PHILADELPHIA
遙か彼方で働くひとよ。
フィラデルフィアの病院からの手紙。

手紙9 「境界線」

こんにちは。
6月になってこのところ結構蒸し暑い日が続いていて、
雨の降らない日本の梅雨といった感じです。

病院の中は6月に入って
何となくうきうきとした感じが広がっています。
入院している患者さんは
いつもと変わりなく調子が悪いのですが、
働いているレジデント達にとっては
待ちに待った1年の終わりを迎えるからです。

とりわけ1年目を終えるインターン達は
浮き足立っています。
階級社会の底辺でこき使われた毎日が
もうすぐ終わると思うと本当に嬉しくて、
「あと何回当直?」というのがみんなの挨拶代わりです。

わたしの最後のローテーションは
CCU(Cardiac Care Unit 心臓病の集中治療室)で、
楽しく過ごしています。

同僚がいいやつだというのも理由のひとつですが、
何よりいいのが、
一旦ユニットに入ったら
もうどこにも行かなくていいことです。

逆にいうとユニットの中に缶詰なのですが、
一般病棟のときはたくさんの患者さんを持たされて
病室から病室へ
一日中歩き回らなければいけないのに比べて、
ユニットの中にこもって
(重症だけど)少ない患者さんを診てればいいので
当直の回数は多くなりますが、
体力的にはうんと楽です。

患者さんの多くはもちろん心臓病で
心筋梗塞や、心不全の治療が主なのですが、
ときに、心臓病以外の病気の人も入ってきます。

そんな患者さんのひとりを先日受け持ちました。

38歳女性、喫煙者。
1カ月前におなかが張った感じがして、
外来を受診したところ
膀胱から卵巣に広がる腫瘤あるのがわかって
詳しい検査のために入院しました。

生検といって、その部分の細胞をとって調べた後
急に血圧が下がって、人工呼吸器につながれて
ユニットへやってきました。

このときまでに、
おなかの腫瘤はとても進行の早い膀胱癌で、
すでに卵巣、腸、リンパ節に広がっていて、
膀胱の壁は一部破けて
尿が腹腔内に漏れていることがわかっていました。

泌尿器科、腫瘍科、呼吸器科、腎臓内科と
いろいろな専門家の人たちが集まって
治療についての話し合いを持ちました。

腫瘍が広がりすぎていて、手術はできない。
抗がん剤や放射線療法も
全身状態が悪すぎて耐えられそうにない。
つまり、積極的な治療を行うことはできない、
というのが結論でした。

家族にしてみれば
「2週間前までは家で元気に暮らしていたのに、何で」
という思いが強いのは理解できますし、
とても敬虔なクリスチャンで、神に祈って妻を救うんだ
という切実な願いがひしひしと伝わってきて、
日に日に増えていくベッドの周りのキリストの絵や、
十字架を見ているほうが辛くなりました。

妻を死なせないで、という願いを
どうしてもかなえてあげることはできないこと、
今やっている延命措置が、
本当は患者さんにすごく負担を強いることになっていて
とても苦しいことなのだということを
説明しつづけて一週間、
家族から治療を止めてほしいという申し出があり、
3時間後に患者さんは亡くなりました。

助かる人を助けることはできるけど、
助からない人を助けることはできない。

ことばあそびのようですが、
ユニットで働いているととりわけそれを実感します。

わたしたちにできるのは、
その境界線を少しだけずらして引き直すことと
苦痛を和らげてあげることだけです。

あと3回当直をしたらユニットもおしまいで、
その後は休暇をまとめて取って、超大型連休です。

すごく楽しみ。

では、みなさま、どうぞお元気で。
さようなら。

本田美和子

1999-06-13-SUN

BACK
戻る