阪神・淡路大震災のときのことを すこし、お聞かせください。 |
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私と私の家族は 幸いにして、何も失わなかったので 「被災者です」と言うのは憚られるのですが‥‥。 |
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‥‥ええ。 |
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もっとも被害の大きかった 神戸市長田区の区画整理が完了したのがいつか、 ご存知ですか? |
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たしか、かなり最近でしたよね。 まさに、東北の地震の前後だった気が。 |
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「2011年3月」なんです。 |
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ああ‥‥ちょうど、震災が起きた月。 |
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行政の区画整理に「16年」かかったんです。 それを考えると、 今回の東北の震災からの復興にだって 長い時間がかかるのは明白です。 |
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はい。 |
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震災直後に、ものすごく鼻息が荒くても 復興までの長い期間、 そのテンションを持続できるかというと‥‥。 |
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最近では 「震災のことを忘れない」ということが しきりに言われるようになりました。 |
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それは、人間の性質として、 ある意味では しかたのないことなのかもしれないです。 だからこそ、 息を止めて走る「短距離走」じゃなく、 ジョギングくらいの感じで、 ずーっと並走していくんだという意識が 必要だと思うんです。 |
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‥‥いまも、よく覚えているんですが、 PRさん、そのことを 震災ひと月後の昨年4月にはじめてお会いしたとき、 すでに、おっしゃっていました。 |
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ああ、そうでしたか。 |
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つまり、阪神・淡路大震災の体験以来、 ずっと思ってらっしゃったことなんですね。 |
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そうですね。実感として、それは。 |
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そう思うと、 あの「ユルいツイートに戻ります宣言」も PRさん的には、 ある意味で、必然的なことだったんですね。 |
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やはり、息の長い話になると思うんです。 阪神・淡路大震災のときも ずいぶん長く仮設住宅で暮らしていたかたが たくさんいらっしゃいました。 |
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ええ、ええ。 |
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震災から5年後に 「地震からの復興おめでとう」と言われたとき、 家も職もなかった人は 決して、少なくはなかったんです。 |
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やはり 「着実に復興している」というニュースのほうに どうしても、目を向けがちですものね。 |
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でも、震災のことを忘れてはならないことは そのとおりなんですけど、 ずうっと辛い現実に直面するばっかりでは やはり、嫌になってしまいますよね。 |
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‥‥はい。 |
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ですから、5日目の「戻ります宣言」のあとは 私のツイートのようなものであっても 少しでも、 ゆったりした気分になってもらえたらと思って 「徹して」やっていました。 |
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ログを見ると、3月17日ごろには もう、ユルいツイートばかりになってますね。 |
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私、気を抜くと すぐにマジメで堅い感じになってしまうので。 |
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反応は、どうなっていきましたか? |
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このころまでには 被災地の通信状況も改善されてきていて、 現地から 「ずうっと緊張していたんですが ちょっとホッとしました」 とか、 「ひさしぶりに声を出して笑いました」 とか、 そういうツイートをいただきました。 |
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それは、はげみになりますね。 |
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ありがたかったです。 |
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このツイートも、印象に残っています。 |
不謹慎ならあやまります。でも不寛容とは戦います。それでは、あ らためてciao!! (たくさんご質問をいただきましたが、明日の件は、 明日発表します<(_ _)>) posted at 23:28:39 2011/3/17 |
これは「NHKのPRのくせに」というような お叱りを受けたのが、発言の元でした。 |
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毅然としていますね。 |
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そのときの私は、 「いま、いちばんたいへんな人たち」を 大事にすべきだと思っていて、 その人たちが、よろこんでくれるのなら、 他の方からお叱りを受けても あんまり、怖くはなかったんです。 |
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あの、阪神・淡路大震災が起こったのは 1995年ですから インターネットは、なかったですよね。 |
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なかったですね。 |
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どんな状況だったんでしょうか? 現地は。 |
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情報は、まったくといっていいほど ありませんでした。 ですから、いろんな情報をまとめた紙を みんなで、回し読みしたりしていました。 |
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私製の回覧板みたいに。 |
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でも、情報のパイプは細かったんですが それでも届いてくる情報は あるていど、しっかりしたものだったと思います。 |
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なるほど。 |
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良くも悪くも‥‥ですけれど、 現代は、ツイッターなどのSNSをはじめとして 情報を送るパイプが太いですよね。 |
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チャネルも、多様化してます。 |
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そう、たくさんありすぎて 本来ならば「必要でない情報」はともかく 「デマ」みたいに 流れてはいけない情報まで、流れてしまう。 |
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ええ、ええ。 |
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もちろん、阪神・淡路大震災のときだって 「デマ」もあったんでしょうけど 今回の震災のツイッターほどには みんなが、それに、 振り回されてはいなかったと思うんです。 |
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そうですか。 |
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‥‥ちなみに、阪神・淡路大震災のときは 「さすがは関西」というか、 「おもろいおっちゃん」みたいな人が たくさんいたんですね。 |
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え? 被災地に? |
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自宅から家財道具から何から 何にもなくなっちゃったおっちゃんが、 外へ飛び出したときに ひっつかんできた この手ぬぐい1枚だけが残ったんや‥‥ みたいなことを 笑いのネタのようにして話すんですよ。 |
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ああ‥‥。 |
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そんな人を、もう、何人も見たんです。 それで、まわりのみんなが 少しずつ、救われたような気がします。 |
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あの、たいへんな状況下で。 |
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ですから、「笑う」というのは、 本当に大事なことなんだと そのときに、強く心に残りました。 たくさんのかたがお亡くなりになって とても辛い状況なんですけれど。 |
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ええ、ええ。そうですよね。 PRさんが「徹して」ユルいツイートに戻ったのも そのときの思いが、あったから。 |
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きっと、「手ぬぐい一丁」で みんなを笑わせていたおっちゃんだって 腹の中では おんおん泣いていたんだと思います。 でも、笑えるときに笑う、 ときには、少しくらい無理して笑うことで ホッとできるというか、 前向きになれることを、知ったんです。 |
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ツイッターが、震災で「別物」になったと 地震の直後、よく言われていましたが‥‥。 |
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ええ。 |
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そのあたり、 PRさんの「ツイッター観」のようなものに 変化は、ありましたか? |
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それでも、やはり基本は 「いまどこで、何をしているか」だと思います。 |
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そこは、変わらない。 |
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本来は、きっと、ツイッターというのは チャットのように会話をしたり 情報を交換する場ではないと思うんです。 |
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「つぶやき」ですものね。 |
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震災のあと、被災地以外に住んでいて ふつうの生活を送れるはずなのに 震災そのものや、 震災まわりの「デマ」にとらわれてしまって 「3月11日」から 前へ進めてない人がいっぱい、いたんです。 それは、タイムラインを見るとわかるんです。 |
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この人は、まだ3月11日にいるな、と? |
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いまでは、だいぶ元に戻っていると思いますが もし、まだ「3月11日」だとしたら‥‥ やはり、そこから先へ進んだほうがいいと思う。 |
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そこに留まってしまっては‥‥駄目ですよね。 |
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これから、やらなければならないことは いっぱいありますから。 |
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長い時間をかけて。 |
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そう。‥‥だから、笑って、先へ。 | |
<つづきます> |
2012-12-20-THU |