第8回 世界大会へ
こんにちは! 百田です。
先日のトミー杯は、たくさんの方にお集まり頂きました。
参加者総数101人です! 本当にうれしいですね。
はじめて参加頂いた方も多くいらしたようですが、
いかがでしたでしょうか。
これに懲りずにまたご参加ください。
(毎月月例会を渋谷で行なってますので
そちらのほうもよろしく。)
で、優勝者は田中瑞穂さん。
このコーナーでもよく登場する名前なので
ご存知の方も多いと思います。強豪が順当に
勝利するのもまたモノポリーの魅力でしょうか。
2位は、新潟から来られた西山孝男さん、
3位は、渡辺書成さん。今回は上位をベテラン勢が
占めました。この3人までが日本選手権への
出場権を手に入れました。
3人とも本大会での優勝有力候補といえます。
ぜひ、がんばってください。
さて、世界大会の話です。
1988年10月。昭和で言うと63年。
つまり昭和最後の年ということですね。
(この年の9月にはソウルオリンピックが行なわれ、
ベン・ジョンソンが良くも悪くも話題を独占しました。)
この時のロンドン行きには心強い助っ人が、
同行してくれました。
まずは、糸井さん。糸井さんはご自身が代表として
ロンドンに乗り込むことが本意だったのでしょうが、
私が優勝するために非常に好意的に、
精神的また作戦的に、サポートしてくれました。
そして、日本大会の時のライバルだった亀和田さん。
ゲーム研究家でモノポリーの日本大会にも参加していた
高橋浩徳さんという面々です。
このロンドン大会は今まででも一番豪華な大会では
なかったでしょうか? 会場はモノポリーにちなんで
「パークレーンホテル」です。
(パークレーンというのは英国版モノポリーに登場する
地名で我々のよく知ってるパークプレースに当たります)。
前夜祭の会場には宝石と金銀で作られた
バブリーなモノポリーセットが飾られていました。
(もちろんガードマンがしっかり見張っていました)。
元英国首相のヒース卿が来賓として来られており、
各国代表に一言ずつ、声を掛けてくれました。
「ウェア?」
わたしは何のことかわからず、
聞きなおしてしまいました?
「は?」
「トキオ?」
「イ、イエース」
どうやら、どこから来たかを知りたかったようです。
それならそうと「ホェア アー ユー フロム?」とか
いってくれればいいのに。
でもヒース卿、きっと日本の地名、
東京くらいしか知らないのじゃないかなぁ。
あそこで、
「トキオ?」
「ノー。アイム フロム マツドシティ
イン チバプリフェクチャー」
とかいってたら、しらけていたでしょうね。
この前夜祭でちょっと有名な言葉が生まれました。
といってもたいしたことじゃないのですが、
エピソードとして面白いので、その後あちこちで
多用させていただいてます。
同行していた高橋さんと私がアイルランド代表と
話をしている時です。高橋さんが彼に聞きました。
「欧米では一家に一台モノポリーセットが
あると聞いたけど本当ですか?」
アイルランド代表は答えました。
「それは間違いです。欧米では一家に二台は
モノポリーセットがあります」
この驚きの答えを私は欧米でのモノポリーの
浸透度の象徴として使わせて頂いているわけです。
日本から行ったメンバーで
モノポリーの練習ゲームもしました。
2ゲームしたのですが、私が2ゲームとも
勝つことができました。
(他の人は結果を忘れてるでしょうね)。
「まだ、ツキは続いている……」
私は自信を持って次の日から始まる予選に
望むことができそうでした。
さらに、糸井さんからも門外不出の秘策を授かりました。
内容はここでお伝えするわけにはいきませんが
(もったいぶってどうする)少なくともその当時
日本のモノポリー界を精神的にも技術的にも引っ張っていた
プレイヤー糸井重里氏としての有難いアドバイスでした。
鬼に金棒とはこのことでしょうか。
しかしその当時の我々は外国のプレイヤーが
果たしてどんなに強いのか、どんな戦術を用いてくるのか
全くわかりませんでした。
やはり、不安がいっぱいの気持ちで
予選を迎えることになるのでした。
(つづく) |