(第4回の1)
「最近ではめずらしい、ゲームらしいゲーム
が出来ました。でも初めはぜんぜん評価して
もらえなかったんです」
(岩田聡社長)
会社創立は1980年です。
今年で19年目、来年20周年を迎えるんです。
これがハル研究所(以下ハル研)の
通算何本目のゲームソフトかと聞かれると、
ぼくらもちゃんと数えてみたことがないんですよ。
初期のパソコンゲーム時代のころのものなんかは特に、
1本ってどう数えるかもけっこう難しいのでね、
簡単には言えないですね。
岩田聡さん
よく使うキャラクターはマリオ
「開発のときからいちばんなじんでいるから」
(編集部註:岩田社長、あ、いつも呼んでるように
岩田さんと呼ばせてもらってもいいですよね、
岩田さんはハル研究所の社長であると同時に
実は「ほぼ日」の電脳部長を引き受けてくれてもいる。
いつも東京で会っているんだけれど、
「ほぼ日」が山梨のハル研にお邪魔するのは
今回が初めてだったんです。
山梨はいいなあ、山はいい。富士山もバッチリだ。
とても清々しい気分で、このインタビューは始まった。
山梨で会う岩田さんは、やっぱりいつもよりも
ちょっと多めに社長さんな感じがする。さすがである。)
(岩田さんの話は続いている)
私はファミコンの仕事を1983年からしているんですよ。
最初は、任天堂という会社が、
なんかすっごくおもしろい機械を出したっていうんで、
へぇって思ってて。
で、たまたまハル研が出来たときの
母体のひとつになった会社が
任天堂と親しく取引をしていたのでね、
そのひとを通じて紹介してもらって、
なんか仕事させてくださいよ、っていって、
1本仕事をもらったのがきっかけでした。
ファミコンが出る前のハル研というのは、
パソコンのゲームをつくったり、パソコン強化ハードを
作ったり、いわゆる周辺機器ですけれどもね、
そういうものをつくっていた会社でした。
ゲームをつくる以外のこともずいぶんしてましたね。
その後、ゲームを軸にやろうという意志決定がなされて、
ゲームづくりに集中するという会社の体制になったのです。
(ディレクター 桜井政博さん)
今年の4月から、9年めに入ります、たしか。
入社したのが19で、今がだいたい(笑)28、なので。
(編集部註:だいたい、って、なに?ま、いいか(笑)。
桜井さんはハル研内で1、2を争う2枚目なのである。
ウワサでは、仕事中いつもバンダナを巻いているとか。
今日はしてないみたい。見たかったけどちょっと残念。)
(桜井さん、構わずどんどん話している)
自分でディレクターをやったのはこれが4本目ですね。
いちばん最初がGB版の「星のカービィ」で、
次がファミコン版、その次がスーパーファミコン版と
バージョンがあがってきて、64になって
初めて「違うことしていいよ」と言われたので
これをやりました。
もちろん、それまで他の企画をぜんぜん書かなかった
わけじゃないんですけど、結果としてはずっと
「カービィ」をやってた、という感じですね。
桜井政博さん
自分でプレイするのはファルコン
「いちばん男らしいから(笑)」
「スマブラ」の発案は、私です。
最初に企画書をあげたのが、
96年10月ごろだったと思います。
岩田がプログラムを組んで、私がモーションとモデルを
つくった、いちばん最初の頃のものなんですけれども。
(編集部註:スマッシュブラザーズのことをスタッフは
「スマブラ」と略して呼んでいるそうなのです。
縮めて呼んでもらえたら、勝ったも同然、って感じ、
しますよね。キムタク、スマスマ、スマブラ、ね。)
(岩田さん)
「ペプシマン」って仮に呼んでみたり、
会社の窓から見える甲府盆地と富士山の風景になぞらえて
「対戦格闘ゲーム竜王」って仮称してた、その時代ですね。
(編集部註:竜王とは、このハル研のある竜王町から
とった名前だそう。聞くだけでめちゃめちゃ強そうに
思える格闘ゲームですね。)
(桜井さん、竜王をプレイしながら)
画面の上に蓄積ダメージが出る見せ方も、
敵をはじいて技を出すところや、ダメージがたまってって、
次第にふっとびやすくなっていくというアイディアも、
当初からすでに出来ているものでした。
これとは別に、アクションアドベンチャー風の企画も
同時進行していました。
紙の企画書で2枚と、ロムでテストヴァージョンをつくって
持っていったものが2つ、それぞれを一昨年の5月に
任天堂にプレゼンテーションしました。
どっちもそれなりに好評だったようなのですが、
そのときそこで残ったのは、もうひとつの
アクションアドベンチャーのほうだったんですよ。
だけど、それまでNintendo64のソフトを
一本も世の中に出していなかったハル研としては、
これから新しく作るならなるべく即効性のあるものがいい、
できたらクリスマスには出したい、ということになって。
クリスマスに出すということになると、その時点で
だいたい1年1ヶ月くらいの開発期間だったんです。
その限られた時間のなかで仕上げられるものといったら、
むしろこっちの対戦格闘のほうだ、
ということになったんです。
もちろん、それだってギッチギチにがんばって、の
前提だったんですけどね。
そうして、このゲームの開発がスタートしました。
任天堂のキャラクターを使わせてもらうというのは、
そのあとで決まったことでした。
(編集部註:ちなみに、この「スマッシュブラザーズ」、
単純に格闘ゲームと呼ぶのは適切ではないらしいです。)
(桜井さん)
「任天堂キャラ」が「格闘」するゲーム、っていうと
それだけで「え?」って引くようなイメージが、
なんとなくあるじゃないですか。あると思うんですよ。
「格闘ゲーム」っていう言葉だけだと、
すでにある先入観をどうしても持たれがちなんですね。
ただ、このソフトは単純な「格闘ゲーム」の括りに
収まりきらない部分も多いんです。
むしろ、作ったぼくたちも、任天堂サイドも、
このゲームは「対戦アクションゲーム」だという
認識でいます。
格闘系のゲームって、
ほかのジャンルとちょっと違う要素がありまして。
普通のゲームの場合は、
例えば主人公キャラクターがひとりいて、
その主人公を軸にしてまわりが広がっていく、
RPGだったら、最初の町があって、
まわりの人物を紹介して、
先に進んでいくにつれて世界も広がって、
という展開を見せていきますね。
格闘ゲームは、主人公がいきなり8人いたりするんですね。
しかもそれぞれが、キャラクターとして
立っていなきゃいけないでしょう。
家庭用の格闘ゲームで有名なものといったら、
「ストリートファイター」とか「鉄拳」とか、
「バーチャファイター」とかですが、
これらはまずアーケード(ゲームセンター)で人気がでて、
それが自分の家でも遊べるという流れをつくって
浸透させていくことがヒットへの鍵になるわけです。
最初から家庭用に作られたオリジナル格闘ゲームだと
認知されるまでがたいへんなんですね。
しかも、人気の高い格闘ゲームはみんな、
キャラクターが実に個性豊かです。
お客さんにはそれぞれひいきのキャラクターがいて、
ゲームのなかでのキャラクターの要素はとても大きい。
だから、ゲームを作るうえでは、
いかに、8人とか16人という数のキャラクターを、
それぞれの持ち味を消さずに目立たせ、認識させるかが
重要になってくるんですね。
家庭用オリジナルの対戦格闘ゲームで、
これまでヒットしたものはあまりない、なんて
言われたりもしてましたから、
このゲームがそうならないためにも
どういう対戦格闘のゲームであるべきか、
という点については慎重に考えましたね。
64ソフトのラインナップにニュース性を持たせること。
他のゲームに真似のできないセールスポイントがあること。
など、いろんな可能性を考えてみて、結果的に、
「任天堂キャラクターがバトルロイヤルする」
という手を選んだわけです。
この考えに賛同するひとがいてくれて、
そして何より、こういうゲームを待っていたお客さんが
きっと大勢いる、ってところで自信もありました。
実現するためには、岩田にもいろいろ動いてもらったし、
宮本さんはじめ任天堂さんのご理解ももちろん必要でした。
(岩田さん、どういう交渉をしたのでしょうか)
宮本さんに「マリオを貸してください」と
お願いするときのための準備として、まず、
キャラクターが4人だけ出ているヴァージョンを
スタッフを集めて作りました。
マリオとドンキーとサムスとフォックスだったっけ?
(編集部註:マリオはもはや説明の必要なし、ですよね。
ドンキーはドンキーコングのこと。
サムスというのはメトロイドに登場する戦士、
フォックスはスターフォックスの主人公です)
(岩田さん、続けて)
正式なご了解をいただくまえに、
マリオってどういうキャラクターなのか、どう動くのか、
フォックスって、リンクって、どう動くべきなのか、
個々のキャラクターの動きの分析をスタッフなりに考えて、
スタッフなりにイメージすることに努めました。
宮本さんにOKをいただくには、
第一印象がすべてだ、と思っていましたから。
最初にお見せするもので勝負しなくちゃだめだと。
「このスタッフにだったら、任せてもオッケーだ」って、
思ってもらわなければね。
ましてや、今回は新しいゲームに
チャレンジしようとしていたわけです。
マリオは確かに今までもいろんなもん殴ったり蹴ったり、
跳んだりはねたりしているわけですけど、
今までと違う文法のことをするわけだからね、
任天堂オリジナルチームの手助けがなくても
ハル研は自力でこれだけのことが出来るのだから
自分たちが開発に協力したら、
十分ハードルが越えられるなって思ってもらわないと。
言ってしまえば「看板貸せ」って言ってるわけですからね。
ですからスタッフもそうとう気合いいれて、
プレゼン用のテスト版をつくりました。
それって勝手に作ったんですよ、言ってしまえば。
いや、もちろん、ほんとは勝手にじゃなくて、
宮本さんにはその前に相談をしていたんですよ。
でもやっぱり、一回お願いしたくらいじゃ、
オッケーにはならなかったんです(笑)。
一度目の交渉ではNGをもらっているんですよ。
じゃ、作ったもので納得してもらうという正攻法が
いちばんいいと、改めて思ったわけです。
宮本さんにはこのように言われました。
「2つ返事でOKするというわけにはいかないよ。
『これはマリオじゃない』って
ぼくらが思ったらそれはそれでだめだし、
逆にすっごくいいものが出来たとして、
そのすっごくいいものを足してもらえたときにも、
それはそれで、今後のマリオは
それを全部引き継がなきゃいけなくなって、
そんなことが出来るかどうかわからないし。
だから、結構うまくシンクロしないといけないんで、
むずかしいと思うんだよ、他の方法はないの?」ってね。
ちょうどそのころ任天堂では
「マリオパーティ」というハドソンさんのマリオシリーズの
ボードゲームの企画が決まったころだったんですね。
でも宮本さんとしても、ボードゲームのキャラクターとして
マリオを使うことにOKするのと、
マリオが跳んだりはねたりするアクションゲームで
OKするのとでは、ハードルがちょっと違ったんだと
思います。
だけど、ぼくらはぼくらなりに、それが最善の結論だって
ディレクターが強く思っていたからね。
簡単に引き下がるわけにはいかなかったんです。
(桜井さん)
でも、ぼくにしてみたら、宮本さんがそう言っている、と
事前に情報として伝えられたのであれば、
キャラクターを貸してもらうことはあきらめたでしょう。
そしたらこのゲームは生まれていなかった。
宮本さんとの話を僕に伏せたというのが、
岩田の、その局面での舵のとりかたであったわけですね。
もちろん、「マリオパーティ」をつくっているってことも
知らされてませんでしたし。
宮本さんとしては、このソフトについて
口出しとかをする気はあんまりなくて、
とりあえず好きなようにやってみろ、というような
スタンスだったんじゃないんですかね。
でも、もちろん、中身に関して難点があれば、容赦なく
発売をうち切ったりすることはあったんでしょうけれども。
いえ、直接そう言われたわけではないですよ。
そんなプレッシャーを与えられたりはしませんでしたが。
現在無事に発売されているということは、
中身については面目は立ったということでもあると思います。
情報だけで受けるゲームの印象と、実際にゲームを
遊んでみるのとでは、ぜんぜん違うみたいですね。
だから最初にプレゼン用のテスト版を作ったっていうのは
その意味でも成功していて、それをせずに
「任天堂キャラで対戦格闘ゲームです」っていうことを、
ただ働きかけても、たぶんだめだったでしょうね。
(岩田さん)
宮本さんに「ああ、これ、遊べるね。悪くないね。」って
言ってもらって、これなら進めてもらってもいいねぇ、って
いう反応をいただいたときは、本当によかったよね(笑)。
これで先が見えたな、と思ってすごくほっとしましたよ。
(桜井さん)
作っている最中は、任天堂の方たちに対して
競争意識のようなものは感じませんでしたけれど、
オリジナルをつくった人たちの顔が浮かぶんですよね。
マリオとか、リンクとか、いままで何年間も携わってきた
ひとたちっていうのが、必ずいるわけじゃないですか。
ユーザーもそうだけど、まずそのひとたちを
裏切っちゃいけないなってことを思っていて、
それはもちろん、大きなプレッシャーになっていましたね。
(岩田さん)
だから、すべてのキャラクターの原作者たちに
ちゃんとスジを通したいっていうことを、
彼はものすごく強く意識していたんですよ。
開発中、ものすごく忙しくて、ぜんぜん余裕がなくて、
彼の元に仕事はうず高く積もっているのに、
原作者のだれそれさんにこれを見せに行って了解をもらう、
ということについては、一生懸命時間をとってましたね。
桜井も、カービィっていうキャラクターを生み出して、
結果的にそれが、ライセンス商品などいろんな形になって
使われていくじゃないですか。
だけど、そのなかには彼の意に添うものもあれば、
意に添わないものもあって、それは当たり前なんですね。
キャラクターって、そういうことが必ず起こるわけで。
だけど彼は自分のやる仕事としては、
オリジナルの作者に意に添わないって思われることは
極力したくないって強く思ったみたいで。
どこまでそれが相手に伝わったかはわからないけれど。
(編集部註:「星のカービィ」は、ハル研最大のヒット
シリーズです。桜井さんはそのカービィを作って、
育ててきたディレクターでもあります。
もちろん、この「スマブラ」にも、
カービィはキャラクターとして登場します)
(岩田さん)
このソフトってスキが多い、ある意味で欠点のある
ソフトでもあるんですね。
短い時間でつくらなければならなかったし、
ありとあらゆるところをデラックスにするっていうことを
指向して作った、というものではなかったので。
それは時間的にもそうだし、
コンセプト的にもそうだと思っていたので。
だけど、欠点があっても、うんと面白いところがあって、
遊んだひとがそのときに気持ちよかったり、
ワイワイ騒げたり、ああ、すっきりしたって
言ってくれたりすれば、
それは価値がある商品だと思うんだけれど、
今の評価システムってのは減点法だから、
ここが欠点だ、ここも欠点だ、って引き算をしていくと、
その欠点を上回るいいところがあっても、
なかなか見えてこないですよね。
もちろん、すぐに「スマブラ」のおもしろみを
理解してくれた人もいるのだけど、
逆にものすごくネガティブに
このソフトを評価してしまったひともいてね。
まあ、こういうひとも、実際に遊んでからは
いい方に印象が変わっていったんだけど、
理解される前はけっこう辛いものがありましたね。
桜井も、発売の前はかなりナーバスになりました。
ネズアナに行って、糸井さんに愚痴聞いてもらったり
しましたっけ(笑)。
その節は、お世話になりました(笑)。
でも、桜井は開発中、いつも言ってたんですよ。
「ぼくは、ゲームがつくりたいんです」って。
(桜井さん)
斬新なソフトはあってもいいし、これからのソフトが
より斬新さを求めて進んでいくのは構わないけれども、
自分はゲームをしたい、ゲームが作りたい、
っていうことをとにかく強く思っていて。
なので、「ゲームらしいゲーム」をただひたすら
楽しめるようなものにしようと思っていました。
シンプルな、「素のゲーム」みたいなものを出したかった。
シンプルで、でも遊び込むほど、やりこむほどに
奥の深さがどんどんわかってくる、というものをね。
イベント主流でもないし、3Dスティックとかに
すごく依存したものでもない、シンプルなゲーム。
いわば遊び場みたいなものですよ。
他のソフトによく、小説とか映画のような、という
たとえ方がありますけど、これは例えるなら、
砂場とか原っぱ、ですね。
(岩田さん)
遊び場、砂場であり、
また、ボール、トランプみたいなものだったりね。
それはすごくそうなったと思います。
こんなにゲームらしいゲームが出来たな、って。
最近、ゲームらしいゲームって、
あまり成功してないんですよ、実は。
これだけ成功した、ゲームらしいゲームなんだもの、
作り手は十分胸をはって誇っていいんじゃないか、と
思ってるんですよ。
(編集部註:遊び場のようなゲームっていう例えが
とても面白かった。
と、同時によく言われる「ハル研の技術力」を
もってすれば、多少の困難があっても、道は拓けるのだ。
ディレクターの強い意志と、それを実現する高い技術が
この会社を支えているのだと思いながら話を聞いていた)
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