糸井 |
蕎麦は、河原さんが
やりたくなったから始められたんですか?
|
河原 |
「蕎麦」っていうより、「粉」なんですよ。
10年ぐらい前なんですけど、
「自分たちの会社の中心軸にあるのは何だ」
って考えたときに、
「総合的な粉を扱う会社を作ろう」と思ったんです。
|
|
糸井 |
粉を扱う、会社。
|
河原 |
そのころは、まだ「一風堂」のほかにも、
居酒屋、焼肉屋、お好み焼き屋とか、
いろんなジャンルのお店をやってたんです。
でも、「TV チャンピオン」という番組の
「ラーメン職人選手権」で
優勝したのをきっかけに、
「俺、もう粉しかしちゃだめだ」と
思ったんです。
|
糸井 |
悟ったんだ。
|
河原 |
店はラーメン屋だけを残して、
2年ほどかけて、
クローズしたり譲ったりしました。
|
糸井 |
そうなんですね。
粉に絞ったっていう理由は、
いろいろな飲食店をやってたのを一回リセットして、
考え方をシンプルにしたかったんでしょうか?
|
河原 |
そうですね。
自分の考え方というより、
働いているみんなの意識を
シンプルにしたかったんです。
焼肉屋、イタリアン、中華とかいっぱい
ありますけど、味はもちろん、
働いてる人の意識も違ってくるんですよ。
|
糸井 |
違うでしょうね。
|
|
河原 |
共通項があるとしたら、
「俺たち、飲食業界に従事してるよ」
ってことだけです。
俺が1本の旗振ってる下には、
焼肉屋もありゃ、
お好み焼き屋も、ラーメン屋もある。
自分の中ではひとつなんだけど、
従業員のみんなは、やっぱり、
これらが一緒だとあんまり思えないんですよ。
会社の作り方次第だとは思うんですけどね。
|
糸井 |
うーん、わかります。
むずかしいですよね。
|
河原 |
そんなことを感じていたので、
あ、粉で統一したらどうだろうかって。
俺、ラーメンもうどんも
蕎麦もちゃんぽんも好きだし、
粉で一緒じゃんって考えたんです。
‥‥ま、それもまたちょっと違うんだけどね(笑)。
|
糸井 |
ちょっと、だけね(笑)。
でも、そしたら、みんなの意識は
変わったんじゃないですか? |
河原 |
そうなんです、ずいぶん変わりました。
俺たち、粉もんでやってるからねっていったら、
ぼくはラーメンだけど、私は蕎麦だけど、
それでも俺たち一緒な感じがするって
一体感が生まれたんです。
|
|
糸井 |
いいですね、一体感。
|
河原 |
要するに、粉と出汁ですからね。
いりことかかつおぶしから出した和出汁なのか、
洋風のブイヨンを使ったスープなのか、
それだけの違いやけんね。
それ、大した違いではないっちゃん。
|
糸井 |
うん、うん。
|
河原 |
で、いろんな粉もの屋さんと一緒に
やってかなきゃねっていってるときに、
信州の「渡辺製麺」ていう、
もともと蕎麦を取り扱っているところと、
「一風堂」を経営する「力の源カンパニー」とが、
一緒に仕事をしようってなったんです。
|
糸井 |
そういう流れだったんですね。
|
河原 |
実は、南青山の「一風堂」を作ったときから、
ここのスペースで、
俺に蕎麦屋作らせてよっていってたんですよ。
|
糸井 |
えっ、最初から
蕎麦屋用のスペースがあったんだ(笑)。
|
|
河原 |
あったんです(笑)。
もう、とにかく狭くていいからって。
|
糸井 |
へぇーー。
「蕎麦COMBO」では、
つけ麺っぽい蕎麦がメニューに
なっていますよね。
あれはみごとだと思いました。
|
▲「B級もつ煮ソバ」「パクチーソバ」
「Wイモ天ソバ」「スパイシー坦坦ソバ」などが並ぶ。 |
河原 |
まあ、もともと蕎麦は好きで、
いろいろ食べてますけど、
伝統的な蕎麦の形では、
とてもできんなと思ったんですよ。
|
糸井 |
やらない、じゃなくて、できない。
|
河原 |
そうです。
俺たちはひとつの会社としてやっていくから、
働くみんながわかりやすいのがいいな、と
思ったんです。
俺たちはベースがラーメン屋だし、
今流行ってるつけ麺の感覚で
蕎麦を作ってみようっていうのが、
「蕎麦COMBO」の始まりです。
|
糸井 |
はぁーー。ここでも、
働く人の共通意識を大事にされたんですね。
|
河原 |
最初はね、肉とか天ぷらとか、
馴染みのある食材のほうがわかりやすいかな、
と思ってたんです。
でも、
それじゃあんまりおしゃれじゃないな、と。
だから、もつ煮とか担々とかパクチーを
使ってみました。
あ、意外にですね、
パクチーがすごい出るんです。
|
糸井 |
あーっ、パクチー!
あれはおもしろいですね。
|
河原 |
あんなに出るとは思わなくって。
|
糸井 |
だって、パクチーをあんなにいっぱい
食べさせてくれる店って、ないですもんね(笑)。
|
▲蕎麦が見えないほど、パクチーが。 |
河原 |
最初はね、もっと少なかったんです。
で、「パクチーソバ」なんだから、
ばかみたいにもっといっぱい入れようよって。
|
糸井 |
パクチーソバは、
河原さんが考案されたんですか?
|
河原 |
そうですね。
パクチー、うめえよなって話をしてたときに、
蕎麦にのっけてみたらいいんじゃないとか
オリーブオイルもかけちゃおうぜとか、
発展していった感じです。
蕎麦にオリーブオイル、
これは絶対いけるって思いましたね。
|
糸井 |
うんうんうん。
|
河原 |
今、自分たちはニューヨークやシンガポールに
「一風堂」を出してるんですけど、
この「蕎麦COMBO」も、
ニューヨークやシンガポールにいけるなと
思っています。
|
糸井 |
あー、「蕎麦COMBO」のメニューって、
国籍が見えないですもんね。
|
河原 |
店にはね、蕎麦のほかにも、
ピンチョスとか和風のおつまみもいっぱいあって、
日本酒やワインを立って飲んで、
最後に蕎麦を、ばくっとたぐって帰る。
海外に「蕎麦COMBO」を出して、
お客さんが来てる様子が想像できるんですよ。
|
|
糸井 |
うん、想像できますね。
|
河原 |
ありがとうございます。
|
糸井 |
日本蕎麦って、閉じていく方向に
進化していくと思うんですよ。
それはだめ、あれはこうでなきゃだめって。
|
河原 |
はい、はい。
|
糸井 |
寿司なんかも、ちょっとそういうとこあって。
まぁ、寿司は魚でいろいろ変化できるんですけど、
蕎麦が閉じちゃうと、やりようがなくなってしまって、
年に10回来てくれるお客さんが、
年に5回でいいやになっちゃう。
|
河原 |
そうですね。
|
糸井 |
ぼくは、初めて日本蕎麦で、
ほかのものに負けずに、
可能性を広げた店だなぁと思ったんです。
|
|
河原 |
あー、うれしいです。
ありがとうございます。
(つづきます) |