社長に学べ! おとなの勉強は終わらない。 シリーズ第9弾 「博多 一風堂」店主 河原成美×糸井重里  一風堂のラーメン進化論
 

第6回 焦点は、粉。
糸井 蕎麦は、河原さんが
やりたくなったから始められたんですか?
河原 「蕎麦」っていうより、「粉」なんですよ。
10年ぐらい前なんですけど、
「自分たちの会社の中心軸にあるのは何だ」
って考えたときに、
「総合的な粉を扱う会社を作ろう」と思ったんです。
糸井 粉を扱う、会社。
河原 そのころは、まだ「一風堂」のほかにも、
居酒屋、焼肉屋、お好み焼き屋とか、
いろんなジャンルのお店をやってたんです。
でも、「TV チャンピオン」という番組の
「ラーメン職人選手権」で
優勝したのをきっかけに、
「俺、もう粉しかしちゃだめだ」と
思ったんです。
糸井 悟ったんだ。
河原 店はラーメン屋だけを残して、
2年ほどかけて、
クローズしたり譲ったりしました。
糸井 そうなんですね。
粉に絞ったっていう理由は、
いろいろな飲食店をやってたのを一回リセットして、
考え方をシンプルにしたかったんでしょうか?
河原 そうですね。
自分の考え方というより、
働いているみんなの意識を
シンプルにしたかったんです。
焼肉屋、イタリアン、中華とかいっぱい
ありますけど、味はもちろん、
働いてる人の意識も違ってくるんですよ。
糸井 違うでしょうね。
河原 共通項があるとしたら、
「俺たち、飲食業界に従事してるよ」
ってことだけです。
俺が1本の旗振ってる下には、
焼肉屋もありゃ、
お好み焼き屋も、ラーメン屋もある。
自分の中ではひとつなんだけど、
従業員のみんなは、やっぱり、
これらが一緒だとあんまり思えないんですよ。
会社の作り方次第だとは思うんですけどね。
糸井 うーん、わかります。
むずかしいですよね。
河原 そんなことを感じていたので、
あ、粉で統一したらどうだろうかって。
俺、ラーメンもうどんも
蕎麦もちゃんぽんも好きだし、
粉で一緒じゃんって考えたんです。
‥‥ま、それもまたちょっと違うんだけどね(笑)。
糸井 ちょっと、だけね(笑)。
でも、そしたら、みんなの意識は
変わったんじゃないですか?
河原 そうなんです、ずいぶん変わりました。
俺たち、粉もんでやってるからねっていったら、
ぼくはラーメンだけど、私は蕎麦だけど、
それでも俺たち一緒な感じがするって
一体感が生まれたんです。
糸井 いいですね、一体感。
河原 要するに、粉と出汁ですからね。
いりことかかつおぶしから出した和出汁なのか、
洋風のブイヨンを使ったスープなのか、
それだけの違いやけんね。
それ、大した違いではないっちゃん。
糸井 うん、うん。
河原 で、いろんな粉もの屋さんと一緒に
やってかなきゃねっていってるときに、
信州の「渡辺製麺」ていう、
もともと蕎麦を取り扱っているところと、
「一風堂」を経営する「力の源カンパニー」とが、
一緒に仕事をしようってなったんです。
糸井 そういう流れだったんですね。
河原 実は、南青山の「一風堂」を作ったときから、
ここのスペースで、
俺に蕎麦屋作らせてよっていってたんですよ。
糸井 えっ、最初から
蕎麦屋用のスペースがあったんだ(笑)。
河原 あったんです(笑)。
もう、とにかく狭くていいからって。
糸井 へぇーー。
「蕎麦COMBO」では、
つけ麺っぽい蕎麦がメニューに
なっていますよね。
あれはみごとだと思いました。

▲「B級もつ煮ソバ」「パクチーソバ」
 「Wイモ天ソバ」「スパイシー坦坦ソバ」などが並ぶ。
河原 まあ、もともと蕎麦は好きで、
いろいろ食べてますけど、
伝統的な蕎麦の形では、
とてもできんなと思ったんですよ。
糸井 やらない、じゃなくて、できない。
河原 そうです。
俺たちはひとつの会社としてやっていくから、
働くみんながわかりやすいのがいいな、と
思ったんです。
俺たちはベースがラーメン屋だし、
今流行ってるつけ麺の感覚で
蕎麦を作ってみようっていうのが、
「蕎麦COMBO」の始まりです。
糸井 はぁーー。ここでも、
働く人の共通意識を大事にされたんですね。
河原 最初はね、肉とか天ぷらとか、
馴染みのある食材のほうがわかりやすいかな、
と思ってたんです。
でも、
それじゃあんまりおしゃれじゃないな、と。
だから、もつ煮とか担々とかパクチーを
使ってみました。
あ、意外にですね、
パクチーがすごい出るんです。
糸井 あーっ、パクチー!
あれはおもしろいですね。
河原 あんなに出るとは思わなくって。
糸井 だって、パクチーをあんなにいっぱい
食べさせてくれる店って、ないですもんね(笑)。

▲蕎麦が見えないほど、パクチーが。
河原 最初はね、もっと少なかったんです。
で、「パクチーソバ」なんだから、
ばかみたいにもっといっぱい入れようよって。
糸井 パクチーソバは、
河原さんが考案されたんですか?
河原 そうですね。
パクチー、うめえよなって話をしてたときに、
蕎麦にのっけてみたらいいんじゃないとか
オリーブオイルもかけちゃおうぜとか、
発展していった感じです。
蕎麦にオリーブオイル、
これは絶対いけるって思いましたね。
糸井 うんうんうん。
河原 今、自分たちはニューヨークやシンガポールに
「一風堂」を出してるんですけど、
この「蕎麦COMBO」も、
ニューヨークやシンガポールにいけるなと
思っています。
糸井 あー、「蕎麦COMBO」のメニューって、
国籍が見えないですもんね。
河原 店にはね、蕎麦のほかにも、
ピンチョスとか和風のおつまみもいっぱいあって、
日本酒やワインを立って飲んで、
最後に蕎麦を、ばくっとたぐって帰る。
海外に「蕎麦COMBO」を出して、
お客さんが来てる様子が想像できるんですよ。
糸井 うん、想像できますね。
河原 ありがとうございます。
糸井 日本蕎麦って、閉じていく方向に
進化していくと思うんですよ。
それはだめ、あれはこうでなきゃだめって。
河原 はい、はい。
糸井 寿司なんかも、ちょっとそういうとこあって。
まぁ、寿司は魚でいろいろ変化できるんですけど、
蕎麦が閉じちゃうと、やりようがなくなってしまって、
年に10回来てくれるお客さんが、
年に5回でいいやになっちゃう。
河原 そうですね。
糸井 ぼくは、初めて日本蕎麦で、
ほかのものに負けずに、
可能性を広げた店だなぁと思ったんです。
河原 あー、うれしいです。
ありがとうございます。

(つづきます)
2012-05-08-TUE
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