2011年5月13日のニュース  味噌醤油、さんまの佃煮、天ぷらうどん。 再建への第一歩を踏み出した 東北の食品会社3社を訪問してきました。

こんにちは、「ほぼ日」の奥野です。

5月8日(日)、ほぼ日乗組員の何人かで、
岩手県陸前高田市と
宮城県気仙沼市を訪問してきました。

今回の東日本大震災で
大きな被害を受けた食品会社3社のかたに
お会いしてきたのです。

そのときにうかがったお話は
後日、きちんと連載コンテンツにいたします。

たぶん、そのコンテンツは
被災企業の単発的なレポートではなくて、
歴史と実力を持った会社が
ゼロから立ち上がっていく過程を追いかける、
とても大きな意味での
「仕事論」になるんじゃないかと思います。

今日はまず、そのプロローグとして
「こういう理由で、
 この人たちに会ってきました」
という「ことの経緯」を
予告的な第一報として、お届けいたします。


八木澤商店さん
(陸前高田市)

大津波によって
街全体が壊滅的な被害を受けた陸前高田市では、
この地で200年以上
味噌や醤油をつくってきた老舗、
八木澤商店の河野通洋社長を訪問しました。

店舗、工場、原料、すべてを失った震災から数日後、
ようやく出張先から戻れた
当時の社長(八代目で実父の河野和義さん)と
「オレ、社長やるわ」「そうだな」
という短いやりとりを交わし、
その場で九代目社長に就任したという、河野さん。

「あの状況じゃあ、
 社員の誰も拒否権を発動できないよな(笑)」
(河野さん)

現在は、大津波の届かなかった丘の上にある
自動車学校の敷地内に設置したプレハブ小屋で、
再建へ向けた陣頭指揮をとっています。

4月30日には、その第一歩として
親交のある
秋田県・岩手県内の味噌醤油メーカーさんに
製造委託した味噌・醤油を
販売開始しました。

創業は1807年。「なまこ壁」でも有名だった
かつての八木澤商店の店(たな)。
店舗裏手の「つくり蔵」のなかにあった「木桶」が、
店舗からかなり離れたところに、流されていました。

老舗醸造所の「いのち」とも言える
八木澤商店の「もろみ」が、
同じく被災した岩手県釜石市の微生物研究所から
幸運にも発見されたこと、
その、わずかに残された「微生物」を足がかりに
再建に取り組んでいくこと‥‥。

河野新社長からは
現時点で考えている「老舗再建大作戦」の展望を
うかがうことができました。


斉吉商店さん
(気仙沼市)

世界三大漁場のひとつ、三陸沖を操業海域とする
気仙沼の港には
日本全国から、たくさんの漁船が入港してきます。

それらの漁船の乗組員のかたがたのお世話や
出漁の準備など「船主代行」を行う
「廻船問屋」として
60余年の歴史を持つ斉吉商店。

20数年前からは水産加工業に進出、
さんまの卯の花漬を使った「さんま笹寿司」や
さんまの佃煮「金のさんま」、
パック入りの「ぶっかけ海鮮丼」などで
全国に「斉吉ファン」を持っています。

ここでは、
社長の斉藤純夫さんと専務の斉藤和枝さんに、
お話をうかがいました。

場所は、唯一残った斉吉商店の建物であり、
おふたりが冗談めかして
「トタン屋根の豪邸」と呼ぶ
漁具倉庫の二階の、アパートの一室。

物静かな斉藤純夫社長。笑顔がとても優しかったです。
明るく元気で魅力たっぷりの斉藤和枝専務には
ファン多数。
部屋には、津波に流された店舗から救出してきた
斉吉商店の「吉」の看板が、大切に保管されていました。
看板商品である「金のさんま」には
22年間、継ぎ足してきた秘伝の「かえしだれ」が
使われていました。

くわしくは、いずれ連載のなかで語られますけれど、
上の写真は、
その貴重な「かえしだれ」を
社員のかたが
がれきのなかから、発見したときのようす。

この日は、純夫社長の誕生日、でした。

ちなみに、取材がお昼どきにかかってしまったため、
帰り際に和枝さんのお母さまが
おにぎりと鮭の焼き物を持たせてくれたのですが、
これが、本当に美味しかったです。

ごちそうさまでした。ありがとうございました。


丸光食品さん
(気仙沼市)

創業50年以上、
今では地域で唯一の製麺工場のため、
気仙沼では
ここ、丸光食品さんの
うどんやそば、焼きそばなどが、
どこの家庭の冷蔵庫にも入っていたそうです。

丸光食品を経営する熊谷さんご一家。
地震の数週間前に引っ越した新居だけが残りました。

真ん中が、代表の熊谷栄一さん。

もう40年以上、毎日、真夜中の2時から
麺を打ち続けてきた職人さんです。

こちら、丸光食品の定番商品・天ぷらそば。

自家製の天ぷら、つゆ、唐辛子が一式、
麺とセットになってるんですけど、
このスタイル、
他の地域からすると、ちょっと珍しいですよね?

写真の商品は
すでに賞味期限が切れてしまっているのですが、
最後の1パックのため、
廃棄することが出来ないとのことでした。

40年以上、毎日、麺を打ち続けてきた
栄一さんの手は、とても、ぶあつかったです。
職人さんのすごい手、でした。

地域で唯一の製麺工場であったため、
丸光食品さんが
動かないことには気仙沼に麺類が流通しない。

そこで現在は、
同業他社さんから麺を仕入れて、
それまでの取引先に卸す、という仕事から
スタートされたそうです。

配達初日、
麺類を渇望していた市内の病院の食堂などでは
何百食ものラーメンが、
またたくまに完売してしまったと
専務の茂さんは、嬉しそうに話していました。


「セキュリテ被災地応援ファンド」のこと

今回、なぜわたしたちは
この3社を訪問させていただいたのか。
それにはやはり、理由があります。

キーパーソンは、この人。
山田康人さん。

ふだんは、宮城県庁につとめ、
宮城の「食」にまつわる仕事をされています。

山田さんは、被災した企業に対する
「個人(ファン)の応援の気持ち」をファンド化し、
再建のための資金調達のしくみを
有志の仲間といっしょにつくりあげた人なんです。

その取り組みは
「セキュリテ被災地応援ファンド」と言います。
ホームページは、ここです。

これ、すごく簡単に言いますと、
投資金額の半分が、企業への「応援金」となるファンド。
誰でも、おおぜいの人に参加してもらえるように、
単位は1万円からという設定です。

(くわしくは、ファンドのHPをごらんください。
 なお、しくみ自体を提供しているのは
 小口投資のプラットフォームを運営している会社、
 ミュージックセキュリティーズさんです)

このファンドのことを知った糸井重里は、
すぐに「すごい、おもしろい!」と興味を示しました。
そして、わたしたち乗組員に宣伝し始めました。

山田さんたちが思いついてから
1ヶ月も経たないうちに
ツイッター上のつながりから
このファンドができ上がっていったという、
その成り立ちも含めて。

さらには、数日のうちに
仙台の山田さんに会いに行くことが、決まりました。

つまり、わたしたちが訪問させていただいた
上の3社は、
山田さんたちが立ち上げた
セキュリテ被災地応援ファンドのしくみに
いちばん最初に参加された
6つの企業のうちの3社なのです。

「八木澤商店の味噌醤油。
 斉吉商店の海鮮丼。
 丸光食品の、二度蒸し焼きそば。
 この3社を含め、
 初めに声がけしたところはみな、
 まず、僕自身が個人的に大ファンで
 ぜひ、もう一度再建してほしいと願う会社です。
 立ち上げは6社でスタートしましたが
 今後、多くの被災された企業さんに
 この仕組みを使ってもらえればと思っています」
(山田さん)

ファンドですから、他のファンドと同じように、
「リスク」があります。
投資したお金、元本は保障されませんし、
出資者が損をする可能性は、当然、あります。

ですから、くわしいことを知りたいかたや、
ご興味を持たれたかたは
上記ファンドのページを、よく読んでください。

でも、山田さんとお会いした
糸井重里とわたしたち「ほぼ日」乗組員は
この取り組みのことを「伝えていきたい」と思い、
そうすることにしました。

ふつう、応援したい会社があれば、
その商品を「買う」という行為で、応援できます。
でも今は、その商品をつくれない状況。

応援したいと思った企業を、
直接的に、1万円という額から応援できる
山田さんたちのアイディアが広まっていけば、
そんな状況を改善していけるのではないか。

そういうふうに思えたからです。

まずは、上の3社におうかがいしたお話を、
順次、掲載していきます。
ぜひとも、お読みいただけたらと思います。

なお、じつはこれより前に、
糸井とわたしたちは
宮城県の山元町という町を訪問しています。

また別の動機と目的を持った
訪問だったのですが
そちらの様子も、おいおいコンテンツとして
発表していくことになると思います。

写真は山元町役場に咲いていた、りっぱな桜。

どうぞ、よろしくお願いします。

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