今年『ナイン』は大当たりする!
去年は知らなかったくせに、応援します。


シェフ
もう明日だよ! 初日だよ!
どうしようどうしよう!

べ3
出演するわけじゃないんだから
落ち着いたらどうですか。

シェフ
そうなんだけどさあ、
ここまで舞台裏を見てくると
スタッフになった気がしちゃって。

べ3
みなさん、せいいっぱいやって、
あすを迎えるんですから、
きっと大丈夫ですよ!
そうだ、すてきなメールをいただきました。
tptで通訳をなさっている、
スタッフの薛珠麗(せつ・しゅれい)さん
からのメールです。
=
わたしは、自分でも呆れるくらい
『ナイン』というこの作品に
愛情を持っているんですが、
そして、そのわたしが更に呆れるほど、
『ナイン』の稽古場には
愛が溢れているんですよ!!!
それを、すっごく
お伝えしたくなって。

稽古場が、スキンシップの嵐になってます。
元々「ラテン」な人柄の方が多い、
ってのもあるかもしれませんが‥‥
もうね、本当にね、仲がいいんです!
ちょっと考えられないくらい、
仲がいいっ!!!
女優さんが16人もいらっしゃるというのに、
それも、揃いも揃って
個性派&実力派&キャラの立ったメンツなのに、
もう異様なほどに仲がいいっ!!!
「おはよう」のハグ、
「やっちゃったっ!」のハグ、
「稽古最っ高だね〜」のハグ、
「お疲れ〜」のハグ、
「ありがとう」のハグ、って感じで、
もう1日に何回も抱き合ってるし、
お互いをマッサージし合うし、
ストレッチしてたらいじくるし、
それがプロレスごっこ? にまで発展するし‥‥
取材にいらっしてくださった皆さんが面くらうほど、
スキンシッパー集団と化しています。
わたしも、毎日「おはよう」代わりに抱き合って
「今日も『ナイン』が始まるね〜」
って言い合っている女優さんがいるし、
疲れてぼ〜っとしていると、
誰かがそっと背中を撫でに来てくれます。

あ、何もオンナ同士に限ったことではなく、
哲也さんも「ありがとう」にハグが伴ったりするし、
演出のデヴィッドは「お疲れ」代わりに
(素で)「手にキス」ができるイギリス人だし、
振り付けのグスタヴォはアルゼンチン人だから
優しさと情熱をまきちらして歩いているし(笑)
子役の男の子が3人いたりもするので、
そりゃあもうエライことになっているわけです。
愛がぱんぱんになって、表面張力状態な稽古場です。

こんなことね、普通、あるものではないんですよ!
思うに、これは、カンパニーのメンバー
1人1人のお人柄の素晴らしさもあるし、
でもそれ以上に、
それぞれが自分として地に足がついていて、
お互いの才能や大切さを尊重し合って
信頼し合っているんだと思うし、
作品への自信、そしてやっぱり、
愛情だと思うのです。
スキンシップだけは、
理由もなしに出来るものではないと思うのです。
そしてその信頼や愛情は、
昨年の舞台に満ち満ちていたし、
今年の『ナイン』の舞台にも
満ち満ちると思うんです。

そんな素敵な世界に、
一人でも多くの人に触れてほしいと思っています。
木内さんの熱いメールに感銘を受けた皆さんに、
わたしからも一言、是非熱い想いをお伝えしたくて、
メールしてしまいました。

わたしたちの『ナイン』、
どうぞよろしくお願いいたします。

薛珠麗

シェフ
じーん!(感動)

べ3
じーん!(感涙)
そんな スタッフやキャストの熱い思いが
いっぱいつまった『ナイン』
さあ、 ほんとうに、いよいよ、あす、
初日の幕が開きますよ!

シェフ
そして今回からは
別所哲也さん演じる
主人公グイド、についてのお話を
キウチさんが届けてくださいます! どぞ!

               
第十二回 「グイド・コンティーニ」は
こんな男! ──その1

               

大阪シアターBRAVA!では、
舞台稽古が進行中です。
本番の衣裳をつけ、ヘア&メイクアップをして、
照明、オーケストラ入りのリハーサル。
開幕直前の長くて短い一日です。

きょうは、
『ナイン THE MUSICAL』2005年日本ヴァージョン、
その“顔”である別所哲也さんが挑む役のことを、
お話ししたいと思います。



映画『8 1/2』ではマルチェロ・マストロヤンニが演じた、
“フェリーニの分身”グイド・コンティーニ
『ナイン THE MUSICAL』では、
16人の女性たちを相手に大奮闘する映画監督役に、
別所さんが挑戦しています。

演出家デヴィッドは、
別所さんの「グイド」について、
こんなふうに言っています。
「去年貴一(福井貴一)のグイドのときは、
 女優たちは彼を包み込むように現われ、
 母親として存在したように見えた。
 今回、哲也のグイドになって、
 女優たちはみんな恋人として彼の前に現れる。
 それは春の空の下に戯れるカップルを見るような、
 清々しい『ナイン』に哲也がしてくれてる。」

●「グイド」って、どんな役?

グイド・コンティーニは40歳。
不惑とは言いがたい、戸惑いだらけのミドルエイジ。
20年来の妻が一人、子供なし。職業、映画監督。
まさしくフェリーニその人がモデルです。
メガヒットはないけれど、新しい芸術を求める天才。
女性についての映画をたくさん撮り、
自ら主演もこなす人気者。
聖域であるクラウディアをのぞいては、
共演した女優たちとのベッドイン歴多し!
それが今、三本立て続けの不入りで、
スランプに陥り、新作の構想が浮かばない。
しかも、妻から離婚話を突きつけられている、と、
グイドはいま、そんな大ピンチにいます。

●「グイド」は女たらし?

物語の冒頭、グイドは考えています──
女性はどこから来る?天国から?
女性という存在を讃えながら。
『ナイン』は、グイドの頭のなかと現実の
交錯した世界を舞台化したミュージカルです。
登場人物は、男ひとりに女性16人。
彼に見えているのは女性ばかりです。
(唯一、9歳の自分の幻に出会いますが。)

デヴィッドは言います。
「でも、グイドは女たらしじゃないんだ。
 一夫一婦制を信じてるし。(笑)
 ただ、恋におちるときは真剣そのもの、
 世界にふたりだけ、になってしまう。
 女性ひとりひとりが特別で、
 ひとりひとりを特別な相手にしてる。」

そして物語の始まりのグイドについて、
こう説明します。
「その彼はいま、失意のなかにいて、
 なにもコントロールできない。
 手のつけられない状態。
 女性たちの言葉が言葉として聞けなくなって、
 『ラララ』と音楽となってふりかかって来る。」

グイドが権威を振りかざし、
女性たちを指揮して「序曲」へと入った
トミー・チューン版(オリジナル)の演出とは、
冒頭からはっきりと違います。
権威主義的でも、ナルシストでもないのが、
デヴィッドが考える「グイド」です。

●「グイド」は夫としてどうなのか?

それが問題です。
頭のなかには15人の女性たち、
目の前には離婚話を切り出す妻。
グイドは女性たちの幻を背負ったまま、
妻ルイザの冷静な追及を受けます。
「わたしの話、聞いてくれてる?」
事態の深刻さを理解しているだけに、
グイドはなんとか妻を笑わせようとします。
妻は笑ったら負けとわかっていますが、
やがてグイドの言葉が彼女の気持ちを和らげます。
これを20年間繰り返して来た、
そんな夫婦なのです。

●なぜ「グイド」は「スパ」に行くのか?

新作と夫婦関係、その危機に瀕したグイドは、
「ぼくが落ち着くために」スパ(温泉)へ行こうと、
言い出します。
そのアイデアは謎めいた「スパのマドンナ」から
受けたものです。


スパのマドンナ(剱持たまきさん)ー去年の舞台よりー

グイドはなぜ、
「スパ」へ行きたいと思いたつのか、
「それさえあれば!」と飛びつくのか──
ぼくにはちょっとわかりづらかったのですが、
デヴィッドは明解にしてくれました。

「『聖地のスパへようこそ』という響きは、
 『カトリックの女子校へようこそ』と聞くような、
 清らかだけれども不純なものを想像させる。
 グイドの想像力のなかでは、
 『スパ』は欲望の宮殿なんだ。
 若返りを約束してくれるスパは、
 彼には艶めかしく響きわたって、
 思わず『それさえあれば!』と言わせる。」
(わかりやすい、と言ってしまっていいのかどうか…
でも、たいへんわかりやすいガイドでした。)

●「グイド」はなにを望んでるのか?

人目をしのんでやって来た「スパ」には、
レポーターたちが待ち受け、
はるばる愛人までやって来て、
パリからプロデューサーも追いかけて来ます。
「グイド」はやっとひとりになれた瞬間、
自分の悩みを「GUIDO'S SONG」に歌います。
彼の「ささやかな望み」、それは‥‥

 グイド“ここにいたい むこうにもいたい
     どこにもいたいなんて
     そう明らかな矛盾
     問題だ なにしろいま
     からだはもう40 心はほんの10”


この歌い出し、英語詞を聞くと、
“…to be” “…to be” “it's problem”
という語句がハムレットの独白を思わせます。
これは「グイド」の独白です。

デヴィッドは言います。
「独白は、観客の理解を変えるためにある」と。
そしてこの歌もほかの歌と同じように、
台詞(スピーチ)として演出しています。
デヴィッドが言う「スピーチ」とは、
目的を持って言葉を駆使するということです。

歌い出しに、デヴィッドは初めて、
十分な「間」をとることを求めました。
最初は歌う気もなかった「グイド」に、
少しずつ言葉が浮かび、膨らんでゆき、
後半になればなるほど、
彼の「ささやかな望み」が
はっきりしていくという歌だからです。
同時に、彼の心の世界に
観客を招き入れるための時間として
計算されている「間」です。

「グイド」はなにを望んでいるのか、
それについてのぼくたちの理解を、
「グイド」本人が変えようとして歌います。
歌詞をもう少し追ってみましょう。
観客席に向かって歌いかけながら、
彼の「ささやかな望み」がはっきりしていきます。

 グイド“起きちゃいられない 眠れもしない
     あさ目覚めたくない どん底を見るから
     だがなぜそうシリアスになる?
     どうせ 堕ちていくのは ぼくだけさ”

    “若くありたい おとなでありたい
     賢くて 無知で無茶で無鉄砲でもいたい
     宇宙を従え こう言わせてやる
     「グイド お気に召すまま 
      どんなことも かなえましょう」”


    “(望みはほんの)それだけさ”


もうこのあたりになると、
彼の「ささやかな望み」は、
誇大妄想的だということがわかります。
相反するふたつのことを
同時にかなえたいんだと言っています。
さらに「グイド」は堂々歌い続けます‥‥

    “尽きぬ欲望 おさえるべきか?
     応えろ どうすりゃいい
     ぼくをやりすぎというなら?
     ただひとつ 残念ながら
     この世にぼくはたったひとり”

    “プルーストになりたい!
     いや マルキ・ド・サドに なりたい
     キリスト モハメッド ブッダに
     でも神は信じないけど
     ただこれだけは真実──
     もう破滅だ なにかをしなければ”

プルーストまで出して来たかと思うと、
思いとどまってマルキ・ド・サドに変更したり。
なるほど、考えながら歌っている言葉です。

※マルセル・プルースト(1871-1922)
自伝形式の未完の超長編小説『失われた時を求めて』を著した
フランスの大作家・哲人。

※マルキ・ド・サド(1740-1814)
(本名ドナシアン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド)
自らの退廃した精神を小説化し、悪魔的な想像力で
古い道徳観念を破壊したフランスのクリエイター。
サディズムの語源となったその人。


    “若くありたい おとなでいなきゃ
     (ぼくが)ほしいのは
     激しく型破りな物語
     宇宙を従え こう言わせてやる
     「グイド お気に召すまま
     ばかなことも かなえましょう」と
     かなえてくれ!”

自分の望むことが、
相反する絶対不可能なことだと認めると、
今度はマクベスの台詞を引用し、
「ばかなこと」と言い放ちつつ、
それでも自分は望むのだと言います。
「かなえてくれ、それだけだから」と。

※マクベスの引用は、5幕5場の有名な台詞、
「人生は歩く影法師…」から。
ぼくが望むのは…「白痴が現われしゃべるがごとく、
激しく猛り狂った、とりとめなき物語」と。

そして最後にグイドに聴こえてくるのは、
はるか天上からの天使の声…

 女性たちのコーラス “かなえましょう!”

観客席は、物語が始まって間もないうちに、
グイドの「ささやかな望み」を知ることになります。
彼はなにか(誰か)を望んでるのではなく、
なにもかも(誰も)を望んでるのだということを。

(つづきます!)



シェフ
主人公グイドを演じる
別所哲也さんについては
もう説明するまでもないほどかも
しれませんが‥‥


べ3
日本を代表する
ミュージカル俳優ですよね!
『ナイン』の稽古は
『レ・ミゼラブル2005』で
主役のジャン・バルジャンを
つとめながら、
ほんとうに演じたい役だから
ぜんぜん平気ですよ! って
ものすごくさわやかに
おっしゃってたのが印象的だったなあ。

シェフ
おなじ静岡出身で同学年なんですよ僕。

べ3
人生、いろいろですねえ‥‥。

シェフ
ほんとだねえ‥‥。
ま、ともかく、
よりくわしくい別所さんの情報は
オフィシャルホームページ
ごらんくださーい!


2005-05-05-THU
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