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第3回 びくびくしながらも、真正面。


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写真集『セーヌ左岸の恋。』
この作品は、
写真家エド・ヴァン・デル・エルスケンの代表作です。
エルスケンはオランダから
単身1950年代のパリへ向かい、
ローライ・フレックスという二眼レフのカメラと、
数本のイルフォードのモノクロフイルムと小銭を持って、
カルチェ・ラタンの中心地
サン・ジェルマン・デ・プレに移り住みました。
そして彼は、そこにある全てと向かい合いました。

エルスケンという写真家は、
一般的には「ストリート・フォトの先駆者」
などと呼ばれていますが、
少なくともぼくにとっては、
そんなことよりも写真を始めた時から、
ただひたすらに憧れでした。
それはきっと、その写真集の中に写し出されている、
人々やその有り様に対して、とても自然に、
しかもごく当たり前のように、
正々堂々と向かい合っている
その姿に憧れていたのだと思います。
何故なら、ぼくは人一倍「人が好き」なくせに、
昔から、いざとなるとまるで、
しっかりと向かい合えなかったりするからでした。

そして偶然の巡り合わせとは面白いもので、
1985年、ぼくがパリに向かう直前に、
有楽町阪急でエルスケンの写真展をやっていました。
ぼくのデビューギャラリーでもある京都のGallery・DOTで、
以前エルスケンの展覧会をやったこともあって、
それまでも、何度も観てはいたのですが、
やはり「もう一回観ておこう」と会場に向かいました。
すると何と! エレベーターの中で、
サイン会のために来日した
エルスケンさんと一緒になってしまったのでした!

周りの誰も、気付いてはいませんでしたが、
ぼくはドキドキでした。
それでもその時は結局声もかけられず、
素直にサイン会の列に並んで、
図録の中にあるぼくが
「一番好きな写真」にサインをしていただきました。
実はその時に握手もしてもらったのですが、
その手はとても大きくて、
とても暖かかったのが今でも忘れられません。
そして、その力強い握手は
これからパリに向かうぼくにとっては、
何よりの大きな勇気となったのは、言うまでもありません。

エルスケンにあこがれて
パリへ渡ったけれど。


とにかく、そんな感じでパリに向かったわけですから、
当時のぼくの頭の中は、エルスケンでいっぱいでした。
しかし、エルスケンが歩いた場所と同じパリの街を、
歩いても歩いても、どうしても
エルスケンになれない自分がいました。
結構、落ち込みました。
そして、そんな数日が過ぎたある朝、
蚤の市の中に並んでいた
一台の「ローライ・フレックス」に目が止まりました。
不思議とその時は、そのカメラさえあれば
エルスケンになれるような気がして、
ぼくはその勢いに乗って、そのカメラを手に入れました。
そして早速カメラ屋さんに行って
「イルフォード」のフイルムを買い求め、
(‥‥エルスケンかぶれもいいところ!)
そのきちんと写るかどうかも解らないカメラに
フイルムを詰めて、
パリの街をひたすら歩きました。

しかし、なかなかシャッターを切ることができません。
パリの街はどこも雰囲気があって、
いくらでもシャッターを押すチャンスはあります。
なのに、なぜシャッターが押せないんだろう?
またしても、ちょっと落ち込みながらも、
なぜシャッターが切れないのかを考えてみました。
そして、ぼくはあることに気が付きました。

そうなのでした、ぼくはこのカメラで
「人を撮りたい」と思っていたのでした。
エルスケンのように。

ところが、そう気が付いた時には、
パリの冬はとても日が短いことも手伝って、
すでに日もかなり傾いていました。
その上、「人を撮る」といっても、今度は、
「知り合いがひとりもいないこの街で、誰を?」
という問題があります。
するとその時、一人の男性がぼくの顔を見ながら
目の前を通り過ぎていきました。
今となっても、なぜその人だったのかは解りませんが、
とにかく「撮りたい」と思いました。
ぼくは、その人の後を追いかけて、
ドキドキしながら、生まれて初めて
見ず知らずの人に声をかけました。
そして当然、フランス語なんて話せませんから、
それこそ身振り手振りで、
「あなたを撮りたい」という気持ちを伝えました。
すると彼は、にっこりと微笑みながら
「ダッコール!」(オーケイ!)と快諾してくれました。

無我夢中で真っ正面に立ち、
撮れた写真は。


しかし何せ全てが、初めてのことですから、
何をどうしていいのかも解りません。
おそらくその時は、ただびくびくしていただけで、
頭の中も真っ白だったと思います。
しかし驚くことに、気が付くと、
ぼくは彼の真正面にカメラを構えて立っていました。
そして、ただ向かい合うというそれだけで、
数回シャッターを切らせてもらいました。

こうやって、ぼくにとって生まれて初めての
肖像写真が生まれました。
それが冒頭の写真です。

先日、久しぶりにこの古い写真を
引っ張り出してみて思うことは、
やはり真っ直ぐというのは、気持ちがいい、
ということでした。
そしてまだまだ比べものにはなりませんが、
エルスケンの写真の中にも、
その真っ直ぐな気持ちがいっぱい写っています。

誰にでも、何かと向かい合わなくてはならない時、
あるいは向かい合いたいと思う時があるはずです。
そしてこれは、写真においても同様です。

なかなか思うように写らない時、
気にはなるけれど、どのように撮っていいか解らない時、
そんな時は、いつもより少しだけ勇気もいりますが、
まずは真正面から、向かい合ってみましょう。
ただし、人を正面から撮る時は、
かならず一声かけてから。
そして、たとえ人以外であったとしても、
相手を思いやる気持ちを忘れずに、しかも堂々と。

すると、その中から必ず、
「大切な1枚の写真」が生まれるはずです。


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人でも、物でも、
「撮りたい」と思ったらまず真っ正面に。
斜めからこそっと、ではなく、
ちょっと勇気を出して、
堂々と真っ正面から向かい合ってみよう。
そうして撮った写真は、
きっと大切な1枚になるから。


次回、第4回は
「空を撮る。」
ということについてお話しします。
(次の金曜日に更新します。お楽しみに。)


2005-12-30-FRI
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