(前回につづき、中沢さんの文章を掲載いたします)
ミッシェル・フーコーは
『狂気の歴史』のエピグラフに、
パスカルとドストエフスキーによる
つぎのようなことばを書きつけています。
パスカル
「人間たちはかくも
必然的に気違いであるので、
気違いでないとは、
狂気の別のひとめぐりによって、
気違いであることである」
ドストエフスキー
「彼の隣人を閉じこめたからといって、
ひとは自らの正気を
確信できるものではない」
ここに書きつけられたことばは、
対称性人類学あるいは
芸術人類学の視点から見ても、
まったく正しいと思えます。
人間科学あるいは人文科学全体が
よって立っている土台をひっくりかえして、
その全体を新しい土台の上に
再編成しなおすという作業は、
レヴィ=ストロースや
フーコーらの努力にもかかわらず、
じつはまだほんわずかの前進しか
しめしていない、というのがほんとうの状況です。
そういう状況の中で、
人類学は例外的に、そういう限界づけに
抗おうとしてきた学問だったように思われます。
人類学という学問は、
自分が生きている社会の外に出てゆき、
自分を形成してきた掟や法や習慣の外へ
いったん出てみて、
そこで外からの視点に立って
人間を理解しようとしてきた学問です。
とくにヨーロッパに生まれた人が、
ヨーロッパの世界をつくってきた
価値観や倫理観だけを
絶対に正しい高い価値をもったものと考えて、
ほかの社会の価値を認めないというような態度を
取らないというところから、
この学問はまず出発しました。
人類学の初期の段階では
(私は「初期」ということばで、
つい最近までの状態のことを
指そうとしているのですが)
他者の眼をもって自分の文化を見直す、
ということが重要な主題となりました。
人類学者たちは、自分が世界について
いだいている感覚や思考の枠組みなどから
いったん自由になり、
よその世界へ出かけて、そこに
旅行者とはちがう心構えで長く住んでみて、
ほかの社会の人たちが、
世界をほかのやり方で見ている
そのやり方を学びとってみる努力を
積み重ねてきました。
その体験を重ねていくと
いつしか、
いままで自分が生きてきた世界が
どんなにか狭く堅くるしい仕組みで
つくられていたかを実感できるようになります。
この広大な宇宙や
自然にたいしてだけではなく、
人間に対しても動物や植物に対しても、
ある種の偏りのあるものの見方しか
できてこなかったということが、
はっきりと見えてきます。
その上で、自分たちの生きてきた世界を、
偏りのない眼で見直すことが
可能になってくるでしょう。
二十世紀の半ば頃まで、
人類学はそういう考え方に立って、
自分の学問としての存在理由を
うち堅めようとしてきました。
しかしその試みは
すぐに失敗であったことが、
あきらかになってしまいました。
つまりそういう考え方だけに
人類学を限定してしまいますと、
すぐに限界につきあたってしまうことが
明白になってきたからです。
人類学は
世界旅行が容易になりはじめた時代の
ごく初期に、高い意識をもった
旅行者の学問としての性格をもって
発達してきたわけですが、
旅行手段がどんどん発達し、
映画やテレビのカメラが
ふつうの旅行者が尻込みするような奥地にでも
ずんずん入り込んでいくようになれば、
べつに特権的な存在などでは
なくなってしまうでしょう。
それに、いやそれ以上に、
対象としている社会そのものが、
地球的な規模で進行していく
西欧化の波に触れて、どんどん
変質をとげていってしまってしまいました。
そうなると、
人類学という学問自体が存立の基盤を
つきくずされていくことになってしまいます。
一九三〇年くらいまではそれでもまだ
かろうじてきちんと記録されていた社会が、
それからわずか数十年ののちには
もうすっかり変質してしまっていました。
そのためにそれまで
「先住民」とか「原住民」とか
ひどい場合には
「未開社会」と呼ばれていた人々の社会でも、
もう昔ながらのものの考え方や
世界の感じ方などを、そっくりまるごと
若い世代に伝えるなどということが、
まったく不可能になってしまい、
人類学自身の解体がおこるようになったのです。
そのためにいまでは、大きな書店に出かけても
人類学のコーナーを見かける機会は
めっきり少なくなり、
社会学系のカルチュラルスタディーズや
ポストコロニアリズムといった
若い学問のコーナーが、
それにとってかわるようになっています。
それでは、人類学という学問には、
もうどんな可能性も残されてはいないのでしょうか。
他者や死者の眼をもって、
外からの自己認識を人類に迫る学問、
そういう学問の萌芽は、現生人類の出現と同時に、
洞窟の中でおこなわれていた
神秘的な「超越性の探求」の実践として、
すでに数万年前から出現していたものですが、
そのような「外の思考」の一形態としての
近代に生まれ発達してきた
この人類学と呼ばれる学問は、
もう未来を切り開く力を失ってしまったのでしょうか。
私はそうは考えないのです。
二十世紀の後半に対象を失って、
意味をなくしていく
学問としての人類学などというものは、
まだその学問の本質に触れてもいなかった、
まだ過渡期のかたちであったにすぎないのであって、
社会の外、人間の外に出て行く学問としての、
旧石器時代以来の伝統をもつこの探求は、
まだ完成もされていないばかりか、
広大な未踏の領野を自分の前方に残している、
そういうふうに私は考えているのです。
どんな人間社会であろうと、
そこには言語というものがあります。
そしてこの言語は、どうやら
現生人類に共通の、
一種の普遍的なモジュールから
発達してきたもののようです。
モジュールは基本となる構造を持っています。
それは人類に世界についての
合理的な認識をもたらすために
発達してきたものとして、
この共通のモジュールからの変形として、
理解することができます。
ハウサ語もパプア語もタガログ語も
イロクォイ語もゲール語もラテン語も、
根本で働いている基本モジュールは、
どうやらひとつです。
進化のプロセスが、このような言語の構造を
「役に立つ」ものとして認めてきたからこそ、
そういうことがおこるのでしょう。
しかし、人類学の野心は、
そういうところにとどまっていません。
レヴィ=ストロースは
自分のつくりあげている「構造人類学」の
中心的な主題は、人類の心の中の
「無意識」の領域である、
とくりかえし語っています。
その領域を探求するために、
われわれは言語学の視点からの
手助けを借りているのだと、いうのです。
ところが、私の見るところ、
「無意識」は言語の構造そのままではありません。
言語は、世界についての
合理的理解をもたらすために、
論理の仕組みにしたがって作動しています。
その仕組みを最初に深く研究した
ギリシャの哲学者アリストテレスにちなんで、
その仕組みは「アリストテレス論理」と
呼ばれていますが、私たちの
「無意識」の動作の仕方は、
どう考えてもこの
「アリストテレス論理」では動いていません。
私はそういう
「無意識」の領域で働いている知性の働きを、
精神医学者のマッテブランコから
借用した言い方で、
「対称性思考」とか「対称性論理」とか
呼ぼうとしています。
(詳しいことは私の
『対称性人類学』という本と、
その本を含む全五巻よりなる
「カイエ・ソバージュ」のシリーズを
お読みになってください)
対称性の論理にしたがって動いている
「無意識」は、言語のモジュールとはちがって、
ものごとのカテゴリーを分離するのではなく
結びつけてしまおうとしますから、
そこでは言語の合理性が
一生懸命取り除こうとしている
矛盾した思考などというものも、
大手をふって通用しています。
また日常的な意識をつくる働きをする言語が
重きを置いている時間の秩序さえ、
「無意識」には存在していません。
そこでは過去も現在も未来も、
同じ「場所」に共存することができます。
(中沢さんの文章は、次回につづきます)
2005-11-02-WED