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樹

「ポケモンスナップ」
 開発したのは、業界初の公募による
 完全自立型プロジェクトチーム
 「ジャックアンドビーンズ」でした。
 「樹の上の秘密基地」第5弾は、
 今回もここでしか読めない秘話が満載の
 超ロングインタビューを、5回にわたって
 お伝えしていきます。

 

第3回は、日毎に重苦しく煮詰まっていった開発者たちを
プロジェクトの生みの親である岩田さん、宮本さんが、
どう叱咤激励し、どう立て直していったのか。
もちろん、スタッフにも同時に語っていただいていますよ。


(第5回の3)
「 写真を撮るだけでゲームになりますか?」


宮本さん:(以下宮本)
誰もしていなかったことをやるんだ!
って集まったはずなのに、
「本当にこれでゲームは出来上がるので
しょうか?」
とか、
「完成したときに面白いですか?」とか、
作ってるあいだに何度も聞かれたのは、
正直いってちょっと驚きました。

岩田さん:(以下岩田)
宮本さんが東京に来られるたびに、
「宮本さんがかつて成功させてきた、
他のゲームと比べてみて、これの手応えって
どんなものでしょうか?」って
聞くんですよ、みんなが。

宮本:
一番端的な例では「写真を撮るっていうこと
だけで本当にゲームになるんでしょうか?」
っていう疑問を彼らが持っていたこと。
そこへの不安から、写真を撮るだけじゃなく
マリオのように、ついあちこち歩き回って、
いろんなことをしてみて、というふうに、
どんどんゲームを拡大するというか、
いわゆるゲームらしくしようとする傾向に
なるんですよね、会議が。
「そういうことしなくても大丈夫やから。
みんなと違う土俵のものを作れば、
逆にこのゲームから全く新しい、メディア
というか、新型絵本とでもいうような、
そんなものになれば理想やと思うし、
僕なんかは今、64で『地球儀』を作りたい
と思うてるくらいなんやから。
ほんまにそう思てるのやから。」という話を
したことがありますよ。

猪ノ口 幸治
ディレクター

作ってる間は進めることで精一杯で、
途中はものがよく見えてなかった
という状態でしょうか。
写真を撮るゲームって
一口にいってもそんなゲームは
まだ世の中にないので
どうなるかなんて
分からないじゃないですか

「本当にゲームになるのか?」という
ところから始まって。
写真を撮って、それがゲームなんだ
という部分がまず新しいですから、
作る過程は面白かったですね。

岩田:
最初に、写真を作るゲームは絶対イケる
という保証を、私がしたんです。
それは、自分なりに今までやってきたことの
なかで、こういう手応えの延長上に、
遊びのサイクルを組み立てられるのが
自分なりに見えていたからです。

宮本:
ぼくと長年一緒にやっている、手塚という
優秀なディレクターがおりまして(笑)。
何回か一緒に連れていって、彼にも見せて、
感想を聞いたりしたんです。
彼に聞いても、「いや、よくなりますよ」
って言うんですよ。
その頃から「きっとよくなる、いいものが
出来るはずやから」というふうに、手塚も
けっこう支持しててね。
うち(註:任天堂情報開発部)のなかで、
何作か動いてるラインのなかでも、彼は
期待のソフトにいつもジャックを上げて
ましたからね。
けど、現場は全然信じてなくて。
そのギャップはありましたよね。
取り組んでるテーマは悪くなかったし、
みんなが考えてることにもっと自信を持てば
いいのに、彼らが抱えていた不安として、
これじゃ完成しないんじゃないか、みたいな
問題が、一番大きなことやったんですよ

編集部:
つまりそれって、それまで彼らがゲームを
完成させたことがなかったからなんですね。

宮本:
うん。
完成させたことがなかったからなんですよ


山本正宣
デザイナー

作っているあいだは長かったですね。
特にゲームの方向性が決まるまでが。
始めてからわかったんですけど、
ゲームって、作っては壊し、作って
は壊し
っていうものだったんですよ。
これはなかなか慣れなかったです。
僕はそれまで、どっちかっていうと
油絵みたいな作業の進め方でものを
作ってた
から。
一度作ったものを壊したり、捨てたり
することには、かなり抵抗があったん
ですよ。
それが仕事だ、と割り切れるまでに
時間がかかりましたね。
進まないことで気分も落ち込んだし、
チームのなかの空気も重たかった。
ますます沈んだ気持ちになりました。
方向性が見えないまま、
歩いても歩いても出口が分からなくて、
いつまでたっても出来ないのでは
ないか、という感じがしてました。
やっと写真を撮るゲームと決まって、
じゃ何を撮るか? っていうところで
また、見えない状態が続いていました
からね。
作る目的が見えた時点からというのは
たいへんでもあったけど、ある意味で
楽にもなれたんですよ。


岩田:
64のソフトを完成させた経験というのは、
それまでチームの誰も持ってないわけですよね。
なかにはゲームを作ることそのものが、
今回初めてっていう人もいたんですよ。
そういう人を含めて、ゲームの完成経験、
ゲームにおける成功体験のないみんなは、
ゲームというものが、どのように面白く
なっていって、どうまとまっていくのか、
ということがわかっていないから、
とにかく不安が先に出てしまった。
私なんかは「開発って楽観的に考えないと
やってられない仕事じゃないか」と、
みんなによく言っていたんです。
「これでなぜ、そんなにダメだとお前たちは
言うんだ」というくらい、ダメだと思って
いる人が多くて、じゃあ、なぜ、ダメだと
思ったかというと、その人たちは頭のなかで
ゴールまでつながる線が引けなかったんだと
思うんです

もちろん、イケると思っている人も
なかにはいたんですけれど、その人も
ゴールまでこのように線がつながるよ、って
いう説得ができなかったんですよ

現に、宮本さんが帰った後で、
企画の人と他の人の意見が割れて、
「宮本さんの言うことなら信じるけど、
君の言うことには説得力を感じられない」
って発言してる人がいたりするわけですよ。

宮本:
例えば、アクションゲームの案をしきりに
出してくる人がいたんですけれども、
ジャックのチームの体制というのは
アクションゲームを作るのに向いた体制では
なかったのね。
ぼくの経験的には、そこの体制に応じた
テーマを選んだほうがいいから
というので、
いくつか無視した企画もありました。
ま、そういうことって、真意はなかなか
伝わらないものですから、
ぼくの企画はさっぱり理解してもらえない、
なんて思ってたかもしれないんですけど。

岩田:
企画の選択というのは、企画そのものの
優劣だけじゃなくて、チームの特徴や構成に
合った企画であるかどうかも重要ですから。


川瀬シゲゾー
デザイナー

一年前の今頃が、チームとしては結構
辛かったんじゃないかなぁ。
僕はこのチームをつぶそうと思った
ことが、4、5回あるんですよ

このままやってても、多分、モノは
出来ないだろうと思って。
でも、新しいものをやるにしても、
終わりまで見てみたい気持ちは
あったんで、いったん終わらせるなら
終わらせて、早く次のことを考えたい
という思いも強かったです。
だから、誰かに「終わり」
って言ってもらいたいなあ

なんて。
岩田さんにも何度か
「もうこのチームはダメだから」
みたいなことを言っていたんですよ。
チームのなかでもいつの間にか、
コミュニケーションの形としては
間違ってるよなあ、という状態が
できあがってしまっていたんです。
どう思うか、という意見を聞いても
自分の考えは秘密にしておく、と
いう空気が生まれてきてしまって、
お互いに言いたいことを言わなくて、
心のなかだけで思ってるみたいな。
それはそれで分かってたりする部分も
あるから、辛かったですよね。

 

 

宮本:
そのころ任天堂の内部でも、ジャックに
対して、任天堂社内で手の回りきらない
企画を手がけてもらったらどうか、という
意見もありました。
でも、僕が社内に向けて言っていたのは、
ジャックというのはウチが夢を託す人たち
なんで、独自のことをやらせてあげないと
意味がない
、と。
ちょっといいカッコなんですけどもね。
だから余計に、スタッフに対しては、
君たちがもっと「ゲームみたいなもの」を
作りたいと思うんなら、そうしてたほうが
よかったんで(笑)、でも違うでしょ、と。
「だったら違うものを作ってよ」って。
彼らに直接は言えないんだけど。

岩田:
宮本さんがたびたび仰っていたのは、
「これはジャックでやる企画じゃないね。
ジャックは新しいものを作るために
集まったチームなんだから、こういう
ふつうのゲームはやめておきなさい
」って。

宮本:
僕がもしそのチームにいたら、そんなことは
したくない、ということを素直にぶつけた
言い方だったんだけれども、現場にすると
「いったいどうしろというんだ」って、
思われたやろね。

岩田:
だからね、結果的にはその一言があったから
「ポケモンスナップ」ができた
と思うし、
逆に言えば、その一言があったから
彼らは苦しんだ
んですよ。


関森一紀
プログラマー

ちょうど昨年の今ごろだったかな、
岩田社長に呼ばれました。
助っ人としてジャックを手伝うことに
なったんです。
入ったときは何かこう、チーム全体が
煮詰まっている感じがしましたね。
考えてみたら当たり前の事で、だから
手伝うように言われたので、そういう
ものなのかな、という気も
しましたんで。
ただ、みんなが煮詰まっていた
時間が長かった
ものですから、
正直に言うとヤバイかな
という時期もありました。
モノをつくるのに、勢いというものは
やはり必要ですよね。

 

 

 


宮本:
僕は、ジャックには完全に爆弾になって
ほしかったんです

たとえそのまま不発に終わってもいいから、
とにかく、爆発したときにはみんなが
ビックリするものを作ってほしかった。
結果的には、ポケモンを使ったゲームを
やってもらうことになって、当初の意図から
少しずれたかもわからないんですけれど。
荒削りでいいっていう商品でよかったのが、
かなりプロっぽい仕事に仕上がったのでね、
ま、結果的には一長一短あったかな、と
思うんですけどね。
僕にとっては「爆弾」でよかったんですよ。
「最悪、どうしてもダメなときには、
チームをたたんじゃうぐらいのつもりで
やりましょうよ」って言ってて。
こんなぶっそうなことを言って、
岩田さんをずっと脅していたことに
なるかもわからないんですけど(笑)。

岩田:
私自身は「結果を出さずにたたむなんて
絶対にしたくない」と強く思ってましたから
宮本さんに「たたんでもいいじゃない」って
言われても、もちろん素直にうなずくなんて
出来ませんでしたよ。
そういう気持ちで、というのは理解できても
そうなってたまるか、と思ってましたもん
宮本さんの心のうちをスタッフは知る由も
ないわけですから、彼らにとっては
余計なお節介だったかもしれませんね。
彼らが悩んでたときにはね。

宮本:
せっかく登る蔓(つる)が見つかったのに、
切らないでよ、って。
これでやっとはい上がろうと思ったのに、
これは登ったらダメって途中で切られて、
また新しい蔓を探さなあかん、って、
思ったでしょうね。

加藤博孝
プログラマー

ぼくはパックスという別の会社にいて
去年の10月に手伝いで来たんです。
ある意味では、それ以前のみなさんの
苦労を知らずに、いいとこだけを
味わわせてもらったな、と思います。

最初は写真を撮るゲームだということ
しか、知らなかったんですね。
実際に見たときには「こんなのって
ありか!?」
と思いましたね。
自分がそれまでゲームを作ってきて、
考えたこともない切り口だったんで、
すごく斬新だと感じました。
そこにポケモンが絡んできて、
もちろんポケモンのおかげで魅力が
増すわけですが、ゲームの根本が
今までありそうでなかったことで、
やれそうでやってなかったじゃん、
って思って、これ、すごい!って。

僕が入ったときには、プログラマーは
3人しかいなかった
んです。
「これをよく3人で作ってたな」って
思って、びっくりしましたね

加藤さん

 

 


 


ほんとにこれでゲームになるんだろうか?
スタッフも岩田さんも、我慢の日々が続きました。
次回、チームは空中分解の危機を乗り越えて、完成に向けて大きく動き出します。
彼らがつかんだ手応えとは? 次回もお楽しみに。


1999-6-1-TUE


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