|
今、作っているマリオ(編集部註:ただいま開
発中のドルフィン用
「マリオ128」と仮に呼ばれているゲームソフトのこと)は、
今までのマリオよりもおとなっぽいらしい、って言われてます。
でも、その話にはちょっと誤解があってね。
「ドラえもん的展開」ってのが昔から嫌いだったんです。
いや、藤子さんが嫌いなわけじゃないんですよ。
ドラえもんという商品をつくったのは大したものだと思うけど、
印刷物なんかに、やたらと原色のピンクが多いんですよ。
小学校低学年くらいの子供にすごく好まれる色なんですって。
実際、その色は識別度がひときわ高いらしいんです、
そのくらいの年齢の子どもには。
それ聞くとね、「違うやろ」って思うわけですよ。
|
|
ドラえもんというキャラクターが生まれたので、
デザインをどうするか、色は何色にしたらいいか、って
考えていくのではなくて、
マーケティングが先にあって色が決まるということが、
ぼくはいやで。
枠をはめてしまうことで、ドラえもんは、
さらに低学年化していくわけですよね。
そういうことが、嫌いやったんですよ。
ところが、気がついたら、いつのまにか
マリオが同じような流れになってるのね。
シリーズのソフトが増えていくにつれて、
たくさんのひとがマリオを作ってるからね、
うちの若いスタッフがマリオを作ったり、
外の会社が、ゲームのキャラクターに
ライセンスしたマリオを使ったりしてるあいだに、
どんどんそうなっていったような気がしますね。
任天堂全体のマーケティングとして見たときにも、
「マリオはちっちゃい子向きのキャラクターにしていこう」という
ポジションが確立していったところがあってね、
漫画の扱いなんかも、どんどん低学年向きになっていったんです。
|
|
マリオというキャラクターは、
ぼくが27歳のときに作ったんです。
そのときは、ぜんぜんそんな、作った自分が
恥ずかしくなるようなキャラクターじゃなかったし、
すでにいい大人の、マリオおじさんやったわけやし(笑)。
18歳くらいのお兄ちゃんたちが、
みんなでわいわいと遊んだゲームのつもりやったので、
それをね、無理に小学生向けに絞り込んでいってることには
違和感があったんですね。
例えば、「ヨッシー」というキャラクターを使った
「ヨッシーストーリー」の商品ならば、
ある程度はユーザーの年齢を絞り込んでいくことに
意味もあるし、それでいいと思うけれども、
ぼくのなかでのマリオは、もうちょっと違うものだったの。
なので、当時の感じに戻したい、ゲームの対象年齢も
あえてこちらから限定はしたくない、と思っていてね。
デザインそのものも、
ゲーム周辺のグラフィックまでトータルにみて、
もうちょっといいデザインにしよう、と思いました。
まずは、「Vサインはしないこと」って。
あと、意味のない作り笑いが多すぎるのでやめよう、とか。
Vサイン禁止は、ぼくが前からずっと言ってたことなんです(笑)。
うちの手塚が好きなもんで、最初のころのゲームでは入れてて、
ところが、それが後のゲームでもあまりにも浸透しすぎて、
マリオといえば必ず「最後はVサインで決めポーズ」になったんで、
そろそろVサインはやめようよって、今、話しています。
|
|
まぁ、一般に任天堂が「子供っぽい」と言われるのも、
実はそのへんのことがひとつの要因になっていたりもしてね。
そういうお約束を大事にしてるからって言っても、
じゃあ、マリオがVサインすれば、
ちっちゃい子どものユーザーが取り込めるかというと、
決してそうでもないと思うんですよね。
これは、会社が京都にある欠点でもあるかもわからんけど。
「マリオ64」のときにも、その思いはすでにあったので、
デザインはかなり一新してんねんけど、
みんなは、そうは思ってないんですよね。
作り手側も、使ってるうちに、だんだんと戻っていっちゃって。
|
|
だいたい、「中高生になったら任天堂は卒業する」っていう
イメージが出来てきたのは、最近のことじゃないですか。
昔はそうでもなかったんですよ。
そう思いませんか?
ところが、いまは
「任天堂は、ターゲットを小学生に絞って作ってるんですか?」
なんてひとから聞かれるの。
そのたびに、決してそんなことはない、って言ってるんだけど、
そう思われてる、ってことだけでも、すでに問題ですよねぇ。
そのなかで「卒業する」というイメージが出来あがったわけやし。
じゃ、その「卒業した」中高生たちに、
今、無理やり任天堂のほうを向いてよ、っていって
流れに逆らうようなことをしても、しょうがないと思うし。
離れていったひとたちを取り込むことばかり考えんと、
それでも、今、こんだけの数、任天堂の支持者がいるわけやから、
今、任天堂を遊んでる小学生たちが「卒業しない」ような
物作りを、ずっとし続けていけばね、
5年後、その子たちが「卒業」世代と言われる中高生になっても
任天堂のユーザーであるわけなんで。
そういうレンジで見ないとね。
付け焼き刃で、目先のことでね、
競合商品がどうの、とか、
任天堂のイメージは市場調査でこのように思われてる
というデータ結果が挙がっているから、
ここの市場をこう開拓して、とか言われがちなんやけども、
それは、宣伝とか見た目の部分はすぐに変えられるけど、
商品作りというものは、そんなに短いスパンで
どんどん変えていけるものやないし、
それをやってると、見失うのよね。財産減るし。
|
|
こないだのヨーロッパでの取材で、
「プレステ2が出てきたらどうなんですか?」って聞かれて、
ぼくがずっと言ってきたことは、
「どっちが力持ちかの力自慢の話をしても、
いやドルフィンのほうがもっとすごい!って話をしても、
負け惜しみだと受けとられるでしょ」って(笑)。
それを言ってもしょうがないんでね。
強がってるように受けとられてもね。
なので、同じ土俵には乗らないようにしようと思ってますよ、って
聞かれる度に、何人ものひとに答えてきたの。
64のときにしても、別に「戦ってる」気分はなかったもん。
でも、今だに、みんなは戦わしたがるんですよね。
ビジネスでの話なんやから、お互いにどんどん
新しいものを出していくのは当たり前で、
そのことで、ゲームビジネス全体が元気になるのはええことや、
と思うけれどもね。
戦うんやったら、ぼく、これは前から言ってるんですけど、
戦う相手と同じハードのソフトを作ったらいいだけや、って
思うのでね。
だったら、それも含めて考えていこうかな、なんて言うと、
また「宣戦布告か!?」みたいに言われてしまうかな(笑)。
|
|
今、ぼくが自分で現実にイメージしているのは、
5年後くらいのこと。
今ってほんとに、5年後の任天堂が、
もっときれいに言えば、業界がどうなっているか、っていう
ビジョンが、すごいいると思うんです。
うちの社長も、それは考えてはるやろうし。
それは絶対に、力勝負という次元では出来ひん話やし。
で、「目先の仕事を毎日コツコツとやりながら、
5年後の任天堂を考えてるんですよ」っていう話を、
ヨーロッパではしときました。
しょうがないし(笑)。
それは別に、煙に巻くつもりとちごて、
ほんとに自分自身のことで言ってもね、
5年後の自分自身、ということのほうが
大きいかもわからんけども、
5年後の自分は独立してるのか、5年後の自分は何を作ってるのか。
そのときゲーム機ってのはどうなっているのか、とか、
ゲーム機はパソコンに駆逐されてるのか、とか、
じゃあ、家庭用ゲーム機ってのはこれで終わるのか、とか。
いろんなこと言われてきてますけど、
そういうことじゃなくなってきたと思うのですよ。
ほんとに。
|
|
一過性のもので、単なるブームとか、
飽きたら終わりよね、とかいう程度のレベルを
越えた普及になってきたと、ぼくは思うんです。
だから、「たまごっち」のブームが終わったら、
メーカーはどうするんでしょう?っていうような
スケールじゃ、なくなってきてるでしょ、今は。
それで、プレステ2をどう思うか、って聞かれてもね、
それは数ある選択肢のうちのひとつだし、
そして歴史の流れのなかのひとつになるわけで。
で、そのときに、
任天堂がまったく必要なくなった、っていうことに
ならないようにするのが、ぼくらの仕事なんで。
|
|
そう考えると、今、明らかに、ゲームに驚きがない。
グラフィックにしか驚きがない、っていうか(笑)。
でも、細々とではあるけど、実現は出来てるんですよね。
ゲーム自体に驚きがあるものが出て来ていて、
それが、最近はプレイステーションのほうが多いやないか、って
言われることが、ぼくらには問題で。
じゃ、プレイステーションを作ってるひとたちに、
それがはっきり見えてるかというと、見えてない。
任天堂というところは、そのあたりを、
ハードも全部ひっくるめて、
その時代時代にボトボト落としていけるってのが、
強みであり、面白さなんでね。
そうすると、社長が言うように、
「次の高性能ゲーム機は、」っていう話だけを
任天堂がしてるのは、
あまりにも任天堂らしくない、面白さがない、
っていうことに、つながってくるんですよね。
すごくカンがいいんですよね、うちの社長は(笑)。
ようわかってはります。ゲームはしはらへんのにね(笑)。
|