第14回 史上最大の失言
こんにちは。百田です。
さっそくですが、皆さん、
どなたでも思い出したくもないイヤな経験ってのを
お持ちだと思います。
私も「輝け! 人生で思い出したくもない経験大賞」の
失言部門に3度輝いています。
そのうちの2つは一生誰にも告白することなく
お墓に持っていこうと思っていますが、
3番目の失言は今日告白することにします。
そうです。1988年。
第8回モノポリー世界大会優勝決定後に
その事件は起こりました。簡単な表彰があった後、
プレスのインタビューが始まりました。
例によって各国の放送局が私にカメラを向けています。
質問は英語です(あたりまえですが……)、
どういう訳か答えるのも英語! です。
1988年(昭和最後の年です)というと
日本はバブルの絶頂期、
質問も世界で土地を買い漁る日本人を
揶揄するような類のものがあった後、
その質問を受けました。
1988年というと同時にソウルオリンピックの年でした。
あのベン・ジョンソンがドーピング問題で
失格していました。それに引っかけた質問が出たのです。
「あなたはドーピングで失格するような薬を
飲んでないでしょうね?」
ジョークの質問にはジョークで答えるのは当然です。
「いや、実はいいダイスの目が出るように
右手の筋肉を強化するために
アナボリックステロイドを飲んでいた」
みたいなことを私は答えようと思い、
必死に心の中で「英作文」をしていました。
あまりにその時間が長く感じられたのでしょうか。
横にいた日本から一緒に行っていたメーカーの人から
とんでもない助言が飛び出したのです。
「百田さん、確か喘息の薬、飲んでたよね」
まさに悪魔の囁きでした。
この人は英語は堪能な方でしたが、
ジョークのセンスは全くなかったようです。
それにもましてこの時の私は動転していてサイテーでした。
偶々「喘息」の英語も知っていたことが
判断力をより鈍らせました。
私はふらふらと魅入られたように答えていました。
「はい。喘息の薬を飲んでいました」
それを聞いたインタビュアーの白けた表情を
私は一生忘れることはないでしょう。
大したことじゃない、とおっしゃる方もおいででしょうが、
ジョーク好きの私にとって
この返答は本当に不本意なものでした。
以後この事件は私にとって
大きなトラウマとなりました(大袈裟)。
魔の時間が終わり私は漸くの間解放されました。
バルコニーで待つ仲間に会いに行きます。
みんな大変喜んでくれましたが、中でも高橋浩徳さんは
我がことのように泣いて喜んでくれました。
長い間日本でボードゲームの普及をしてきた彼にとっては、
本当に歴史的な瞬間を実感できたのだと思います。
そして、アメリカ代表のギャリー・ピータースです。
彼ともがっちり握手し感謝の意を表します。
彼も喜んでくれましたが、本当は自分が決勝に
出られなくて相当くやしかったのではないでしょうか。
(という気持ちが実は4年後に理解できました。
彼とは4年後のベルリン大会で再会することになります)
つかの間のブレークの後、
私はバグパイプの演奏に先導されて
ホテルの外に導かれます。すると驚いたことに、
バグパイプの楽団がなんと日本の曲を
演奏してくれるではありませんか。
「そこまで準備が進んでいたのか」と私は感動しました。
でもあとで冷静になって考えると
馴染みある日本の曲と思ったのは、
すべてスコットランド民謡だったのです。
いやぁ、まだまだ興奮さめやらず、ですね。
でもちょっとびっくりしますよ。
急に「夕空晴れて秋風ふく……」みたいな曲
(=故郷の空)を聴くと。
ホテルの外に出てみるとこれまた多数のプレスが
カメラを構えて待っていました。
私はドル札を手で持ったり、空に放りあげたりと
いろいろなポーズを取らさせました。
この時に撮られた写真は
日本でも夕刊紙やスポーツ新聞に掲載されたので、
ご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
このあとはいよいよパレードです。
といいたいところですが、これが道路交通法
(もちろんイギリスの、ですが)上、問題があるとかで
中止。結局、白いロールスロイスのオープンカーに
ワージントンの社長らと一緒に乗りこみ、
1台だけでホテルリッツを目指すことになりました。
そのホテルリッツでは
シャンパンで祝杯をあげようという段取りです。
(つづく) |