「コロコロカービィ」 〜落とすな、転がれ、ゴールまで!〜 プレイヤーが動かしているのは カービィが進んでいく世界そのものなんだ、 とわかったときが、転換点でした。 |
樹の上の秘密基地、新シリーズ第3回目、 「コロコロカービィ」開発秘話が続きます。 このゲームの担当ディレクター・鈴木利明さんは なんと、“ゼロからゲームをつくる”のは これが初めての経験だった! ゲーム完成に至る道のりを たっぷり語ってくださいました。 |
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──主人公のキャラクターには、 ほかにも候補があったんですか? 谷口: 今年の正月頃になってもまだ、 カービィではなかったね。 たしか「たぬき」だったと思うけど。 鈴木: 「玉コロ君」があって「猿コロ君」があって 「たぬき」、その次に「ヨッシー」バージョンも ありましたね。 新しいデバイスだという魅力があったので 僕らとしても、ぜひとも 新しいキャラクターを作りたかったんですよ。 それでいろいろ試行錯誤していたんです。 でも、新キャラづくりに腐心していて 内容のほうがおろそかになって 肝心のゲームをリリースできなくなっては しょうがないし、新キャラにしては「たぬき」というのも 華がないなあ、というので悩んでもいて。 そこで「カービィ」にしてみたらどうだろう? と ためしにスタートアップ画面をつくってみた。 そしたら、画面の中央にカービィがいるだけで パァっと印象が変わったんです。 |
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──カービィ、というのは、 |
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──カービィに決まったあとは、 製品にするためのブラッシュアップを 一気にしていったわけですね。 鈴木: ところがですね、 そのころ実際作っていた20か30くらいの(ゲームの)面は 製品版にはほとんど残っていないんです。 「カービィ」に決まってからが、 タコ部屋にこもっての…… 坂上: 血を流す日々ですよ!(笑) その苦労はぜひ語らせてください! ──つまり、そのころ作っていたゲームの面は 全部捨ててしまったということですか? 坂上: 使えなかった、ということですね。 鈴木: ゲームとしての密度がすごく薄かったんです。 このときに僕たちが「いい」と思っているレベルと、 最終的に製品として「いい」とするレベルに たいへんなギャップがあった。 アクションゲームって遊んでいるすべての瞬間に、 こっちに行ったらいい、こっちに行ったらまずい、 という情報が必要なんですよね。 ところが、そのことに気づいたのが やっとこのあたりからだったんです。 それまでは、ただ長い道を作って、 「そこを走るの、気持ちいいじゃん!?」 というふうに思っていたんですけれど、 プレイしてみると、やっぱり、ただ長い道を 走るだけのことなんです。 |
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──最初の一回は、それでも面白いかもしれないですね。 でも、何度も遊んだり、長く続けてゲームをするには 物足りなくなってくる。 鈴木: そういうことです。 このゲーム、第一印象がすごくいいんですよ。 触ったときにはみんな「うおお!」と叫ばんばかりに 喜んでくれるんですけれど プレイしていくうちに「単純だなあ……」 というふうになっていった。 「バランスが悪いんちゃう?」なんて言われちゃう。 坂上: 最初はハードの面白さで 「これ、いけるやん!」となるんですけどね。 そこからあとがね。 鈴木: それまで僕たち、移植といいますか、 「スーパーマリオデラックス」という ゲームボーイカラーのソフトを 作ったんですけれども、それなんかは 元の面白さが保証されていた。 移植するにあたっての制約はありますから 面白さをどう解釈するかとか、 その面白さを損なわないように持ってくるという 努力はしてきましたけれど、 一から組み上げたものは…… 坂上: これが初めてやったもんね。 鈴木: “任天堂新米ディレクター・担当ソフトで四苦八苦!”の いいドキュメンタリーになったような……(笑) 坂上: じゃあワタシなんか “そこについていったアシスタントはこうなった!” ですよー。“家族離散!”とかー(笑) ──そ、そんなにたいへんな作業だったんですか? 鈴木: そこまでじゃあないです!!(笑) |
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──広報部のかたが、みなさんが食堂で アイデア集めをしているのによく遭遇したと……。 坂上: それが去年の6月くらいですね。カービィになる前の 段階だったんですが、みんなでよく集まっていましたね。 脂汗たらして、アイデアを100枚くらい集めて、 みんなで審議するんですよ。 鈴木: 100枚中99枚は、却下でしたね(笑)。 坂上: アイデアがあっても、デバイスの処理能力のことも ありますし。 鈴木: ただ、ボツになったアイデアも、解釈をかえて 取り入れられていると思いますよ。 たとえば、アイデアの一つに 「野球のバットを振ってるやつがいて……」 とかあるわけです。 なんでカービィで野球やねん! ということで それは却下されるわけなんですが、 なぜバットを振らせたかったのか、という、 どうしてもやりたかった遊びがあるわけです。 その部分はアイデアとして盛り込まれているんですよ。 |
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開発チーム、当時の記念写真 |
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──いまある最終形の“コロコロカービィ”になった 瞬間があったと思うんですが? 鈴木: 光が見えたのは、はね上げてバンパーが一斉にバンと飛ぶ、 という“発明”があったときですね。 はね上げるとカービィがジャンプする、というのは その前段階でできていた。 主人公だけが飛んでいたわけです。 谷口: それが、周りのもの全部がバン! と飛び上がる、 それは劇的な変化でしたよ。 鈴木: プレイヤーが動かしているのが、 カービィが進んでいく世界そのものなんだ、 ということが、そのことによって確立したんです。 それから、それに合わせたアイデアは何があるか? って もういちど練り直したんです。 バンパーの色が変わるだとか。 そのことで、盛り込もうとしたアイデアが倍になった。 だから、もういちど、アイデアを半分に整理し直したんです。 これが、その“苦難の時代”の写真なんですが、 プログラマーさんと一緒の部屋でアイデア出しをしよう、 という“タコ部屋アドバンス”の時代ですね(笑)。 ゼルダとかマリオも同じ作り方だと思うんですけれど、 壁にアイデアを一個一個貼りだしていくんですね。 コースの数は、マリオと同じ、4コース×8ワールドで 32コース。それだけは最初に決めたんです。 そこに、どんなアイデアを盛り込むか、というふうに 考えていったんですよ。 あとから、たとえば「砂の面」は集めようとか、 そういう“アイデアを編集する”作業をしていって。 砂・水・氷というふうに系統だてができたとき またひとつ、世界が開けた感じがしましたね。 |
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壁に貼りだされたアイデア・メモ |
僕らが遊んでる「コロコロカービィ」には こんな苦労があったんだなあ……。 次回は、さらに詳しく いろんなこと、お聞きしますよ! お楽しみに! |
2000-10-14-SAT