。

1988年8月、決戦の場は東京の全日空ホテルです。
うわさによると糸井さんは前日から泊まりこんでいた!
という話も伝わってきて、並々ならぬ意欲を感じました。
田中さんも自信からか、いつになく饒舌です。
重苦しい雰囲気の中でゲームが始まりましたが、
始まるとモノポリーは陽気です。
すぐに和やかなムードに包まれました。

3ゲームを戦い、トータルの獲得ドル残高が
いちばん多い者が優勝です。
私はなぜか好調で
(実はゲーム内容は全く覚えていないのです)、
2ゲームが終了した時点でトップ。
2位が永井浩光さん、3位が田中瑞穂さんという
暫定順位です。糸井さんがなぜか調子が出ず、
優勝争いから1歩後退のようです。

ここからの話は、「くさくて」「つまらない」のですが、
私が誰にも話したことのないエピソードなので
あえて公開いたします。

2ゲーム終了後、私は、トップに立ったという
ちょっとした興奮と排泄欲を鎮めるために
「個室」でしゃがんでいたのです。
外からは他のプレイヤーたちの噂話が聞こえてきます。

「1位の百田さんって、どんなひと?」
「よく知らないけど、、、」
「以前、ツクダオリジナルにいたらしいよ」
「………」
「………」

自分の噂をされているときに
出て行くわけにも行きませんし、
ちょっと困ってしまいました。
それ以上に「百田包囲網」のようなものを感じ、
3ゲーム目は簡単にはいかないぞ、っと、
ふんどしの紐ならぬ、パンツのゴムを
締めなおしたのでした。

(つづく)

1999-08-19-THU

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