モノポリーエッセイ

モノポリー米国チャンピオン決定戦に
行ってきました(9)
「激闘・予選編その1」



このたび、私こと
岡田豊@2000年モノポリー世界チャンピオンは、
モノポリー米国チャンピオン決定戦
「2009年モノポリー米国選手権」を見るため、
米国時間4月13〜16日、ワシントンDCにいってきました!
今回はその九回目の報告になります。

このコラムはモノポリー米国チャンピオン決定戦
のものですが、日本では
モノポリー日本一決定戦「モノポリー日本選手権」が
終盤戦となっております。
今度の日曜日6月14日は九州地区大会
(福岡・キャナルシティ)です。
地区大会としては最後になりますので、
ぜひご参加ください。

また前日6月13日(土)
福岡博多の「BAR WISTERIA」にて
モノポリーナイトを開催いたします。
非常におしゃれなショットバーでして、
ぜひお店のサイトをちょっとのぞいてみてください。
大きな水槽が幻想的な雰囲気をかもしだしていますよね。

ソフトドリンク1杯+軽食付きで一人2000円ですが、
初参加者は半額!大学生以下は無料!
この機会をお見逃しなく。
私も参加しますので、皆様の挑戦をお待ちしております。
もちろんルールを知らない方でも大丈夫ですよ。
篠塚@2004年日本チャンピオン(福岡在住)
をはじめとしたベテランプレーヤーが
遊びながらも初歩から丁寧に対応させていただきます。
詳細は以下の大会申し込みサイトをご参照ください。


さて連載の続きです。
モノポリー米国チャンピオン決定戦はついに最終日、
残り予選は2ゲームとなりました。

前回お伝えしましたように
最終日の会場はターミナル駅のユニオン駅。
荘厳な雰囲気の漂うオープンスペースにて、
行き交う人々に見守られながら、予選が進みます。


▲会場の全景。真ん中に舞台がありますが、
そこはfinalしか使いません。
周りの7つのテーブルで予選を開催いたします。
なお画像は会場横の中2階にあるブッフェレストランから
撮影しました。
モノポリーご一行様貸し切りでして、
選手、スタッフ、ゲストだけでなく
メディアも自由に飲食できるのは、非常に便利でしたね。


もちろんモノポリー米国チャンピオン決定戦は、
ニュースソースとして重要なようで、メディアも多数登場。
朝から報道合戦を繰り広げています。


▲シルクハットをかぶり、杖をもって
Mr. Monopolyに扮したコメンテーター。





▲メディアの中には「女子アナ」も何人かいました。
女子アナによる現地からレポートが多いのは、
日本のテレビ番組と同じですね。



メディアの興味の第一はもちろん
モノポリーの大会そのものなのですが、
今回はいつもの大会と違って、
注目を浴びていたものがありました。
それがいつもよりずっと多い、過去のチャンピオン達。
今回は見学も含めれば、結構いますので、
彼らがどんな戦いをしているのか、
どんな感想をもっているのか、
メディアにとって興味津々のようでした。
大会そのもの中心の取材だけでなく、
多角的な取材が展開されていて、
新たなイベントの魅せ方を発見した思いです。
過去のチャンピオンをたくさん出場させたのは、
大正解でしたね。


▲女子アナの取材を受ける1999年米国チャンピオン。
負けたゲームの後で精神的にもお疲れの様子だが、
チャンピオンの責務として取材を断れません。



▲メディアに大人気であった
初代米国チャンピオンにて初代世界チャンピオン(真ん中)。
手に持っているのは世界チャンピオンに輝いた際のトロフィー。
メディアの要請で、
私(左)とMr. Monopolyの3人で取材に応じているところ。
このパターンの取材は結構多かったです。
なおこの画像は記者の方からメールでいただきました。



▲初代世界チャンピオントロフィーの拡大画像。
トップにある車は、アメリカ人に一番人気のモノポリーの駒です。
1973年11月18日NYにて戴冠したものです。
世界に二つとない、モノポリー史にとって貴重な品ですね。
私がもらった金メダルよりかっこいいかも!?
もちろんメディアは必ずといっていいほど
このトロフィーの画像を撮っていました。



さて、肝心の予選の様子です。
選手たちはゲーム展開が恐ろしく速くなり、
かつ偶然性が高まる「恐怖のスピードダイス」ゆえ
普段の実力通りとはなかなかいきません。
でも少しずつ慣れてきた方にはその対処方法を理解し始め、
戦いに生かしつつあります。
ディフェンディングチャンピオンの
2003年チャンピオンがそうで、2回戦は苦労しつつも、
なんとか他のプレーヤー全員を破産させて
「モノポリー勝ち」。
最高のポイントをゲットして、
final進出へ希望をつなぎます。


▲予選1回戦に続いて交渉難航中で
渋い表情で思案中の2003年米国チャンピオン(左)。
4人ゲームでも権利書がほとんど売れないと
交渉が始まらないのが米国流、
というか世界的にみればそれが日本以外では普通です。



▲勝利目前の2003年米国チャンピオン(右)。
難しい局面を交渉で打破し、他のプレーヤーに先行させて、
自身は比較的破壊力のないカラーグループでじっくり後方待機、
という外国人にあまり見られない「渋い戦法」が成功し、
なんとか残りのプレーヤー全員を破産させました。
上記の画像の各プレーヤーの権利書を見れば、
モノポリーを少しかじった人なら
複雑な交渉経路が想像できると思います。
かなり厳しいゲームをモノにして、
2003年米国チャンピオンは思わずガッツポーズしていました。


予選も残すところあと1ゲーム、
3回戦を残すだけになりました。
破壊力あり、偶然性高し、
という「恐怖のスピードダイス」のせいか、
他のプレーヤーを全員破産させるモノポリー勝ちが
本当に多いです。
予選1回戦、2回戦ともに、
7テーブル中5テーブルでモノポリー決着です。
しかし、予選1、2回戦ともに
モノポリー勝ちしたプレーヤーは
なんと一人もいません!

この結果、参加28人のかなり多くの選手に、
予選3回戦の結果次第ではfinalに
進出する可能性があります。
つまり米国チャンピオンになる可能性が
残っているわけです。
「米国チャンピオンになれるかもしれない」、
これは甘美なささやきですね。
選手を奮い立たせるに十分な状況といえましょう。
そのためか、場内の雰囲気はかなり騒然としてきました。
選手の目の色も、
心なしか変わってきたような気がします。


▲ゲストとして参加していたフリークの記した予選途中経過。
モノポリー勝ちを表す「28」ポイントでズラリと並んでいます。
フリークが大会の途中経過を気にするのは、
日本でもアメリカでも同じですね。
今回の大会は前回と違い、
アメリカのモノポリーフリークがゲストとして参加していました。
フリークの数の多さでは日本はちょっと有名でしたが、
米国でも負けず劣らずかなりのフリークが存在するとのこと。
そのためアメリカではモノポリー大会が
毎週のようにどこかで開催されています。



次回は予選3回戦、final進出を賭けた
最後の戦いの様子を紹介いたします。


(文章:日本モノポリー協会専務理事・
 2000年モノポリー世界チャンピオン 岡田豊)

2009-06-11-THU

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