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糸井 |
最近、ラーメンを食べにくるお客さんって、
あそこの店はスープがああだ、
そっちの店は麺がこうだ、とか
評論家みたいに
なっちゃってるところがありますよね。
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河原 |
ああ、そういうお客さんは、
多くなりましたね。
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糸井 |
その中で、「一風堂」は商品開発だけでなく、
いろんなことを大胆におやりになってますよね。
行けば必ずあるおいしさを守る一方で、
積極的に新しいことに挑戦していらっしゃる。
その様子を拝見していて、
ラーメンという激戦区の中で、変わることを
ぜんぜん怖がってないなぁっていうのを
「一風堂」に感じていたんです。
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河原 |
ありがとうございます。
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糸井 |
最近では日本蕎麦屋を始められたことに、
ほんとにびっくりしました。
でも実は、もっと前から
驚かされていたんです。
まず、南青山に「一風堂」ができたときに、
しょうゆベースの東京ラーメンがあったんですよ。
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河原 |
東京ラーメン、置きましたね。
(※メニューにない店舗もあります)
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糸井 |
「一風堂」は博多ラーメンなので、
豚骨スープがベース。
その豚骨スープから展開した商品だったら、
得意だと思うのでよくわかるんですけど、
しょうゆベースの東京ラーメンを、
「俺が作れば、しょうゆベースでもできるんだよ」
っていう感じで出されてて、ビックリしました。
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河原 |
うれしいですね。
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糸井 |
で、そのあとに博多つけ麺を出されて。
つけ麺って、ラーメンとは
もうジャンルが別だと思うんです。
別ジャンルに挑んだうえに、
当時は今ほど、
つけ麺は知られていなかった。
でも、今流行してるつけ麺の流れを
みごとに汲んでますよね。
(※メニューにない店舗もあります)
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河原 |
そうなりますね。
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糸井 |
そして、全部おいしいんです。
味をはずしていないですよね。
「一風堂」の味を、
スタッフの方々と言葉で共有できていて、
とってもいい品質にたどりついてらっしゃる。
これは、どんな仕事でも
役に立つ話だなと思ったんです。
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河原 |
ああー、ありがとうございます。
さっき糸井さんがおっしゃったけれど、
最近のラーメンって、
お客さんがみんな評論家みたいになってて、
実際にやりにくくてね(笑)。
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糸井 |
やりにくいでしょうね(笑)。
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河原 |
もうちょっと、
当たり前に食べてくれたらいいのにな、と
思うんですけどね。
ここ5年、10年ぐらいで感じているのは、
ラーメンが「情報」になってしまったこと。
もう、ラーメンを食ってるんじゃなくて、
情報を食ってるんだって。
値段もフランス料理とかに比べたら手頃なので、
情報として食べやすいですから。
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糸井 |
なるほど。
情報をあつめに、評論家たちが
ラーメンを食べにくるんですね。
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河原 |
ラーメンを食べにくる人たちの間では、
「ああ、俺もその店知ってるよ、食ったから」
っていうのが、挨拶になってるんですよ。
ラーメンを食べていくうえで
「その店の味を知ってる」っていうことが、
いちばん重要になっちゃったんです。
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糸井 |
はいはい。
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河原 |
そうじゃなくて、
「俺は、もうそんなにラーメン食わねぇけど、
あそこの店のラーメンだけは好きなんだよ」
っていうので、いいと思うんですよね。
あそこのラーメン屋さんのファンだとか、
ここのラーメンが好きなんだとか、
そういうのは、ちょっと減ってきましたね。
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糸井 |
たしかに、減った気がします。
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河原 |
俺たちがメディアとかに
どんどん出て行って、
そういうお客さんを
呼んできた部分もあるんですけど。
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糸井 |
なるほどね、
それはおもしろいですね。
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河原 |
「支那そばや」の佐野実さんや、
「麺屋武蔵」の山田雄さん、
「中村屋」の中村栄利さん、
「なんつっ亭」の古屋一郎さんとか、
常にスターが出てますからね。
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糸井 |
うんうん。
スターのつくったラーメンっていうのは、
まさに、情報ですもんね。
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河原 |
そうですねぇ。
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糸井 |
もちろん、河原さんも
スターのおひとりでいらっしゃいますが、
河原さんは、なんでまた、
ラーメン屋を始められたんでしょうか?
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河原 |
えっとですね、
もともと食べ物を作るのは好きで、
学生のときは
飲食のアルバイトばっかりやってました。
で、26歳ぐらいに「AFTER THE RAIN」という
飲み屋を開いて、商売を始めまして。
当時は店が終わってから、
スタッフや常連さんたちと
よくラーメンを食べに行ってました。
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糸井 |
へぇー。
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河原 |
で、2軒目の店を出すときに、
「AFTER THE RAIN」が繁盛してるから、
この2号店を出せばいいじゃないっていうのは、
何かかっこ悪い気がして。
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糸井 |
二番煎じに思えたんですね。
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河原 |
そうそう。
だったら、かっこ悪そうでいて
かっこいいことがしたかったんです。
で、ラーメン屋のオヤジって
かっこいいなって思って。
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糸井 |
ラーメン屋のオヤジがかっこよく見えたから、
なっちゃった。
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河原 |
30年以上前のラーメン屋なんて、
博多ラーメンは屋台ぐらいしかなかったし、
店に行っても、赤いデコラ(机)しかないし。
若い女の子なんて、だれも来ないんですよ。
今は、もう汚いとこでもね、
女性も行くようになってきてるけど、
昔はラーメン屋に女の子がひとりで、
あるいはカップルで、なんていなかった。
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糸井 |
うん、いなかったです。
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河原 |
じゃあ、女の子がいっぱい来るような
ラーメン屋を作ろうと思って。
それでできたのが、「一風堂」なんです。
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糸井 |
たしかに、
「一風堂」は女性でも入りやすいですね。
で、人気店になっていったんですね。
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河原 |
まぁ、当時は俺も若くて、
今はそんなことはないんですけど、
「この野郎、バカ野郎」とか
いろんなこといいながらやってましたよ。
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糸井 |
ちょっと、ワイルドだった?(笑)
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河原 |
ワイルド(笑)。
でもないんですけど、
とにかくおとなが嫌いだったんです。
社会を信用できなくて。
まあ、当時はよくいましたよね。
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糸井 |
はいはいはい。
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河原 |
「おとなはみんな嘘つきだ」とか、
そんな感じでした(笑)。
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糸井 |
ははははは。
(つづきます) |