(シネマシーンディレクター・森 直樹さん)
ちょっとしたこと、
例えば、幅を広くしたり狭くしたりとか、
そういうことなんですけれども。
そのときの宮本さんの感性っていうか、
「ここ、こうしたらええやん」っていうひとことが、
なかなか真似できない。
そうかなって思って、やってみて、
「はああ。ものすごく正解やっ。」
っていうことが多かったですね。
それはもう、驚かされますね。
どんな細かいところまででも
ぼくらと同じレベルで把握していて、
ぼくらと対等な立場で話してくれるんで。
今回は、ほんとに勉強することが多かったです、
ゲームづくりというものを。
(フィールドデザイン・宮永 真さん)
僕はゼルダをやるために情報開発に来ましたけど、
それまでは違う部署だったんで、
宮本さんのゲームの作り方が
どういうものかは知らなかったんです。
だから、宮本さんがどんなふうにゼルダを作られるのか、
すごく興味があったんですけど、作っていく途中では少し、
いいんかな、こんな作り方してて、って思うことは
正直いってありました。
けど、自分なりにそれまでやってきたゲームの作り方を
信じるしかなかったですし、
それぞれがそれぞれのスタンスでやっていって、
それを統合するしかなかったんで、
最終的には、個々にがんばった成果として、
まとまったんだと思います。
で、最後に、宮本さんのゼルダに対しての思い入れが
それを全部まとめてくれたと思っています。
(ダンジョンデザイン・小野塚英二さん)
最初は、好きなようにやって、
おもしろいもんが出来たらそれでええよ、
と言ってはったね。
でも最後は、自分の名前が前面に出ることを意識して、
恥ずかしいもんは出したくない、
と思ってたようですが・・・。
「馬を出したい」とよく言ってはって、
馬がお好きな方やから。
(スーパーバイザー・手塚卓志さん)
ぼくがゲームを作り始めてしばらくしたときには、
もう最初のゼルダが出ましたから。
だから、宮本さんの作った「ゼルダ」という箱庭で、
ぼくが庭師になって、あれこれいじらしてもろてる、
という感じでしょうか。
勝手にいじってええんやろか、という遠慮もありましたし、
ぼく自身には、この庭をこうしたい、というものは
ありましたけど、「そこ、切りすぎや」とか
「その木のカットのしかたが良くない」とか言われたら、
「あ、そうすか、すんません」
っていってしまうようなところもあって。
やっぱり、これは宮本さんのもの、っていうかね。
だから、どこまで宮本さんの期待に応えられるか、
同時に、ユーザーさんのご期待に応えられるか、
っていうことを思っていました。
(スクリプトディレクター・大澤 徹さん)
「宮本さんが語る宮本さん自身のこと」
しっかりせんとあかんと思って、
37歳、38歳くらいまでは
けっこうちゃんとした会社員をしてました。
40歳になったときに、
いつまでもこんなことしてたらあかんな、と思った。
ギターも、30から40くらいまでのあいだはずっと、
持ってただけで弾いてない期間が長かったし、
40すぎてからの5、6年前から、また弾き出しました。
糸井さんに最初に会った頃は、けっこうまじめな盛りでね、
そのとき糸井さんにも
「おまえら、もっと遊ばなあかんで」って言われて、
真剣に「そうだよなあ」って思いましたね。
「あかん、こんなにちゃんとしてたら人間だめになる」
って思うじゃないですか。
糸井さんはぼくに「一緒にピアスあけようよ」って
言ってくれはったんやけど、
さすがにそこまではぼくも思い切れなくて。痛いしねぇ。
「そうか、べつに遅刻するくらい、いいか」
とは思うようになった(笑)。
不良社員へのあこがれは、ありますよ。
でもね、責任感は強いから(笑)。
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