よりみち
パン!セ
中学生以上すべての人たちへ。
キミたちに、
伝えたいこと。



もし、あなたが障害者について
知識をもっていたとしても、
それはいったん、横っちょに
置いたほうがいいのかもしれません。
知識でもって現実を解釈するのではなく、
現実と照らすなかで、
知識に修正を加えていくことが大切です。
そのためには、
自分はわかっていないんだ
ということを
わかっている必要があるんです。



だれか、ふつうを教えてくれ!

倉本智明

(購入はこちらAmazon.com)
倉本さんは、「障害学」をフィールドにされている、
大阪在住の若き研究者。
子どものころ、ご自分の障害を
どのように意識されましたか?
意識されていましたか? という質問をしたとき。

「……ああー、そうそう、小学校のころにね、
 男の子やからまあ、みんな
 野球をするようになるわけですよ」
「はいはい」
「それでね、弱視やったボクの視力やと、野球のボールは
 小さいわ飛ぶのが速いわで目で追えないから、
 みんなとまったく
 同じようにはプレイできへん、と。
 だから、ボクのための変則ルールっていうのを
 友だちが作ってくれてね……」
「あ、なるほど」
「その変則ルールでやる野球っちゅうのがね……」
「ええ、ええ」
「これがまあ、オモロなかったなーーー!」

……って、「ちょっとエエ話」のオチになるんや
なかったんですかー!
と、こちらも関西モードで突っ込ませていただきつつ、
(このエピソードの詳細は、本の第1章を
 読んでくださいね)

ある意味、ミもフタもないようなお言葉にひそかに
期待した展開をキレイに裏切られ、
倉本さんと一緒に「ワハハハハ」と大笑いをしながらも、
――ちょっと待てよ、
ここで「ちょっとエエ話」を期待してしまうのは
いったい何なのか、
立ち止まって考えてみたい気持ちになりました。

教科書の教材で、課題図書で、作文する機会があるたび、
「……この人は、障害がありながらこんなに
 がんばっている。だから、私もがんばろうと思った」
っていう感想文を書いて提出したことは、ありませんか?
(わたしは、あります)
でも、そう書いて提出したあとに残る、ヘンな感じ。
「私もがんばろう」って、
なんか、ちょっと、おかしくない?
いやいや、がんばっている人を見て、「自分も……」と
思うこと自体はそれほどおかしくない、
のかもしれないけれど、
「だから、私も……」と
急いで締めのことばを持ってくる前に、
何かもっと別のことで、ことばにしていないことが
たくさんある気がする。
それに、「がんばっている」「がんばろうと思う」って、
そんなに簡単にまとめちゃっていいのかな。
(とりあえずまとめとかないと、
 感想文が提出できないけど)

「共生」とは○○だ。
「障害」、「障害者」とは□□だ。――
作文の最後につい持ってきてしまう「まとめ」に
ためらいを覚えるなら、ぜひ、
この本のページを開いてみてください。
倉本さんが問いかけます。
障害とは、って言う前に、聞かせて。
「健常者」って何だろう?
「ふつう」って、どういうことなのかな?
「ぼくが」じゃなくて、「あなたは」、誰なのかな。

スリリングな問いかけとともに、
感じている「ためらい」、そのまるごとを
考えていくためのプロセス、ことばそのものが、
ゆっくりていねいに、ときとしてあっけらかんとした
笑いをたたえながら、
わたしたちの前に提示されていきます。

(編集担当・坂本裕美)

2006-12-11-MON




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