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【“写真を観る”編 第3回】
ロバート・フランク (1924〜)
Robert Frank


ロバート・フランクからの手紙に同封されていたポラロイド
(クリックすると拡大します)


ロバート・フランクといえば、
写真の世界では、誰もが知っている
現代写真界の巨人のひとり。
そしてその常に進化する生き様は、
まさにフォトグラファーズ・フォトグラファー。

とはいっても、知らない人も多いでしょうから、
最初に、そんなロバート・フランクの略歴を
簡単にご説明します。
彼は、現在84歳のスイス人です。
しかも、今は少し足を悪くしているみたいですが、
それでもまだまだ現役の写真家です。

スイスで生まれ、パリで「アメリカ人」を出版

ロバート・フランクは、
20代後半にスイスを離れ、単身アメリカに渡ります。
そして言葉も通じないニューヨークで、
ハーパース・バザーなどの
ファッション写真の仕事を始めます。
しかし、その後ペルーを旅したことがきっかけとなって、
ファッション写真の仕事に終止符を打ち、
欧州を中心とした、様々な土地へ旅をしながら
独自の眼差しで、写真を撮り続けました。
そして1955年から56年にかけて、
外国人としては初めて、
グッゲンハイム財団の奨学金を得て、
高度成長期真っ只中のアメリカ各地を撮影し、
その姿を、およそ500本のフイルムに納めます。
それが1958年にパリで出版された
有名な写真集『The Americans』
(アメリカ人たち)です。
今となっては、当のアメリカ人にとっても
大きな財産のひとつのように扱われていますが、
発表当時、そのありのままの現実を撮影した写真は
彼ら自身が思い描くアメリカの姿とは異なっていたようで、
なかなか受け入れてはもらえなかったようです。
しかも当時は、写真といえば今以上に
ジャーナリスト的な写真が主流だったことも、
その原因のひとつかも知れません。

しかし、やがてそのロバート・フランクの
きわめて個人的でいて、主観的な視点で構成された写真は
アメリカの社会の中に、大きく波及していきます。
そして、結果的にはぼくたちも含めて
その後の写真家に大きな影響を与えることになります。
そんなロバート・フランクの写真は、
かのジョン・レノンが、ビートルズ時代に
ポピュラー音楽の中では初めて
“日常”をテーマにした名曲「In My Life」を発表して、
その後の音楽シーンを大きく変えていったことと
同じようなことなのかも知れません。

ところが、当のロバート・フランクは
そんな成功に身をゆだねることなく、
今度は、16ミリ映画の制作に没頭していきます。
もちろんその合間で、写真も撮っていましたし、
何冊かの作品集も出ています。
ただし、あの『The Americans』のような
写真は撮っていません。
そして最近では、
(といってもすでに10年以上経ちますが)
1994年に、ワシントンの
ナショナル・ギャラリーを皮切りに
世界各地で「Moving Out」というタイトルの回顧展が
開催されました。
(日本では、横浜美術館で開催されました。)

とにかく、ロバート・フランクという写真家は
それはまるで“成功”という言葉を避けるように、
次から次へと、新しい世界に向かっていくので、
その詳細を説明していくとキリがないのです。
きっと、そんなところも彼の魅力のひとつなのでしょうし、
だからこそいつの日も、
その動向が、最も気になる写真家なのです。

ぼくの個人的な、ロバート・フランクへの思い

個人的な話をさせてもらうと、
そんなこととはまるで別の次元の話として、
ぼくにとってロバート・フランクという写真家は、
他の誰よりも、特別な写真家なのです。

ぼくは昨年、あるギャラリーの誘いで、
ニューヨークを訪れました。
そしてその時に、たまたま同行してくれた人が、
以前にロバート・フランクの通訳をしたこともあって、
彼に会いに行くというので、
ぼくも大好きな写真集
『The Americans』を片手に、
いそいそと付いていったのです。
軽い気持ちで同行することにしたものの、
学生時代から大ファンだったぼくは
「どのように挨拶すればいいんだろう?」などと、
緊張と共に戸惑いを覚えていたのも確かです。
しかし、そんなぼくの緊張とは裏腹に、
いざ彼のアパートメントに着いてみると、
何と、あの憧れのロバート・フランクが、
自身のアパートメントの下で
ビールケースの上に腰を下ろして、
ぼくたちを待ってくれてたのです!
(噂では、かなり気難しい人とも聞いていたので、
 その姿だけでも大いに驚きました。)

それはそれですごくうれしかったのですが、
とはいっても、やはり緊張はしていたようで、
その時も、ちょっとは話もしたのですが、
(ほとんど)何を話したのか、まるで覚えていません。
ただ、しっかりと写真集にはサインをしてもらって、
その上、近所のカフェで、
彼も大好きだというパフェをご馳走になってしまいました。
実はその時、
ぼくはあるギャラリーでの展覧会の打ち合わせのために
ニューヨークに滞在していたのですが、
“どうしてニューヨークで展覧会をやるのか”
ということに対して、
はっきりとした答えが見つかっていなかったのです。
しかしロバート・フランクに会って、ぼくは単純に
「この人に観てもらいたい!」と思ったのです。
そして何よりも、ロバート・フランクという人は、
もしも、人に格のようなものがあるとするならば、
とてつもなくその姿は大きいと感じました。

そしてその晩、
ぼくにとっては夢のような出来事が起きました。
その日ぼくは、自己紹介も兼ねて
自身の湿板写真のドキュメント本と、
数枚のポストカードを持って行き、彼に手渡したのです。
たしかにそれを渡した時も、
写真を誉めてはくれたのですが、
どこかでぼくは、そのことだけで満足していました。
ところがその晩、彼から同行した友人宛に
電話があったのです。
「彼の写真はすごくいいから、
 一度ピーターにも観てもらったらどうか」と。
そして、そのことがきっかけで、
ぼくは、ディレクターのピーターさんにお会いして、
驚くことに、いきなり彼が主宰する
“Pace/MacGill Gallery”というギャラリーでの
デビューにつながっていったのです。
(最初にオファーをしてくれたギャラリーに、
 そのことを報告しましたが、
 そのオーナーもとても驚いていました。)
しかも、そんなロバート・フランクと共に
グループ展をやることになったわけですから、
ぼくにしてみたら、
いきなりすごいことになってしまったのです。

すべての写真は個人的な感情とともに存在している

とても個人的な話になってしまいましたが、
とにかくロバート・フランクという写真家は
ぼくにとって、特別な人なのです。
だから、こうやって改めて彼の写真について
考察してみようとした時、
どうしてもぼく自身の個人的な話も
それに含まれてしまいます。
しかし、実はそういった個人的な話というものが、
彼のすべての写真の中に
含まれていると言えるのかも知れません。
例えば、写真集『The Americans』の中にも、
黒人のメイドさんが、
白人の子供を抱いている写真があるのですが、
その写真にしても、見方によっては、
当然、当時のアメリカが抱えていた
人種問題が含まれています。
しかし、少なくともぼくが見る限りにおいては、
ロバート・フランクの興味であったり、眼差しは、
おそらく人種問題ではなく、
もっと個人的な親としての自分と、
その子供を育てるということについて考えながら、
シャッターを切ったのではないかと思うのです。
そして、そうやって考えてみると、
すべての写真が同じように、
とても個人的な感情と共に存在していることに
気が付くことが出来るはずです。

一般的には、ロバート・フランクというと、
“コンポラ写真(コンテンポラリー写真の略)”
という言葉と共に
時に前衛的な表現をする写真家のひとりとして
扱われることもあるみたいですが、
ぼくは決して、そうではないと思っています。
もちろん、時には結果として出来上がった写真が、
そのようなものになったこともあるでしょうが、
こうやって、個人的な関係が出来た今となっては、
ロバート・フランクは、いつの日も
スタイルであるとか、方法論ではなくて、
今目の前にある、うそ偽りのない自身の思いを
写し続けているように感じています。

しかも、回顧展のタイトルが
「Moving Out」=「引っ越し中」なんですから、
それだけでも、決して留まることは
ないということなのでしょうね。
そしておそらく彼は、誰よりも正直に
“決して留まることのない自身の思い”と
向き合っているのではないでしょうか。

写真には、コンセプトもテーマもいらない。

ただ、写真が面白いのは、
そんな個人的な思いでシャッターを切り続けたとしても、
そこには常に、それがたとえ身近な家族であったとしても、
被写体としての社会を切り取ることにもなるわけです。
(実際に、写真集『The Americans』の
 最後の写真は、記念写真のような
 ロバート・フランクの家族の写真です。)

そして時にはその写真が、その時代の大きな記録にもなる、
ということを、ロバート・フランクという写真家は、
証明してくれているように思うのです。

だから、皆さんも写真を撮るときに、
とかく慣れてくると、撮る前からいろいろと
“絵づくり”を考えてしまうことも多いかもしれませんが、
きっと、コンセプトなんていらないのです。
だから、テーマだって必要ないのです。
もしかしたら、一番大切なことというのは、
ただひたすらに、自身の中に芽生えた感情に対して
正直にシャッターを切ってみること
なのではないでしょうか。
しかも、これは簡単なようでいて、
実はけっこう難しいのですよね。
そんな時は、是非とも
ロバート・フランクの写真を観て下さい。
するとそこには、驚くほどに多彩な表現を
見つけることが出来るはずです。
その中には、こんなことを言ったら
怒られるかもしれませんが、
明らかな失敗だって含まれているのです。
それでも、不思議とそんなすべてが、
とても個人的なことから生まれていると思ったら、
観ているだけで、元気が出てくるものだったりするのです。
だからこそ、彼は永遠の
“フォトグラファーズ・フォトグラファー”なのです。


at Mr.Robert Frank House photo by Ichigo Sugawara
(クリックすると拡大します)




写真家を知る3冊



『The Americans-』

何といっても、ロバート・フランクといえば、
この「アメリカ人」。
1958年にパリで出版され、
翌年にはアメリカで刊行されました。
またビートジェネレーションの作家
ジャック・ケルアックによる序文も含めて、
現代写真の基礎を作ったと言っても過言ではない一冊です。



『Moving Out』

1994年のナショナル・ギャラリー・オブ・アート
(ワシントン)における回顧展のカタログです。
ロバート・フランクの作品に対して、
様々な角度から編集されていて、
ロバート・フランクの全貌を知るには、
おすすめの一冊です。



『Storylines』

2004年のテート・モダン(ロンドン)における
展覧会に合わせて刊行された写真集です。
その編集には、ロバート・フランク本人が自らが、
写真と映像作品に焦点を当てながら、
新たな試みを模索している姿を観ることが出来ます。




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2006-09-01-FRI
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