Sponsored by Nintendo.

 
イメージ
『MOTHER 3』の開発が中止になったことについての
糸井重里・岩田聡・宮本茂の座談会 その2

 
イメージ

糸井:
プロデューサーがその現場にいられない、
というのはものすごく大きいことですよね。
 
宮本:
岩田さんの場合はプロデューサーというより……

 
糸井:
プレイング・マネージャーですか。
つまり、岩田さんがずっと現場にいられたときは
足りないものに対して、
対処のしかたがツギハギでも、
その都度選択できた。
あるところまでできているものを
判断するのではなく、
ここが足りなそうだとか、
ここはもっと集中しなくてはいけないだとか、
チームの動かしかたにしても
今ムチ入れるだとか、今休ませるだとか
ずっといれば、できますよね。
それが、いないことでのやりにくさというか
そこでの時間的コストは
だいぶ違ったと思います。
 
岩田:
違うでしょうね。
たとえば昨年3月から毎月アメリカに行く、
ということが、もし、なかったら、
まる3ヶ月くらいはチームのために
自分の時間を使えていたかもしれない。
それが実際にはコマ切れになって、
離れて見えなくなっていった。
もちろん電子メールや電話で
連絡はしていましたし
自分なりに努力はしたつもりでいましたけれど
いくらそんな努力をしたところで
しょせん目の前で一緒に同じ時間を共有して
仕事をしているときとは訳が違いますから
当然、問題の発見は遅れますし
対処は後手後手に回るし、
ロスをしてしまって、結果として
みんなに回り道をさせてしまった面が
たくさんあったと思います。

 
糸井:
メールや電話で「こう進んでます」
と言うのって、
一回脳をとおして発表するという立場で
しゃべるじゃないですか。
だから気づいてないけど
こういうことが起こってるというのは……
 
岩田:
メールとか電話では当人が認識している
問題しかわからないんです。
当人は認識していないけれど
隣で見てればわかるような問題は
出てこないんです。
それが、早くわかるのは、第三者的視点と
経験のなせるわざだと思います。
それをほんとうは、対応できるように、
そういうことが出来る人を育ててなければ
いけなかったんですけれど……
HAL研というのは、一度会社が倒産しかけて、
再建をしなければならない、
という事情があったので、
その間は、人を育てるより結果を出すことに
エネルギーを注がざるを得ませんでした。
HAL研が昨年再建を達成したという
事実をみると、
そうしてきたことは正しいと思うし、
そのことについて申し開きをするつもりは
ないといういっぽうで、
もっと人を育てるところに
エネルギーをさくべきだったんじゃないか、
とも思うんです。
当時、何がほかにできたのか? とか
自分が今のようになることを
当時予測できたか? と言ったら、
できなかったのですが。

 
宮本:
そのほうがラクになる、というアイデアは
なかったんでしょうね。

 
糸井:
ないでしょうね。
 
岩田:
考えたりなかった、という気がしますけどね。

 
宮本:
目の前にあるものが多すぎた。

 
糸井:
あらゆるベンチャービジネスはそうでしょう、
おそらく。
ゲームソフトの会社というのは、
根本的にはベンチャービジネスの構造ですよね。
 
岩田:
任天堂の開発チームの構造も
ベンチャービジネスであって、
非常にリスクの高いことを
リーダーが判断して、
リスクテイクして、つくって、
結果を出す、という。

 
糸井:
リーダーが倒れたらおしまい、
というシステムですよね。
 
宮本:
ここ1年半の間、岩田さんにいろんなことを
お願いしてきたのは任天堂です。
その立場としては(岩田さんの現状を)
僕もわかっていたにもかかわらず、
わかっていながらやってもらうことも
必要だったわけです。
岩田さんに「無理すると倒れるよ」といいながら、
仕事を減らしてあげることはできなくて。
去年の6月から、うちのほうから人が行って
サポートするということを始めたんですけれど。
ずいぶん努力はしたし、
岩田さんもギリギリまで
がんばってくれたんですけれど
……難しいですよね、
岩田さんががんばれなかった、と言うと
そのかわりができる力のある人がいなかった、
という批判にもなってしまう。

 
糸井:
そういうことじゃないんですよ。
そのへんは、誤解を招くようなことを
言っちゃうんだけれど、
意味はそうじゃないんだよな、
ということまでしゃべらないと、
ちゃんと伝えることはできないですよね。
けどここ(ほぼ日)ではできますから。
やりましょう、せいいっぱい。
 
宮本:
僕らはね……こんなこと言ったら
怒られますけれど、
ゲームなんて、でき上がらないもんなんですよ。

 
糸井:
すごい発言だなあ!
 
宮本:
ほんとうに。ふつうにやってたら、
できないんですから。
あるんですよ、ちゃんとできていないのに
できたことにする、というのは。
企画書があって段取り通りに進んで
それだけの仕事が上がってて
バグがそこそこ、なければ、
それはできあがったことになる。
自分のプロデュースするものでも、
そういうことにならないように途中ずっと、
完成するためには何が足りない? とか、
完成したといえる品質にまとめるために
アイデアを出して
ディレクターを助けるとか、必死で作るんですよ。

 
糸井:
途中までぜんぜん出来るか出来ないか、
気づかないことも多いんですか?
 
宮本:
毎回が、新しいスタッフを入れての
チャレンジなので、
そのチーム編成でできるかとか
リーダーが育つかを見よう、
というプロジェクトもありますよね。
『MOTHER 3』のチームも
『MOTHER 2』から来た実績が
そのまま引き継がれるか、と思ったけど
だいぶスタッフの数も増えたし
何人かは抜けました。それを、
完成に向かって走るか、やめるかという
決断をせずにね、
「できる」とずっと思いながら来たんですよ。
でも、それは、いま思えば反省すべきだと
思いますね。

 
岩田:
そういう観点でいえば
ふつうのプロジェクトというのは
実験期間というのがまずあって
試作品をまずつくって
その手ごたえがよければ
正式に商品化が決定、
ということが普通なんですけれど
今回のケースはちょっと特殊でね、
はじめに『MOTHER 3』を作るぞ!
というのがありき、だった。
作ることが前提で、実験期間なしだった。
実験期間なしということに踏み切ったのは
『MOTHER 2』を作ったという
経験と実績があったからだったんですけれど
あの当時『MOTHER 2』をやった人を
全員、そのままチームのコア(核)として
スタートできたわけじゃなかった。
いろいろな事情で、当時あったけれど
今はないものということもありますから。
今の総合力を冷静に判断しなければ
いけないんだけれども、
宮本さんがおっしゃったように
「作らなければいけないんだ」
ということで、考え直すことなく、
経済的には、他のゲームをつくって
お金を稼ぎながら、
運営してこれてしまった。
 
 
イメージ
 
《 次のページへ 》