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宮本茂が語る。
〜今思うこと、5年後のこと〜
 第1回 宮本茂が語る、1999年9月。


みなさん、長らくお待たせしました。
「樹の上の秘密基地」は今日から新連載のスタートです。

よく晴れてまだ暑い9月のある日、京都の任天堂に行って、
宮本茂プロデューサーに会いました。
『ゼルダの伝説 時のオカリナ』発売以来1年ぶりの、
そして1999年では最初で最後の、独占インタビュー!
京都から世界に向けてメッセージを発信し続けている
宮本さんの話を、今回はたっぷりとお届けします。

まずは意外にも巨人ファンだという話から・・・。
ごぶさたやね。半年ほど前に事務所に行って以来やね。
お元気でしたか?
途中30分くらい、ちょっと抜けちゃいますけども、
いいですか?
社長に呼ばれたわけやないんですけど、
「恐いからついてきてくれ」っていうひとがあって。
すんません。
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あ、こないだは1101.comのTシャツをありがとうございました。
そうか、今日着てくればよかったね。
 

糸井さん、お元気ですか?
糸井さんの最近の「イトイが流行っていた」っていう話は
面白かった。
そこまで書いてしまうわけですか、っていう気もしたけど、
出したかったのよね。
すごい勢いだよね。
最近会ってないんで、なんか会って話をしてるようで、
「得やなあ」と思ってました。

巨人のことはなんて言ってはります?がっかりしてはる?
ぼく? ぼくはね、最近、
プロジェクトマネージャーとかディレクターとかしてると、
「事故を未然に防いでおく」ということが、
その仕事のほとんどのような気がするのね。

で、出た結果に対して、いろんな評価があるでしょう。
だいたい、いろんな評価のほとんどというのは、
事故を未然に防いだことに対しては与えられないんですよ。

それは当然ですよね。
未然に防がれているからわからへんので、
目に見えないからね。
でも、結果としてほめられたことを
次にやれば、また次もうまくいくんじゃなくて、
次にやることっていうのは、また前回同様、
目に見えなかった部分をちゃんとうまくやることが
すべてなんですよね。

それが、いろいろおだてられたりしてるとね、
なんかこう、結果としてうまくいったことが実績みたいに
自分で思ってしまう。
で、次にまた現場に入ってずっとやってると、
そこでは事故を未然に防ぐ作業をしてることに気づくんです。
で、初めて「あ、これが本業や」と思う(笑)。
これがちゃんと出来てるか出来てへんかで決まる、
みたいなとこがありますよね。

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だから、自分が現場を離れられへんのは、
離れてると、どんどん言ってることが理論になってきてね。
例えばどこかから「セミナーでしゃべってくれ」と
言われるのがイヤなのは、
そういう場では、どうしてもきれいにしゃべろうとするから
言葉も整理されててね。
「あったかみ」がないのよね。
振り返って整理するってことは非常に重要なんやけども。
そうするとね、また次にやることは、やっぱり、
事故を未然に防ぐっていう作業を繰り返すことなんです。

長嶋さんの野球を見てると、
「事故を防ぐ」ということに関しては
ほとんど無配慮なんで、昨日なんかももう、
ひっくりかえっていたんです。
「勝つ気はないのか」って(笑)。
最後のがんばりなんで、応援したいんやけれども。
土壇場になって盛りあがってきてね、
逆転優勝とか、もし万が一にもあって、
「奇蹟の!!」とかって大騒ぎしてもね、
もともと勝つはずのチームが最後に勝って、
それを「奇蹟や」言うても、
そんなん今までがどんくさかっただけで、
作られたドラマ以前の問題や、と思ってしまいますよね。
昨日なんか久しぶりに最初からちゃんと見たのに。
もう、がっくりしてしまって(笑)。
おとついの試合かて、勝つには勝ったけども、
指揮官っていうことからみたら、ぜんぜんだめですよねぇ。
 
このまえ8人投げたときがあるでしょ。
あのとき、うちの子供に一生懸命説明をしてたんですよ。
「世の中っていうのは、確率の連続で動いてるもんや」と。
中学校2年になったので(笑)。
 
「何かひとつ手を打ったときに、
野球の打率でいえば、3回に1回しか成功せいへん。
3回に1回しか成功せいへんということは、
新しい手を打てば打つほどいいわけじゃなくて、
新しい手を打つということは、
それだけ失敗する確率が高くなるわけよね。
だから、手を打つときには、予め失敗したときの
ダメージをどれくらいに抑えるかということを
考えたうえで、次の手を打たなくてはいかん」
って。
長嶋さんの野球を見ながら、ぼくずっと言ってたの(笑)。
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何点取った取られたとかじゃなくて、
選手の心理的なダメージに対しての、
配慮がないんですよ。
単純に、ピッチャーをぼんぼん替える。
ぼんぼん替えたほうが面白い、ということではなしに、
先発させたピッチャーがうまくいくかどうかの確率は
5割、と。
そうすると、うまくいってるひとは
いじったらだめなんですよ、
基本的には。
うちの社長もそうですね。
「うまくいってるものはいじるな」って言います。
でも、うまくいってようがいってまいが、
選手をいじり回してしまう。
で、いじらないときは、ほんとにせなあかんことを
ぜんぜんしない。
ほとんどそれの繰り返しなんですよ。
 
「どうしてあそこでセカンドランナーを
替えとかなかったか」とかね。
まだまだ打順が回ってくるのに、
大事な4番バッターを簡単に替えてしまったり、
いくら当たってへんとはいえ、もしかしてここで
一発出るかもわからん選手にスクイズさせたり。
肝心なところで、
「そこでうまくいったらいいけど、
いかへんかったらぶちこわしやぞ」みたいなこと
ばっかりでしょう。
ま、ジャイアンツの話ばっかりしててもしょうがないね。
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2000年かぁ。
いや、任天堂はなんもないです。
社長が嫌いなんで、そういうの。
「何周年記念」ということに、何の意味があるんや、
っていうひとだから。
うちもそういうことに素早く対応してね、
今年出したソフトをちょちょっと見た目変えて、
そうそう、流行りのスケルトンとかにして(笑)、
『2000年モデル』とかってじゃんじゃん出して
ひともうけ、とかね。 しないんですわ。

1999年の次には、2000年がやって来る。

そういうことですね、うちは。

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こないだ、イギリスから帰ってきたんですけど、
9月9日は飛行機が危ないって言われてて、
9月10日の飛行機に替えたんです。
ぼくは、そういうことってわりと気にするほうですね。
その、世の中って、事故に遭うか遭わへんかの分岐で
出来てると思ってるとこがあるので、
そういうことをふだんからちょこちょこ気にすることで、
かいくぐってるのかな、って思うんだけど、どうでしょうね。
道路の溝のフタを右足で踏むか左足で踏むか、とかね。
小学生のころから、歩きながらステップを
踏み替えたりすることがあったりね。
けど、ひとから言わすと「カン悪いね」って(笑)。
その日は結局、なにも起こらなくてよかった。

 

岩田さん(※編集部註:秘密基地ではおなじみの
ハル研究所の岩田聡さん)に聞いたんやけども、
1999年9月9日ってのは、コンピュータの誤作動が
危ないのとちごて、
いろんなテストプログラムに使われてる日付なんですって。
だから、飛行機とか管制が危ないっていうことよりも、
実際には予約とかのプログラムがおかしくなって、
オーバーブッキングしていて乗れないとか、
ホテルに泊まろうとしたら、いつのまにか
キャンセルされててチェックイン出来ひんかもわからん、
ということの危なさだったんだって。
飛行機に乗る不安とホテルに泊まれない不安、
どちらを取るか、ということだったんやけど。

 
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それはともかく、ヨーロッパ、行ってきました。
あまり元気はないんですよ、64そのものはね。
けど、任天堂全体でいうと、
やっぱりゲームボーイもあるし、老舗だし。
トレードショウだったんで、
マスコミのひとばかりでしたけど、非常に好意的でしたね。

 

会場がすごい狭くってね。
そうだなぁ、こないだの幕張の半分くらいのスペースに、
約30社がわーっと出展しているので、
ところ狭しと機械が並んでて。
会場に来てるのはこの業界のひとがほとんどなんで、
名札を外して歩いてても捕まってサインくれ、って。
まあ、ええかと思って機嫌よくサインしてんねんけど、
次の1人が来る前に1人描き終わらへんとね、
1人描いてるあいだに2人来たりして、次から次で、
もうたいへんなことになって、逃げ出せなくなってしまって。
ホテルから出られなくなるという
経験も、初めてしました。

 

でもね、取材はほんとにとても好意的でした。
リンカーンとか、うちの偉いひとには、厳しいの、質問が。
(※編集部註:ハワード・リンカーン氏=米国任天堂会長)
でも、ぼくにはすごい甘くて(笑)。

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ぼくは、ヨーロッパのショウに出席したのが、
今回初めてやったんです。
任天堂がこのショウに本格的に参加したのも、
去年からのことで、今年で2年目なんですよ。
そやからけっこうね、フィンランドとかノルウェーとか、
その、ヨーロッパの周辺、周辺言うたらいかんか(笑)、
ドイツとフランスとイギリスしかないと思うのは
すごく失礼で、オランダとかベルギーとか、
任天堂のゲームを販売してる国はすごいいっぱいあって、
ひとつの国からひとつずつは有名な雑誌が来ていたし、
ゲームの専門雑誌もたくさん取材に来てました。
なかに、すごい熱心に聞くなぁって思わせるひとがいて、
こっちも一生懸命しゃべってたら、
うちの広報誌やったり(笑)。
NINTENDOっていう名刺をもらったりして。

 
ほとんどのひとに会うのが初めてだったんで、
会うだけで喜んでくれはって。
質問とかも、すごい優しかったですよ。
話がとぎれると、あちらから
「業界がこのように育った現状をみてどう思いますか?
20年間ゲームをつくってきて、どうですか?」
みたいな、ね。
表敬訪問してるみたいで、楽しい取材でしたね。




お騒がせな1999年もあと3ヶ月足らずです。
いよいよ2000年になろうとしている今、
宮本さんに聞きたい話はたくさんあります。
あれもこれも、と欲張りな聞き手に、
ていねいに応えてくださる宮本さんです。
次回も宮本さんのじっくりとした味わいある独り語りを
お楽しみに。ドルフィン?いや、まだ、もうちょっと。


1999-10-13-WED

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