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第22回 デジカメなんか嫌い、
でもデジカメも好き。


1/60S f2.8 / Nikon D200+VR105mmMacro
(クリックすると拡大します)


今ぼくは、自身の展覧会のために
シンガポールに来ていて、
そこでこの原稿を書いています。

外はとても暑いのですが、
部屋の中は、クーラーが効いていて
かなり快適だったりします。
そんなところで文明の威力を感じながら考えてみるに、
そんな電気な力は写真の世界にも
徐々に波及してきていて、
ここ数年で、すっかりデジカメも
一般的なものとして定着したようです。
実際にぼくも、デジカメを毎日使っているし、
それはそれで、便利ではあるのですが、
だからといって、不満がないわけではありません。

‥‥なにが不満なんでしょうか?

デジカメに“雰囲気”が欠けると感じる理由。

ひと言で言うと、何よりも、
デジカメが撮る写真には
雰囲気みたいなものが、なかなかうまく写りません。

雰囲気というのは、言い換えれば、
その場の空気みたいなものかもしれません。
もちろん、空気は実際に肉眼で
認識することは出来ませんが、
その一見透明な空気には「湿度」があります。
つまりこの地球上においては、
どの地においても必ず水分を含んでいます。

デジカメで、“空気感”がなかなか写らない理由には、
様々な原因があると思うのですが、
ぼく自身がいつも考えるのは、
デジカメにおいては、
そのすべてのプロセスの中において、
“水分”という要素が何一つないという事実です。

デジタル以前の写真には、
(もしかしたらそれは、偶然の賜物なのかもしれませんが)
フイルムにしても、現像のプロセスにおいても、
常にその場所には、水が存在しています。
暗室には必ず流しがあるのですが、
それは現像というプロセスで、
フィルムも印画紙も、具体的に水を使用するからです。

そしてもし、それがたとえ偶然だとしても、
空気を通しての被写体という“写しているもの”と、
フイルムという“写すもの”の両方に
水分が含まれることで、
それらはうまく結びつくことが出来て、
自然と、そういった雰囲気みたいなものが
写ったりするのではないかと思うのです。
だから、フイルムで撮った写真というのは、
時として、驚くほどにというか、
想像以上に、雰囲気であるとか、
空気感みたいなものが写る場合があります。

ところが、デジカメの場合は、
その水分という要素そのものがないわけです。
実は今も、窓の外は、
南国特有のスコールが降っているのですが、
この雨などはデジカメにとってみたら、
最も苦手とする被写体なのかもしれません。

デジカメだから撮れた写真、もたくさんある。

一方で、そのデジカメのおかげでというか、
デジカメだからこそ出来ることだって
たくさんあります。

(何を今更と思われるかもしれませんが、
 どこかでデジカメが、
 写真的にはまだまだ中途半端な状態で、
 当たり前になりつつある現在だから、
 改めて考えてみる必要もあるのではないかと、
 少なくとも、ぼくは思っています。
 何故ならば、その欠点みたいな所と、
 長所の両方を知ることで、
 生まれる新しい写真も
 あるのではないかと思うからです。)

例えば、今回の写真は、
こうやって原稿を書いている数時間前に撮影したものです。
ぼくは今朝、ホテルの近所にある
「National Botanic Garden」に
散歩がてら向かいました。
そして、その中にある「Orchid Garden」という
多くの蘭が咲き乱れる庭園をフラフラと歩いて来ました。
蘭は、シンガポールの国花ということもあってか、
庭園には、非常に多くの美しい花がありました。
しかし、もともとぼくは、
何となく自分には、あまり関係がないような気がして、
この蘭という花が好きではありませんでした。
(‥‥これはあくまでも、
 ぼくの日常の中においての話であって、
 以前ジャングルの中で見つけた美しい野生の蘭に
 好ましい印象を持った経験はあります。)
ところが今回シンガポールに来てみて、
その蘭の花が、想像以上に美しいと感じることが出来たし、
どこかで、この花がここにある理由みたいなものも、
同時に、感じることが出来ました。

また、それとは別に、
日本を発つ前に、今回僕がシンガポールに
行くことを知った人から、
蘭の花を撮ってみて欲しいと言われていたことも、
ぼくが、この「Orchid Garden」に足を運ぶことにした
理由のひとつです。
ただ、言われたときは、どこかでそのことに
必然を見つけることが出来なくて、
少々、戸惑いがなかったわけではありません。

でも、こうやってホテルに戻って、
先程撮影してきた写真を見ていると、
その思いは、徐々に変わって行きました。
それはむしろ、ぼくがというよりも、
こうやって写っている写真そのものが、
いろんなことを話してくれるとでも
言えばいいのでしょうか。
まだ具体的なところまでは行きませんが、
これらの写真を見ていると、
「きれいだなあ」「ああそうなんだ!」
といったことを、いくつか感じることが出来ているのは
間違いないので、
ぼくの、蘭の花に対する印象が大きく変わったことは
事実のようです。

ぼくは、常日頃から、写真というのは、
ひとつの窓みたいな役割もあるんだなあ、
と感じています。
一枚の写真がそこにあることで、
別の新しいことを感じることが出来るようになったり、
今回のように、
想像力を掻き立てられたりといったことがあるからです。

そして少なくとも今回、
こうやって新しい発想という窓を開くことが出来たのは、
デジカメならではの、最大の特徴のひとつでもある、
“撮影した写真をすぐに見られた”
からこそだと感じています。
もし、すぐに見ることが出来なかったら、
きっとこのように、新しい気持ちで、
撮影に行くこともなかったかもしれません。

嬉しいことに、どうやら、少しずつではあるのですが、
ぼくはデジカメのことが、
以前より好きになることが出来ましたし、
実際に、そこから新しい写真が
生まれることになりそうです。



たまたまぼくたちは、現時点においては、
フイルムも、デジカメも、
両方使うことが出来るのですから、
その両方を使ってみることを、おすすめします。
そして、そうすることで、
きっと今回のように、デジカメだって、
今まで以上に、単なる記録として以外の
写真を撮るための道具として、
認識することが出来るでしょうし、
好きになれるのではないでしょうか。
デジカメもフイルムカメラも
共にいいところがあるのは間違いありませんから、
それを知ることで、カメラの使い方が、
きっと今まで以上に、自然なものになるはずです。
まずは、その特徴みたいなことを少し意識しながら
楽しんで写真を撮ってみましょう。



1/250S f2.8 / Nikon D200+VR105mmMacro
(クリックすると拡大します)


次回は
「目に見える光と、目に見えない光」
というお話をします。お楽しみに。

2006-05-26-FRI
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