#10 個人的な哲学
自分の経験したすべてを乗せる言葉だとか、
少なくとも、今の自分にだけは効く一言だとか、
避けられない状況が、自分を照らすかもしれないとか、
哲学書と体験談との中間のような話を、続けてきました。
ここ数回の「コンビニ哲学」の感想にも、
自分の「行動」と「考え」との狭間で感じたことを
言葉に乗せてくださる方が、少しずつ増えてきています。
「人の考える内容は、その年齢と切り離せない程度の
今しか考えられないものでして、だから貴重なんです」
そういう有名な一節がありますが、
現在の自分の状態を、知ったかぶらず、
納得できない所も含めて、正直に書いた言葉は、
長所も短所もありありと浮き出ているからこそ
伝わってくるという気がして、ありがたいんです。
その人の、書いているときの気持ちがわかりにくい、
抽象的すぎるメールは、ほとんど、届いていません。
「人の行動を見ると、その人が、今までの自分を、
一日に何度超えることができているのか、もしくは、
常に自分を放任してしまっているのかが、よくわかる。
あらゆる行為が、人をかたちづくり続けているのです。
『自分が強いか弱いか』『称賛に値するかどうか』
『自分が他人の評価を恐れなければいけない人間か、
それとも自分自身で光を当てて自分を示せる人間か』
自己評価も、いままでの自分の行動からつくられます」
かつて、上記のように述べた哲学者がいました。
なんとなく、このコーナーに近い言葉ですね。
「体験」とか「行動」とか「方針」に関わる、
そんな発言を、数点、まとめて、おとどけしてみると……。
「一生懸命に何かをすることは、ムダじゃない。
あなたは、今日のうちに高く山をよじのぼるか、
明日にもっと高くのぼれるように
身体を鍛えているか、の、どちらかなのですから」
「ひとつのことを体験している最中で、
その体験の中で、すでに観察者になっているときには、
体験に没頭できずに、消化不良をおこしてしまいます」
「周囲の群れを見ている内に、世間に忙しく関わる内に、
自分を見失い、自分を信じようとはしなくなりがちです。
自分そのものであろうとするのは、大それたことで、
他人のマネをして、大勢の中に紛れこんでいる方が、
はるかに気楽で、安全なように思えるときもあるわけで。
確かに、自分を失うからこそ、
取引がうまくいくときだってあるし、何かをしゃべれば、
そのつど、不愉快なことが起こりうるんですけど、
しかし、黙っているのは、最も危険なことなのだと思う。
黙っていることによって、その人は、
ただ、自分ひとりぼっちになってしまうのですから。
喋らないのは、冒険をしないのと同じなんだ。
冒険をおかすことは、危険に見えるけど、
冒険をしないときには、冒険をしているときに
どれだけ多くを失おうとも失わないはずのものを、
おそろしいほどに、たやすく失いかねない。
冒険をしないと、自分そのものを、まるで
無であるかのように失ってしまいかねないんです」
こんなことを、昔から人はなんだかんだと
一人ずつが悩んだり考えたりしてきたわけなんです。
おまけに、こんな手紙を後輩に送った哲学者もいます。
「もっともらしい理屈をこねることにしか
哲学が役に立たないのなら、
哲学を勉強するなんて、無意味だと思います。
自分や他人の生活についてまじめに考えることは、
哲学よりも、ずっと難しいものだから。
俗世間に関して考えるのは、つまらないときが多い。
だけど、そのつまらないときこそが、
実はいちばん大切なことを考えているときなんです。
哲学以外のまじめな問題を話すことを避けない方がいい。
私は、気が小さいから、人と衝突したくないんです。
特に、好きな人とは衝突したくありません。けれども、
あたりさわりのない薄っぺらな話をするくらいなら、
衝突したほうがまし。深入りを敬遠しないようにしたい。
自分を傷つけることを嫌がれば、
まともに考えることは、できなくなるのだから」
これは、哲学でさえない発言かもしれませんが、
ひとりの哲学者の資質をあらわしている言葉にも取れます。
いずれも、数年前の「コンビニ哲学」で
かつて一度紹介した、哲学者たちの言葉ですが、
ここ数回の「経験」にまつわる話を経た上で読むと、
言葉から、あなたの中に生まれる風景が、ありませんか?
偶然、生き残ってきた言葉は、
味わうに足る人に受けとられることを、
いつでも、待っているような気がします。
誰にも丁寧に触れられずに消える言葉も、山ほどあるし。
今の時点でしか持っていない弱みと、
今の時点でしか持っていない強みが、切り離せないように、
世の中に溢れているさまざまな言葉だって、
それを受け取るべき弱さと強さを持つ人にしか、
通じないのではないかと感じるときが、よくあります。
自己啓発本に書かれたコツが、
時間とともに忘れられていきやすいように、
かつて自分が強く動かされた言葉にしても、
未消化で、ご都合主義的に、
他人の言葉のままで活かそうとすると、
案外、後になって「あれ、大したことないよ」なんて
勝手に自分の方から見切りをつけてしまうかもしれません。
このコーナーで、哲学だか体験談だか
見分けのつかない言葉を、積み重ねて紹介しているのは、
どんな形であれ、誰かの中で(そして、ぼくの中でも)、
個人的な哲学を生む導火線になれば、と思うからなんです。
自分の中で熟した言葉に、自分の物語を乗せて、
自分なりの考えになったものなら、忘れにくいし、
携帯可能なものだし、毎日思いだせるはずでしょう。
そもそも、いい考えも、イヤな考えも、
世の中にたくさんあるし、その技術を伝えるソフトは、
ずいぶんたくさん商品化されて、町に溢れているけれど、
部品のように、たくさんの知識や技術を取りこんだ後に、
道に迷ってしまうような人は、
昔も今も、とてもたくさんいるように思うんです。
最先端の技術や知識を身につけている人ほど、
却って、その技術の次の時代がやってきたときに、
驚くほど、からっぽになってしまう危険もありますから。
しかし、本来、個人的な考えを
自分で勝手に生み出しているぶんには、
本来、誰に批判される筋合いもないはずでして。
ヘンに卑屈になって、
「そういう大それたことは、誰かに任せて……」
と思う必要は、ないのかもしれません。
西洋の哲学者の言葉を紹介するよりも、今回は、
明治の小説家・夏目漱石が悩みの結果に至った考えを
ちょっと、紹介してみたいと思います。
イギリスに英文学者として留学した彼は、
当時の最先端の学問を吸収しようと、躍起になりました。
「その頃は西洋人のいう事だと云えば
何でもかでも盲従して威張ったものです。
だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して
得意がった男がみなこれなりと云いたいくらい
ごろごろしていました。他の悪口ではありません。
こういう私が現にそれだったのです」
つまり、借り物の知識をひけらかす以外に、
一生懸命になっていなかったと言っています。
ただ、「そのときは、非常に不安だった」と
ふりかえっているんです。
「機械的の知識と云ってもよし、
とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、
よそよそしいものを我物顔にしゃべって歩くのです。
時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです。
けれどもいくら人に賞められたって、元々
人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です」
その立場はまちがっていたと彼は発言しています。
西洋人がいくら立派な詩だと言っていても、それを
自分がいいと思わなければ、受け売りするべきではないと。
英文学を専攻しているからには、
英米に対して、つい腰が引けてしまっているのだが、
そのコンプレックスを乗り越えたところで、
彼の個人的な哲学は、本格的に、はじまります。
「一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、
その自己本位を立証するために、科学的な研究やら
哲学的の思索に耽り出したのであります。
私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから
大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。
ただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでは
はなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも
好いという動かすべからざる理由を立派に
彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、
人もさぞ喜ぶだろうと思って、
著書その他の手段によってそれを成就するのを、
私の生涯の事業としようと考えたのです。
その時私の不安は全く消えました。ようやく自分の鶴嘴を
がちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです」
転機を迎えたり、
試練を前にしたときほど、借り物ではない
「個人的な哲学」をもとに、動かなければいけなくなる。
そういうことを、「ほぼ日」でたくさんのメールを読んで、
毎日、実感しています。悩みの形は、底知れないですから。
つまり、個人的な考えを生む方法が、求められている。
ところが、
大量の情報に触れている人はたくさんいても、自説を、
受け売り以上のものには展開しにくい状況があります。
そんなの偉そうだという風潮が、ずっと続いていましたし、
ずっとそういう教育を受けてきたものだから、
普通に働く人は、根本のことを考える権利も教養もないと、
ついつい、自分を安く見積もってしまうかもしれません。
しかし、ぼくは、「ほぼ日」で何十万ものメールを読んで、
本人がそう思っていない場合にも、
自分の鉱脈を探して掘りこむことに至っているすごい人を、
ほんとに驚くほど、たくさん見かけているんです。
尊敬しつつメールを読んでいたものですから、今日の最後は
すこし長くはなりますが、そのごく一部を、紹介しますね。
一見、「自分の考え」とは言えないものに
見えるかもしれませんが、こういう所から出発するなら、
充分、「個人的な哲学」が展開されはじめていると思います。
「私の大切なものは、
今一九歳の娘が小学二年生の頃にくれた置き手紙です。
娘は遅く帰る私によく置き手紙をしてくれました。
当時、仕事が忙しくて
一週間ほど残業が続いた日帰宅したら、
リビングのテーブルにおいてあった手紙です。
お守りのように持っております。チラシの裏に
丁寧に色を付けて数枚を、ホチキスで留めた手紙です。
『ママへ!みおより!
いつも、いつも、お仕事おつかれさま。
きのうからおや子はみがきだからおねがいね。
ままは、あさは、早いからえらいね。
みおは、二年生になってからたのしくなったよ、
それでまい日まい日はりきって、いっています。
……略……
みおはみんなとなかよく元気にあそんでいるよ。
まましごとがんばって、おやすみなさい』
この手紙を読んだときは涙が出ました。
小さな応援団に励まされて今に至ります」
「友人や親からの手紙も読むと
あっさり捨ててしまうので、よく薄情と言われますが、
一通だけ大切にしている手紙があります。
おばあちゃん子だった私は、上京後も
田舎で暮らす祖母に頻繁に手紙を書いていましたが、
体の自由がきかない祖母からの返事はありませんでした。
あるとき帰郷の折に祖母から手渡された白い封筒。
封筒には震える文字で『○○○○様』と記され、
中の便せんには『いつもありがとう』とありました。
その一年後に他界した祖母。見ると絶対に
泣いてしまうので、今でも本棚の奥にしまってあります」
「私の大切なものは、母が書き残した私の育児日記です。
母は私が六才の時、病気で亡くなりました。
大好きだったお母さんが、
私のために残してくれたたくさんの物の中でも
いちばん、愛情が感じられるものでした。
私が生まれた時から、最後は入院するために
家を出る日まで、ほとんど毎日、
私の様子や母の気持ちが書きこまれていました。
人生の中で何度も壁にぶつかったとき、
ふとその大学ノートを読み返しては、
私はこんなにお母さんに愛されていたんだ、
頑張らなければ、と思います。
母からの無償の愛を感じられます。
二四歳になった私は、母の記憶はほとんどありませんが、
ノートを読み返すと、母が生きているような気がします」
「親元を離れて暮らしている私には、
ときどき、実家から野菜やお米が届きます。
それにきまって添えられている、
母からのちょっとした近況報告や激励の一筆箋。
読み終わるとすぐに細かくちぎって捨てています。
母が死んだあとで自分が
その手紙を読み返している状況を想像すると
ものすごく悲しく、怖いのです。
そのあとでさらにそんな想像をしてしまったことを
『縁起でもない』と思い、心を鬼にして手紙をちぎる私」
「わたしの大切な品は、母からの手紙です。
小学生の時、習っていた水泳の厳しい練習についていけず
嫌々ながらスクールに通っていたときにもらったのですが
当時のわたしには、全てを理解することができず、
サラリと読んで、そのまま、
手紙用の箱にしまってしまったのでした。
十年後に病気で母が亡くなり、気持ちも身のまわりも
少しづつ整理しようと、長年溜め込んでいた手紙を
何げなく取り出してみると、その手紙は出てきたのです。
とてもやさしい字で
『人間は悩まなければすばらしい時がつかめませんよ』
『自分の人生は自分で作るのよ』『自信を持ちなさい』
『次の時間のことは誰にも分からないのだから、
今を大切にしなさい』
『今いるところで満足してはだめです』
というような内容の文が綴られていました。
この手紙は大人になった私の心にも強く響くものがあり、
辛くなったときに読むと、大好きな母に
励まされているようで力が沸いてきます。これからも
私を一生応援し続けてくれる、本当にステキな手紙です」
「高校の時の化学の先生は
その先生はとても分かりやすい教え方で、
将来教師になりたいと思っていた私の目標でした。
毎年自分の授業のノートを作り直す熱心な先生でした。
授業中、難問が有ったりすると
『苦しい時は上り坂、楽な時は下り坂』が口癖でした。
その頃は、皆、またあの言葉だぁ、
などと顔を見合わせたりしてました。
ただ、わたしは教師にはなりませんでしたが、
五二歳になるこの歳まで、仕事や子育てなどで
先生のこの言葉に随分何回も、助けられました。
はじめは、苦しい時は上り坂ばかり思い出しましたが、
楽な時は下り坂の方が含蓄のある言葉だと今は思います」
「私の仕事って、漠然としてて、
手を抜こうと思えば割とバレずに手を抜けちゃいます。
長い目で見れば、将来ツケがまわってくるんですが、
どうしても怠け心には勝てない。そう思っていたとき、
『手を抜く方が疲れる』という言葉を聞きました。
たしかに、色々手抜きの方法を考えたり
コソコソするのって、疲れるよなぁと、同感しました」
ハッキリとした形にはなっていない言葉かもしれないけど、
どれも、大切にしたいもの、自分の問題意識、周囲の風景、
それから、自分自身の物語に至るまでを乗せた、
個人的な考えになっていると思って、読んでいたんです。
手紙が、何十年も後になってから、
ようやく、読まれた人から感謝をされているように、
「自分の個人的な哲学」を盛りこんでいる
すべての本も、いろいろなインタビューも、静かに、
誰かに理解されることを、待っているかもしれません。
きっかけさえあれば、
ある哲学者の考えの延長に、さらに生き生きした、
現在の境遇に則した言葉が、生まれるかも知れないし、
あまたの哲学者たちだって、そもそも、他人からの刺激や、
稚拙な出発から、偉大に化けていった場合もありますから。
それぞれの境遇にいる人が、その状態を
そのまま刻みこんでくれた言葉ならば、
その状況を尊敬したいし、もっと聞いてみたい──。
そういう風に思いつつ、話を、次回に続けることにします。
いま、やりたいことや迷っていることを、あなたが、仮に、
そのまま、言葉に綴ってみると、どんなものになりますか?
感想を寄せてくださると、とてもうれしく思います。
postman@1101.com
件名を「コンビニ哲学」として、送ってくださいませ。
木村俊介
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