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けっきょく、僕がこのゲームをプレイするときに 「リセット」という行為を自分に認めているのかどうか、 ときどき質問されるので書いてみたいと思う。 もったいつけずにいうと、アリである。 しかしながら、なにがなんでもリセットして、 1匹の犠牲も払うことなくゲームを進めるのかというと それともまた違う。そのあたりのさじ加減は、 何時間かプレイするうちに自然と固まってきた。 ようするに、早い話、ぶっちゃけ、 「こりゃたまらん」と思ったらリセットである。 一方、「あああ、ごめんねぇ」くらいなら続行である。 我ながらなんとも身勝手な法則である。 犠牲となったピクミンを胸に刻みつけるでもなければ、 プレイヤーとして崇高なクリアーを目指すでもない。 その場その場で都合のよい選択をしているというのが、 現在、僕の貫いているスタイルなのである。 ふたつ目の着陸地点にある洞窟の底で、 いもむしごろごろアタックを食らって全滅したとき、 しばし悩んだのちに僕はリセットボタンを押した。 それは、このゲームが「リセット」という行為を 禁じていないと感じたからである。 ゲームを組み立てるときに、 ゲームを組み立てる人の気持ちというのは 組み立てられたゲームのそこここに表れる。 「リセット」してほしくなければ、 ゲームはきちんとそのように組み立てられる。 ことわっておくけれども、つくり手は、 たんに美学としてリセットを禁じるわけではない。 あくまでも、 「リセットしないほうが、このゲームはおもしろいですよ」 という提案として、ゲームをそのように組む。 そういうゲームをプレイするときには、 僕は決してリセットボタンを押さない。 だって、そっちのほうが断然たのしいから。 もしも知り合いがそういうゲームをプレイしていて 頻繁にリセットしようものなら、 「リセットしないほうがたのしいと思いますよ」 とアドバイスするくらいだ。 もしも後輩がそういうゲームをプレイしていて 頻繁にリセットしようものなら、 「だからおまえはダメなんだ」 と延々説教して煙たがられるくらいだ。 前回の日記でも述べたように、 『ピクミン2』の基本的なコンセプトのひとつには 「おおらかさ」があると僕は思っている。 だから、リセットについても、僕はおおらかに決断する。 「こりゃたまらん」と思ったらリセットするし、 「あああ、ごめんねぇ」と感じる程度ならセーブする。 「こりゃリセットするかな」と思いつつ なんとなくプレイを続けてしまって、 「まあいいや」ということになってしまうこともあるし、 目的をなんとか達したものの 「なんとなく納得いかん!」という気分になって もう一度やり直したりすることもある。 つまり、ゲームのなかで僕は身勝手に振る舞っているが、 それは「身勝手に振る舞ってOKなのだ」と きちんと決断しているということが言いたいのだが、 書けば書くほど、 屁理屈男が教室で遅刻の言いわけをしているように 思えてきたのでこのへんでやめておく。 でも、このゲームがそういうふうにおおらかに プレイされたほうがたのしいと思っているのは まったくもって、ほんとうのことだ。 さて、ようやく全種類のピクミンさんがそろいましたよ。 ちょっと勘違いしてて、 青い人に会うのにずいぶん手間取ってしまった。 そうなんだよ、オリマーひとりで動けっつー話だよな。 当面、気になっていたことが解決され、 いよいよ「のんびり&じっくり」できそうです。 2004-07-16-FRI
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