レストランでの食事を楽しむための、
「先味」作りの総仕上げを考えてみましょう。
あなたはどんな格好をして
レストランに行こうとしていますか?
そしてその格好は一体、
どんな印象を見る人に与えるのでしょうか?
レストランで尊敬される人は
次のキーワードを満たしている、と思うのです。
それは、
「オトコはハンサム、オンナはエレガント」。
間違っても
「オトコはリッチ、オンナはゴージャス」
ではありません。
エレガントとゴージャスは違いますよネ?
似ているけれど、違うんです。
どちらも多分、華やかであり、
日常生活からちょっと飛び上がったような
高揚感あるイメージでありますが、
ゴージャスにはなにか
高級な洋服にしても、高価なアクセサリーにしても、
「人に見せびらかす」という感覚が付きまとう。
例えば多量の香水、などと言うものは、
目に見えぬくせして
周辺10メートル四方の空気を侵すほど
たちの悪い「見せびらかし性」を秘めています。
こういうものはすべて「ゴージャス」であり
「エレガント」とは違うんです。
レストランに集まる人達の目的は、はっきりしています。
「食事を楽しむこと」です。
良いレストランというのは、
食事を楽しむ目的の人達に優しいもののはず。
だから素晴らしいレストランで食事しようと思ったら、
今日一日で最高の思い出は
「素敵な料理と素敵なサービスと、そして素敵な会話」
になるように心砕くべきであって、決して、
「素敵な洋服と素敵なネックレス、
そして鼻の曲がりそうな化粧品の匂い」
が今晩で一番の思い出になってはならないんだネ。
そういうお客様はお店から確実に嫌われます。
お店の人が嫌わなくても、
そのお店にいる、他のお客様から嫌われますヨ。
だから「エレガント」。
繊細で控え目で、
一緒に食事している人の記憶にさえ残らない程度の装い。
今日のお料理を引き立てる洋服。
それでいて上質で、一時間でも二時間でも
着ているあなたも同席の人も疲れない‥‥程度の装い。
これこそがレストランにおける
完璧な女性のあり方じゃないか、と思います。
(一生懸命、想像力を駆使して考えてみましょう。
きっと見つかりますから!)
続いて男性です。
「リッチ」じゃなくて「ハンサム」。
‥‥これは、いささか難しいですよネ。
リッチはわかる。
金無垢の腕時計を見せびらかすコト。
一万円札でパンパンに膨れ上がった財布を
お尻のポケットから覗かせること。
女性にとってのゴージャスと同じで、
見せびらかしはレストランでは慎みたいですネ。
だから「ハンサム」に。
この場合の「ハンサム」というのは、
日本語になってしまったハンサム=男前、
という意味でなく、
英語本来の「男性として立派に見える」という意味での
ハンサムです。
ここが要注意点です。
英和辞典を引いて、確認してみましょう。
【handsome】
1)顔立ち、容姿の整った男性的で凛々しいこと
2)堂々として魅力的であること
3)気前の良いこと。
凛々しいなんて、もう日本では
死語になっちゃった、って思いませんか?
それ程、「堂々とした男性」が少なくなった。
‥‥まあかく言う私も男性の端くれでありますから、
堂々として気前の良いお客様と思われたい、
と思うのだけれど、
時折、そうした気持ちが
フライングを起こすことがあります。
ボクが20代後半のときの話です。
親父が
「お前も大人の男として
料亭遊びの一つも経験しなさい」と、
ボクを京都の飛び切りの料亭に連れて行ってくれました。
ボクは当時の自分が出来るお洒落の中で、
飛び切り一番の贅沢をまとって行きました。
一晩でどのくらいの散財が必要なのか、
当時のボクには想像すら出来ぬほどの名料亭でした。
まず通された小さな待合は、
ただならぬ緊張感と重苦しいほどの静寂の中でした。
まずお茶が振舞われ、
無造作にそれを手にしようとした瞬間、
父がこう言いました。
「指輪をはずしてからにしなさい」
当時のボクは大振りのカレッジリングを嵌めていて、
それはボクのプライドでもあったのだけれど、
父にそう言われて、なぜかわからず、それでも、
素直に指輪をはずし、
それから茶碗を手に取りました。
驚くほどにその茶碗は軽かった。
しかも表面は繊細にして、
ちょっとしたことで引っかき傷がついて
台無しにしてしまいそうな代物でした。
‥‥だから指輪をはずす必要があったんだ!
と、やっと気づきます。
父はそんなボクに続いてこう言いました。
「腕時計もはずしておきなさい」
そう言いながら、父も自分の
金属のブレスレットのついた重く大振りな時計をはずし、
背広のポケットに滑り込ませます。
次の間に通されて、
ヌメらかに光る大きな漆の座卓を見て、わかりました。
ボク達の腕時計は、
漆のテーブルにとっては凶器である、というコトを。
そうした一連の振舞いは、
ボクの父をとてもハンサムに見せました。
その晩、ボクが張り切って着ていった
カシミアのスーツのズボンの膝は一晩で抜け、
使い物にならなくなりましたが、
それがボクにはとてもよい勉強となりました。
最後の最後に、玄関に並んだボクの靴を見て、
それがピカピカに磨き上げられているのに
ビックリしました。
同時に、汚れたままの靴を履いてきたことに、
顔から火が出る思いでした。
しかもどうみても履き潰れる直前のボクの靴は、
美しいその空間に場違いでした。
和食を食べに行くときには靴を磨こう。
若きサカキシンイチロウ君の苦い教訓でした。
男が堂々と見える瞬間というのは、
ふんぞり返った時じゃない。
相手の都合を見通して、
敢えてそれに合わせてみせる寛大な姿勢が
男を堂々とみせるんですね。
一緒に食事する相手の装いに合わせる。
これが一番の「ハンサムさ」だとボクは思います。
一緒に食事する人が
楽しく食事をまっとうできるように心を配る。
これがハンサムな人がすることだとボクは思うんです。
レストランは「家」と同じだ、という話を、昔、しました。
そしてその家に招かれるのが私達、
お客様である、というコトも。
誰かの家に招かれたとき、
そして準備万端整って、実際にその家に向かう時、
あなたはどうします?
手ぶらじゃいかないですよネ。
何かお土産を持ってゆく。
お花一輪でも構わないし、
或いはデザートの足しにって
ビスケット一箱でも構わない。
ワインなんかもって行くと喜ばれるだろうし、
気の利いた室内楽のCD一枚なんてのも素晴らしい。
でも、これらはレストランに全部あるもので、
それでもやっぱりお招きいただいたからには、
なにかプレゼントを持って行きたい。
そう思いませんか?
で、ボクはとっておきのプレゼントをいつも用意する。
「笑顔と、約束の時間どおりに店に行く」
というプレゼント。
喜ばれないことはありません。
よほど偏屈な経営者のいるレストランでない限り、ネ。
さて次回は「待ち合わせ」のお話に入ります。
レストランに行く時、あなたはどこで待ち合わせますか? illustration
= ポー・ワング |