糸井 |
ぼくは自分の職業で言うと、
商品環境という言葉を発明したんですよ。
商品は環境ごと商品なんだっていう考えです。
シャネルがどれだけいいかはわかりませんが、
例えばシャネルの香水を石油缶に入れたら、
納屋に入れてあるのを出して投げて渡したら、
それはもうシャネルの香水ではない。
田舎のほうで隠していたものを出してきたら、
これはこれでまた別の意味を持ってしまう。
商品というのは環境を含んでの商品なんだから、
お客さんはその環境を全部求めているんだよ、
と、これは簡単な例なのですが、
これまでの工業社会的な言いかたで言うと、
ねじ1個つくるのと香水1個つくるのとが
おんなじ風に扱われているわけです。
建物や土地代から何から考えれば、
どうしてこんなニューヨークのまんなかに?
と無駄に見えるコストをかけて、
しかもきれいで気を惹く店員を雇っている。
こういうブランド論の源になるのは、
全部この商品環境論なんですよ。
ポンペイ展という展示会を商品環境論で見ると、
できたのはすごいけど商品環境のでの完成度は
おそらく高くないっていうような気がします。
正確に広く伝えてるのはまだ工業社会なんです。 |
青柳 |
そうですね。 |
糸井 |
つまり何と名づけていいかわからないけれども
ぼくは評判と言ったほうがまだわかるわけです。
「評判」にあたる英語は何かと考えたときが
あるんですけど、わかんなくて。
ルモアだと噂になっちゃう。
噂には品質がないんで、やはり「評判」。
「評判」という言葉が上手に伝えられるのは
蔦屋重三郎というひとが吉原細見を作った例で。
これは吉原の遊女の人気投票(カタログ)で、
すごく売れたんです。売り上げが毎年入るおかげで
蔦谷重三郎は歌麿やら写楽やら十返舎一九やらの
パトロン、版元になれたわけです。
当時もう既にブランド論も商品環境論もあって、
評判という言葉ももう既に認識できてたんです。
日本の江戸時代にできてたっていうのは、
やっぱり今も通用するだろう、と思います。
いったん西洋のロジックを組み立てたら、
日本の「評判」にあたるものが全部消えちゃう。
ぼくが今インターネットでページつくってるのは
評判にしか過ぎないことをやってるんですけど。
青柳先生に話をうかがっていると、
ポンペイ展の内容が変わるんです。
学校の先生に連れてってもらうものではなく、
単にエロティックなことに興味のあるひとが
「あ、ポンペイってこうだったわけ?」
とこの評判から驚いたりするわけです。
単純に言うと、ポンペイの売春宿の前に、
ちんぽの看板があったわけ(笑)。
これは笑っちゃうし、大転換ですよね。
つまりユーザー像をそこに掲げたんですね。
商品像ではなくてユーザー像を出したわけ。
そこでシンボルを出したっていうところに
広告屋としては「ああ!」って膝を打ったの。
これは、スーパーモデルの使ってる商品が
流行るっていうのとおんなじ考え方なんです。
人気のあるバーキンというバッグがあるのですが
それはバーキンがつくったバッグじゃなくて、
バーキンが使ったものなんです。
そのバケツ型のかばんをみんなが欲しがるの。
バーキンはユーザーに過ぎなかった。
だけどそれが商品のニックネームにまでなる。
これとあのポンペイの売春宿とおなじ構造です。
こう考えるとあのポンペイの歴史のなかには、
新しいとは気づかれていない新しいことって
山ほどあるんです。そういうことについては
やっぱり、どんな展覧会にでもあるわけではない。
ポンペイ展はソフトとしての深みや広がりが
非常に豊かなので、みんなが
「ソフトがない。アイデアがない」
というときに何伝えればいいのかっていうと、
「ポンペイ展、こんなのがあったじゃない?」と。
青柳先生とポンペイ展を見た日に俺は、
「これをどうひとに伝えようか?」
と、伝えることありすぎてわかんなくなりました。
やっぱり伝える鍵は「未来」になるのかなあ? |
青柳 |
歴史って映写機のレンズだと思うんですよ。
フィルムという過去があり、
スクリーンに映る未来がある。
フィルムの情報を増やせば増やすほど
レンズから遠のけば遠のくほどにスクリーンで
どでかい画面が見られるようになると思います。
われわれレンズのところで生きている人間には
なかなか手が届かないし自分たちでは
つくれないのですけども情報は増やすべきだし、
スクリーンに映る影はでかくするべきであり、
そうすれば、少しですが選択肢が将来に向けて
増えるんじゃないかなあと思います。 |
糸井 |
その話、シンボリックでとてもおもしろいなあ。
20世紀の終わる今のトップの金持ちはビルゲイツ。
ビルゲイツをものとして信号化するとOSですよね。
OSこそこれはレンズですよね。
乗っけるのはソフトであり、ひとに伝えるのはOS。 |
青柳 |
ですね。自分自身には何もない。 |
糸井 |
ぼくは素人なんでわからないんですけど
リナックスのようなものは、
実は素晴らしいわけじゃないという
理屈があるみたいなんですよ。
素人が自分の使いやすいようにOSをつくると、
ああいうものはできちゃうんですね。
レンズにあたるOSが20世紀のシンボル商品
だったとすれば、21世紀にはレンズだけなら
誰でも持ててしまう時代になるかもしれない。
そうすると改めて「フィルムないの?」って。
「フィルムに映す情熱のあるソフトはない?」
こうやってみんながはっきりと求めていくと思う。
それで、ソフトのないことに気づくんですよ。
それで探し出してくるなかに、今回みたく
ごく少数のひとが研究してきたものだけど、
「おいおい、ポンペイ展あったじゃない?」
というようになると思うんです。
NHKので以前に力を入れてつくられたものって、
再放送してますけどかなりの視聴率ですよね。
現在、びっくりするほどの数のひとが
NHK特集の再放送を見てたりするんですよ。
これが過渡期の現在をよくあらわしていると思う。
さっき言ったなかにいくつかキーワードがあって、
商品環境論。ソフト欠乏時代のソフト時代。
あとは消費時間コストというテーマがあると思う。
みんながつくることに忙しくなってくると、
使うことに費やす時間にすごいコストがかかる。
青柳先生が靴を探して街に出ても買い切れない。
ひとが見ていいと思い自分も満足するという靴は
一日中探しても見つからないんです。
探すのにものすごいコストがかかる。
この事実のなかに、次のことがあるんだと思う。
今はそのあたりがどうなっているのかというと、
ひとがいいっていうもののベストテンを挙げて
そうすると上のほうから何番目がいいっていう
ことになるから、ブランドの確立したものは
いつでも自動的に売れていくんですね。
だけど、自分にとって素敵なものっていうのは
時間がなくて選べないんです。
おそらくここに未来の事業もあるのだろうし、
未来にソフトをつくるひとたちの
ビジネスチャンスも生きてゆく動機もあると思う。
それで大発明というのがない以上は温故知新で、
歴史のなかにヒントがあって、その歴史は
たぶん「人間の歴史」なんじゃないかと思います。
「欲望を持った動物」とひとを捉えている点で
ポンペイは見事だなあ、と感じるの。 |