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最初の着陸地点の、ふたつ目の洞窟に潜った。 これまでになく深かった。 なにより、ボスがとんでもなく手強かった。 何度もやり直した。そして、勝った。 ボス戦のたのしみを、 あるいは、「ボス戦」というものそれ自体を、 ゲームをプレイしないという人は、 おそらく知らないのだと思う。 それをもったいないとまでは思わないけれど、 そこに生じる喜びや、焦りや、高鳴りは、 ゲーム以外のものでは、 決して味わえない種類のものであるように思う。 シューティングゲームのスクロールの先に、 あるいはRPGの長いダンジョンの奥に。 シミュレーションゲームの堅牢な城の上に、 もしくはアクションゲームのステージの最後の炎のなかに。 いいゲームの区切りの場所には必ず「ボス」がいて、 プレイヤーの行く手をいちいち阻む。 プレイヤーが「ボス」のもとへ近づくと ゲームは明らかに変質する。 変質はプレイヤーの皮膚へ届くよう 周到に演出されているから、 深夜にコントローラーを握るプレイヤーは 誰に言われずとも居住まいを正す。 たとえばボスが部屋のなかにいるなら、 その部屋のグラフィックはほかと違っているだろう。 流れる音楽はこれまでになく 低く、暗く、シリアスに響いているだろう。 それでコントローラーを握るプレイヤーは 誰に言われずとも居住まいを正す。 いいゲームの「ボス」は、 自分がそのエリアの「ボス」であるということを、 ことば以外のものでプレイヤーに伝える。 いくらか経験のあるプレイヤーならば、 その場所に入った瞬間に気づいて身構える。 「ボス戦」のたのしさと厳しさを よく知っているゲームファンであれば、 小学生であろうと、女子高生であろうと、 サラリーマンであろうと、主婦であろうと、 「いる」と気づいてコントローラーを握り直す。 いいゲームの「ボス戦」は、そのように始まる。 多くの場合、「ボス」への道のりはしばらく静かである。 これまでの戦いがウソのように、 ちょっとした静寂がぽっかりとある。 それはプレイヤーの心拍数を少し上げ、 深夜の眠気を軽々と吹き飛ばす。 そしてついに対面すると、 「ボス」はその外見の異常さでもって プレイヤーをひるませようとする。 無闇にデカいのかもしれない。 ぼうぼうと燃えているのかもしれない。 宙に浮いているのかもしれない。 めちゃくちゃ速いのかもしれない。 極端に体力があるのかもしれない。 何匹もいるのかもしれない。 自分と同じ姿をしているのかもしれない。 消えてしまうのかもしれない。 ネバネバしているのかもしれない。 ともかく、 期待どおり予想外の姿をしている「ボス」は 仰々しく登場してプレイヤーの行く手を阻む。 地割れの音か、雄叫びか、 登場に際してはなんらかの特殊な音が鳴るだろう。 そこでまずプレイヤーを包むのは、ある種の絶望である。 なぜなら、「ボス」は、 周到にバランスが計算されたゲームの世界において、 「極端に強い」ということが存在として許されている。 いつもと同じつもりでプレイヤーが挑んだならば、 ぺしゃんこにされてしまってふつうである。 否、準備なく漫然と挑むプレイヤーを、 まずは一度ぺしゃんこにするように 「ボス」というものはつくられている。 つまり、初顔合わせとなるその一戦は、 あらかじめプレイヤーが圧倒的に不利である。 火ぶたが切って落とされた直後、 慣れたプレイヤーは力の限り攻撃を仕掛けるが、 いわばそれは「ボス」に対する儀礼のようなもので、 本来の目的は攻撃そのものにはない。 まずは、見ることだ。知ることだ。 そいつがどういう攻撃をしかけてくるのかを。 そいつがどんな「反則」をしてくるのかを。 余裕があるなら、その攻撃を見極めて近づき、 なにが「効く」のかをプレイヤーは試す。 正攻法はもちろん、ダメでもともと、という方法も試す。 どの場所が「効く」のか? どの方法が「効く」のか? どの時間が「効く」のか? 選択肢がいくつか潰されたころ、 プレイヤーは最初の敗北を喫する。 「なんだよこれ絶対無理だよ」となるのもふつうだ。 「あ、そういうことか」と少しでも納得できたら運がいい。 幾度か挑戦をくり返すと、 「あ、そういうことか」が増えてくる。 そいつの攻撃パターンがわかってくる。 こっちの攻撃できるタイミングがわかってくる。 戦いに際しての禁止項目が明確となり、 修羅場に安全地帯が見えてくる。 十分な知識を蓄え、戦力を整えたなら、 いよいよプレイヤーはほんとうの戦いを挑む。 「今度は、本気で行くよ」と。 述べたように、その日僕が挑んだのは 最初の着陸地点のふたつ目の洞窟である。 そのフロアーに降りた瞬間、 太いベースラインが短くうねり、 そこが最後のフロアーであることを知らせた。 つまり、「ボス」の待つ最奥部だ。 広くて丸い部屋の真ん中になにかある。 ドーム型の機械のようなもので、煙が出ている。 それほど、大きくはない。 それ以外には、なにもない。誰もいない。 部屋の隅々まで調べてほかになにもないことを確認し、 そのドーム型のなにかに、仕掛ける。 どうやらそうしなければ始まらないらしいので、 気まずい挨拶のように、一発仕掛ける。 あっけなく始まる瞬間に、やはり大げさな音が鳴る。 思ったとおりドーム型のそれは「ボス」の一部で、 地を割りながら派手にせり上がる。 四方から長い長い足がにょきにょきと現れる。 さほど大きくないと感じたドーム型のものは いわば巨大な蜘蛛の胴体。 つまり、総合的には、やはり巨大。 つーか、でけーな、おい。 過去の経験上、蜘蛛系のモンスターの弱点はその胴体。 僕の背後には、精鋭ぞろいの赤ピクミンたち。 むろん、頭上に大輪を頂く。 宙をふらつく胴体へ向けて、 焦りながらも戦士たちをつぎつぎに投げる。 何匹かがそのメタリックな胴体に取りつき、 各個打撃攻撃を加える。効いてる。 「なんだ、これでいいのか」と思う刹那、 蜘蛛の胴体より、信じがたいものが現れる。 どう見てもそれはキャノン砲。 なにそれ、マジかよ。 砲口より放たれる赤いレーザービーム。 ヤバい、と感じたが、 どうやらレーザーそれ自体に殺傷能力はない。 ヤバいのはその直後だ。 攻撃目標を補足した赤い光線に誘導され、 エネルギー弾がものすごい速さで撃ち出される。 空気をつんざき、床を焼く。 あえて牧歌的にたとえるなら それは斜めに撃ち下ろす16連発の家庭用打ち上げ花火。 えげつなくたとえるなら酸の海を焼く巨神兵の弾幕。 捕らえられた精鋭が瞬時に昇天する。 おいおい、これ『ピクミン』だろ? その砲撃の射程は極めて長い。 Cスティックを駆使し、 やつのまわりに円を描くように逃げるが、 レーザービームは執拗にピクミンを赤く染め続け、 エネルギー弾は隊列のしんがりを容赦なく焦がす。 砲撃はしばらく続き、やがて途絶える。 おそらくそこが攻撃のタイミングなのだが、 遠くを逃げ回っている本隊が攻撃に転じるには そのインターバルは短すぎる。 意を決して近づいては撃たれ、大量のピクミンが天へ。 オリマーがダウンしたところで初めてのリセット。 なんだよ、これ。無理だろ、無理。 悪態をつきながらも僕はさまざまなことを試す。 何度かチャレンジしてつかんだヒントは地形にあった。 古びた工場を思わせるそのステージには、 地表にこれ見よがしな凹凸がある。 一角には地中に半分埋まった鉄骨があり、 その細長い壁と溝は塹壕を連想させる。 壁と溝の陰にピクミンたちがとどまるとき、 赤く錆びた鉄骨は盾となって砲撃を跳ね返す。 どうやら巨大な蜘蛛は、鉄骨の裏に回り込んではこない。 やつはピクミンたちのいる方向に向けて ただ機械的に撃つのみである。 つまり、赤く錆びた鉄骨の陰は、安全地帯。 「ボス戦」における最初の快感は、 そいつを倒す攻略法を 理論としてイメージできたときに訪れる。 美しいのは、自分はまったくダメージを食らわず、 相手にわずかでも確実なダメージを与えること。 そのパターンを慎重に何度もくり返せば、 理論上、やつの体力は尽きる。 具体的には、やつが登場したあと、 すぐに鉄骨の裏に逃げ込む。 巨大な蜘蛛は鉄骨に阻まれることを気にせず、 砲撃を続けるだろう。 それが止んだ瞬間を見計らって、鉄骨の陰から飛び出す。 近づいて胴体にピクミンを投げ、やつの体力を削る。 しばらくするとやつは身体を震わせて 取りついたピクミンたちを振り払うから、 それを呼び寄せて再び鉄骨の陰へ。 冷静に、これを何度も、くり返せばいい。 攻撃力のある赤ピクミンよりも、 高く投げることができる黄ピクミンのほうが確実だ。 振り払われたピクミンたちを回収する手間を考えるなら、 連れるピクミンの数はあまり多くないほうがいい。 10匹? 7匹? いや、5匹で十分。 何度目かのリセットを終え、 コントローラーを握る僕は深夜に居住まいを正す。 「今度は、本気で行くよ」と。 細かくくり返す理論上の必勝パターン。 ヒット、アウェイ、ヒット、アウェイ、ヒット、アウェイ。 やつの円状の体力ゲージが色を変えていく。 冷静にルーティンをこなしていた僕は、 やつの体力が残りわずかとなった瞬間に我を忘れる。 もう、行っちゃえっ、と、 退却をやめて大ざっぱに攻撃を続ける。 振り払われたピクミンの回収が遅れる。 しまった、と思いながら、 せめて1匹でも多く救おうと笛を吹く。 闇雲に投げた1匹の黄ピクミンが その胴体に食らいつく。 勇気ある黄ピクミンの些細な打撃が 薄く残ったやつの体力ゲージを消し去る。 いいゲームの「ボス」は、 その最後に必ず断末魔の咆哮を轟かせる。 ゲームに流れる時間はその叫びが響く瞬間、堰き止められ、 巨大な蜘蛛は身体を痙攣させて空にその四肢を散らせる。 ごろん、と転がり落ちるご褒美のお宝。 ふーーーーっと、僕は長く息をつく。 ひとつ大きな枠の話に転じるならば、 任天堂のゲームに登場する「ボス」は、 いつも見事に「ボス」らしく振る舞うように思う。 それは、そもそも僕が 任天堂のゲームによって「ボス」というものを 刷り込まれたからなのかもしれないが、 任天堂のゲームに出てくる「ボス」は、 派手で、強くて、トリッキーで、絶望的で、 弱点を持っていて、断末魔の叫びをあげる。 『マリオ64』、『スターフォックス』、『ゼルダ』。 どのゲームも、ステージやダンジョンの終わりには 必ず強くて魅力的な「ボス」がいた。 気配を察知して身構え、直面して驚き、 逃げまどいながら攻撃パターンを観察し、 敗北を重ねて絶望し、何度も挑んで攻略法を見つけ、 慎重にくり返しながらついに倒す。 深夜の集中と達成感。汗ばむコントローラー。 そのようなたのしさを、 僕は「ボス戦」以外で味わうことがない。 たぶん、ゲームをプレイしない人は、 このたのしさを知らないのだ。 それを、もったいないとまでは思わないけれど。 2004-07-23-FRI
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