今年『ナイン』は大当たりする! 去年は知らなかったくせに、応援します。 |
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 第九回 「通し稽古」のこと、 「天才映画監督の妻」のこと ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 東京下町、ここベニサンでの稽古もあとわずか。 きょうの稽古は、冒頭からラストまで、 止めずに続けて通してみる「通し稽古」です。 「通し稽古」という言葉を聞くと、 嫌が応にも大詰めだなあという気がしてきます。 (演劇づくりに「これで終わり!」はないけれど。) この「通し稽古」を重ねるあいだに、 作品はどんどん深まっていくのです。 たとえば、前回の話で触れた「グイドのママ」が、 「母親」という演技の上に、 「女性らしさ」をみせてくれたとします。 すると、稽古後に演出家デヴィッドは、 すかさず指摘し、提案します。 それを大切にしてみようって。 女性らしい表現のおかげで、 夫と死別後も「女」を失わなかった母のもとで、 少年は育ってきたのだという物語が生まれます。 数々の女性を求めたグイドにとって、 理想のミューズは母親だったということが伝わり、 主人公グイドのすべての行動が 裏付けられるからです。 演出家は「通し稽古」を見ては、 キャストひとりひとりが取り組むテーマを与え、 くりかえし検証していきます。 さて、舞台スタッフはすでに大阪へ向かいました。 稽古場にはワカナさん、深瀬さん、三枝さんが残り、 リハーサルの進行を支えてくれています。 この連載でイラストを描いている宇野さんも、 いまは大阪シアターBRAVA!です。 『ナイン THE MUSICAL』は、 新しく開場するシアターBRAVA!の こけら落とし(劇場のオープニング!)公演なのです。 劇場名「ブラヴァ!」はブラヴォー!の女性形、 つまり女性に拍手喝采を送るときの感嘆詞です。 女性たちを讃えるミュージカル、 『ナイン THE MUSICAL』はまさにドンピシャ! (さて、ブラヴァ! のコールはかかるのか?!)
“女性を讃える”と言えば、 『ナイン THE MUSICAL』では、 この人の話をしないわけにいきません。 15人の女性の幻が頭から消えることのない 天才映画監督グイド・コンティーニの妻、 ルイザ・コンティーニ! オペラの舞台で活躍している高橋桂さんが演じます。 昨年秋のリハーサルで、たぶん最初の通し稽古のあと、 デヴィッドがこう言いました。 「ルイザを演じるときに陥りやすい罠は、 犠牲者になってしまうことだ。 ブロードウェイではふたりの女優がルイザを 演じたけれど、ふたりとも同じ疑問をもった。 『どうしたら犠牲者にならずにいられるの?』 でも、桂は罠に陥ってない!」 高橋桂さんはすでに、 デヴィッドがルイザに求める いちばん大切なイメージを表現していました。 グイドにとって理想の女神に最も近く、 なにより「知性のある女性」という役を。 ルイザの頭のよさは、 『MY HUSBAND MAKES MOVIES』という歌に、 英語詞ではじつに巧みに表現されています。 女性関係の噂が絶えない有名人を夫に持った妻は、 いつもワイドショーのレポーターに追われ、 地獄のような日々を送っていると想像できます。 しかし、ルイザは違うのです。 スパ・リゾートにやって来たグイドとルイザ、 そこには案の定レポーターたちが待ち構えていて、 ルイザを取り囲み、質問攻めにします。 “離婚の危機だという噂ですが、真相は?” “ご主人とカルラさんとの関係は?” “クラウディア・ナルディとは?” レポーターたちはルイザの口から、 「グイド・コンティーニの妻でいることは、 地獄で暮らすことよ!」 というコメントが欲しいのです。 期待しているのは、夫に侮辱され、 傷ついた妻という物語です。 けれどもルイザは、まったくちがう答えをします。 ルイザ“おねがい!どうしたらわかってくれるの! わたしの夫は、映画をつくる人よ” デヴィッドがこの歌について話しました。 「オリジナル版(トミー・チューン演出)では、 ルイザは悲劇的で惨めに歌ったけれど、 ぼくは間違ってると思う。 彼女は夫の犠牲者ではないと言うことに、 莫大な知性とエネルギーを使ってる。 ルイザは思ってることをひと言も言葉にしない。 前半はレポーターたちをからかうように、 暗号(パブリック・コード)で語るんだ。 知性で考えたらわかるかもしれない、 ルイザだけが知ってる夫の真実。 しかもはそれを冗談めかして。 夫をろくでなし呼ばわりはしない、 ルイザはグイドを愛してるから。 夫をカンペキとも言わない、 ルイザは馬鹿じゃないから。 ただルイザは言おうとしてる、 夫は映画を作ってる、と。 そしてわたしは弱者じゃない、犠牲者じゃないと、 じつはルイザは訴えてる。暗号で」 “わたしの夫は、映画をつくる人 (MY HUSBAND MAKES MOVIES)” 歌い出しのフレーズが、その、暗号だと思います。 まさしくルイザの夫グイドは、 頭のなかに女性の「映像」をつくり出す人です。 さらにルイザは歌います。 “漁にでる人 獲物待つ人 パン焼いて暮らすひともいるけど わたしの夫は夢中になって 映画をつくるの” デヴィッドの言うとおり、 事実を言いながら、裏になにかを隠した歌詞です。 ルイザに少し知性が足りず、 お嬢さま育ちでもなければこう言ったかもしれません。 “女を漁る男もいれば、 女が寄って来るのを待つ男もいれば、 家に閉じこもってる男もいるけどさ、 うちの旦那は頭んなかに 女こしらえるのが商売なんだよ!” そして後半、これを聴いているレポーターが、 全員女性であるということが、 ルイザの心にプライベートな思いを抱かせます。 結婚生活への夢と現実とのギャップ。 彼女の視界にいる話し相手はレポータではなく、 女性たちすべてになるのです。 その演出、どうぞ舞台をみてほしいと思います。
ぼくは『ナイン』を英語詞から知り、 この歌詞の文学的な大転換はなんなんだろうと、 不思議に思っていました。 あとからデヴィッドのその演出を観たとき、 英語の歌詞を詩としてとらえていたことの 間違いに気がつきました。 『ナイン』の歌詞はすべて台詞です。 演劇的な言葉として書かれています。 心情ある人間の言葉です。 だから歌のなかでドラマは進展し、 人物が変化していくのです。 ついにルイザは、目の前の女性たちに、 夫とのプライベートを語りだしてしまいます。 “彼は滅多に来ないわ、ベッドに──” その瞬間、ルイザは我に返り、 また暗号のような巧妙なフレーズで、 レポーターたちへの回答を閉じます。 “わたしの夫は(メイク・ラブの)かわりに メイク・ムービーなの” デヴィッドは稽古場でこんなことも教えてくれます。 「現代演劇は感情を あらわにすることを中心に教えている。 でも、あらわにすればするほど、 伝わるものは小さくなり、一般論の感情になる。 誰でも泣きたいときはある、 ただし、人はどれだけ 『泣いちゃいけない』ということに エネルギーを使うことか。 泣かないことがどれだけ パワフルな表現になるか知ってほしい」 高橋桂さん演じるルイザは、 その意味で相当「パワフル」なのです。 (紹介している歌詞は、ぼく(キウチ)の直訳です。 上演台本の日本語とは異なります) (つづきます!)
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2005-04-29-FRI
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