ほぼにちわ、です。
2012年、年が明けてある日のこと、
同じ島の、さんが急に席にやってきて、
「お金を使っても、その使った分、
お金がかえってくるというお札を
配ってる神社がある、っていううわさを
聞きつけたんですが、知ってました?」
と、いきなり、なぞなぞのような質問。
「え? 使った分かえってくるお札? し、知らないけど、
じゃあ、お金を使っても使っても、減らないってこと?
それ、ほんとに効くんだったらいいねぇ。」
「そのお札、期間限定で、冬至から節分までしか出なくて、
しかも、決められた時に、決められた場所に貼らないと
御利益がないそうなんです。
毎年、たくさんの人が、冬至の朝から並ぶらしいですよ。」
最初は、気軽に聞いていた話しだったのが、
くわしく聞くうちに、なんだか興味が‥‥。
「穴八幡っていう神社なんですけど。」
「あな、はち、まん‥‥?」
聞いたことのない名前だったので、早速、検索してみると、
歴史はとても古くて、創建は1062年。
江戸時代には、家光や吉宗など、徳川家の将軍が
度々参拝に訪れているという、由緒正しい神社だそう。
場所も、早大あたりとそんなに遠くないことが判明。
それじゃあ、最終日の節分までもうすぐだし、
実際、どんなところで、どんなお札なのか見てみよう!
ということで、さんにまんまとのせられ、
1月の終わりに、ふたりで行ってみることにしました。
趙さんとは、現地集合なので、地上に出て、
散策がてら「穴八幡」を探します。
さすがに、早稲田大学の学生らしき人たちも多く、
駅周辺は、学生街らしい雰囲気も。
キョロキョロしてたら、遠方に大きな鳥居を発見!
よく見ると、看板に「穴八幡宮」の文字が!
駅出口から歩いて数分で、目的の「穴八幡」にあっさり到着。
あちこち写真を撮っていると、渋滞でちょっと遅れてた
趙さんが、あやまりながら到着。
じゃあ、そろったところで、早速、中に行きましょう。
赤い門をくぐると、まだその先に参道が続いていて、
両側には、たくさんの縁起物の縁台が並んでいます。
目的の御守に到達するまでに、
すっかり、たのしんでいるふたり。参道を進んでいくと、
さっきの、赤と金のきらびやかな門とはうって変わって、
黒と金の組み合わせの、威厳のある本殿らしきものが。
ふたりとも参拝をすませ、
いざ、御守を買いに売り場に向かいました。
この説明書によると、この御守、古来の吉例により、
冬至から節分までの間にお領け致します、とあり、
やっぱり手に入れられるのが、1年でこの期間のみ。
そして、この御守を御祭りする(貼る)日時も、
冬至、大晦日、節分、この三日の内の都合のいい日の
夜中の十二時と、決まっていました。
恵方「亥子(ゐね)」(真北から少し西寄りの方角)に
御守を向けるよう、反対の南側の「巳午(みうま)」の
壁のなるべく高い所に御祭りください、とのことでした。
「一陽来復御守」は、「金銀融通」がとくに有名だけど、
iPhoneで検索してみると、その言葉の意味は、
「冬が終わり春が来ること。新年がくること。
また、悪いことが続いた後で幸運に向かうこと。」
(goo辞書)とありました。
陰の気がまわって陽の気にかえる意味があるそうです。
「‥‥いい言葉ですね。」
おのぼりさんだったふたりも、
少しおごそかな気持ちになりました。
そして、おごそかな気持ちになったのも束の間、
御守を手に入れて、気が大きくなったふたりは、
帰りの参道では、あちこちのお店で散財を。
そして、参道途中の脇道に、布袋さんを見つけて
かけよるふたり。
こちらのほていさん、「布袋像の水鉢」といって、
新宿区指定有形文化財(工芸品)に指定されている
1649年に造立の「区内最古の水鉢」だそうで、
江戸城吹上御所に置かれていたのを、
徳川家光により奉納されたものだそうです。
あまりにさりげなく、置かれていたので、びっくり!
そんなこんなで、「穴八幡」を満喫したふたり、
その足でそのまま会社に向かいました。
お土産は、参拝記念の玄米パン。
今日使ったお金は、いつか帰ってくるのでしょうか。
節分の夜、御守をはるのを忘れないようにしなきゃ。
「一陽来復御守」にがぜん興味が出たという方、
2月3日は最終日で、すごく待つかも知れませんが、
「穴八幡」は夕方5時までだそうです。
もし万が一、御守効果が出たら、また報告しますね。
では、みなさま、よい節分を!