第1章 乱暴な親孝行
80過ぎの母に、インターネットをたのしませる。
そういう企画なのだけれど、
ぼくは、まだこの母とは
10回くらいしか会っていないと思う。
ぼくの両親は、ぼくがものごころつかないうちに
離婚をしているので、ぼくは母親の存在を
知らないままに育ったのだ。
といっても、その後に、父は再婚して、
ぼくには継母ができたから、
母といえば、その母のことだった。
こっちの母Bとは、ずっと付き合いはある。
そういう言い方もヘンか。
ま、一般的にぼくが「母」と言った場合は、
継母のほうをさしているわけだ。
蛇足だが、継母という文字は「けいぼ」と読む。
「ままはは」と読んではイケマセン。
ぼくは、小学生の時に、
父がこの文字をなにかの書類に記入しているのを見て、
なんでわざわざそんなことを書くんだと、
思ったことがある。
その時は、ぼくも「ままはは」と読んでいたのだ。
しかし、
つきあいは浅いけれど、遺伝子的には、
会った回数の少ない母Aのほうが、
血のつながりは濃いわけで、
いままで通りに、親しい他人という関係のままでいるのも、
なんか変なもんだなぁという気持ちもあった。
かといって、会わないように
お互いに遠ざかっていたわけでもないので、
もう少し、なんかできないもんかなぁと考えていた。
そんなに詳しくはないけれど、
母Aの性格や行動は、どうも自分に似ているのではないかと
前々から思っていた。
金もないのに、世界各地を旅行して回っている。
何度かもらった手紙の文章が、どことなくだけれど、
ぼくの書くことに似ているような気がする。
どうも、彼女は「お調子者」ではないかと、
ぼくはニランでいた。
さらに、かなりのおしゃべりだ。
いや、本人も読むだろうから
誤解のないように言っておくが、
軽快で話題の豊富な女性である
ということです。
この人は、インターネットをやる可能性がある。
やったほうがいい。ぼくの直感が働いた。
50年間で10回くらいしか会ってない母Aと、
この年になってから、メールのやりとりをしたり、
「ほぼ日」を読んでもらったりするのって、
けっこうおもしろいんじゃないだろうか。
そう思いついたのだった。
こういうわけで、ぼくの乱暴な親孝行ははじまった。
まるで、私小説のような書き出しだけれど、
この年になると、こういうことも単なる事実と、
軽く言えるようになるのがいいね。
秋葉原の「イケショップ」で、
「これなら現在在庫があります」という、
オレンジ色のiMacを注文して、
送り先を母Aのところにした。
やることは、これだけだ。
簡単じゃないか。
しかし、そんなに世の中甘いもんじゃない。
誰がパソコンを教えるんだ?
ぼくが、100km離れた前橋まで行くのか?
いざとなったらそれでもいいけど、
先生がまったくいないままに、
インターネットでスイスイというほど、
母Aがスーパーエレクトリックばーちゃんだとは、
とても思えなかった。
それに、若い人だって、
誰も教えてくれないのにパソコンを自由にできる、
なんて人はほとんどいないだろう。
先生を探さなくてはいけない!
しかも、母Aの住んでいる前橋の人で、
ウインドウズではなくマックに詳しい人がほしいわけだ。
第1回 おしまい (そして、明日に続く)
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