おいしい店とのつきあい方。 |
お目当てのお店が近付いてきました。 お店の前はきれいに整えられ、 厨房から流れてくる 美味しそうな料理の香り‥‥。 ドアの向こうには、 賑やかで華やいだおもてなしの気配が感じられます。 さあ、扉を開けましょう。 ‥‥、としているその時の、 今まさにドアをあけようとしている、 あなたの両手はどのような状態なのでしょう? あなたは何を片手に、 ドアに手をかけているのでしょうか? 今日はそんなお話です。
ニューヨークの冬は非常に寒いものです。 歩いているだけで凍ってしまいそうな シカゴの冬ほど寒いことはないけれど、 でも厚手のコートが無くては、 笑顔で目的のレストランまで辿り着くことは 不可能な程度に、非常に寒いのです。 でもニューヨークの人は、冬が好きだと言います。 寒いからこそのお洒落が出来るから、 好きなんだ、と。 彼らにとってのお洒落というのは 「自己表現」と言うコトですネ。 彼らは、自分を表現するチャンスが多い (=重ね着のできる)冬が好きなんです。 昔、なかなか予約が取れないレストランを、 地元の友達に頼み込んで 3ヶ月越しで予約を果たし、 明日の今日、というその日に、 ボクは予約を手伝ってくれた彼女から こんな電話を貰いました。 「あなたのクロゼットの中の 一番いいコートを着てこなかったら 承知しないからネ!」と。 当日、雪の舞う街を、 一張羅のコートを羽織り、 彼女と待ち合わせをしました。 彼女は彼女で上質を絵に描いたような カシミアのショートコートを身にまとい、 そしてその店のドアを開けると、 当然のごとく、コートを脱いでクロークに預けます。 クロークの女の子はとても美しかった。 良い店のクロークには 本当にキレイな女性が立っているけれど、 その女の子は本当に愛らしかった。 そしてボクのコートを手にした彼女は 「ナイスコート」とつぶやくんです。 ‥‥ああ、いいコートを着てきて、本当に良かった。 ボクのコートは彼女の手の中で誇らしげだったもの。 同行の彼女は、少々意地悪げに 「鼻の下が伸びているわヨ。 ‥‥でも恥かかなくて良かったでしょう?」 僕らはレストラン全体が見渡せる、 しかし適度に隔離感のある良いテーブルに案内されました。 つつがなく食事を終えて再びコートを受け取る時に、 「次回からご予約されるときにはこの電話番号に」と、 特別のショップカードを、 そのとてもかわいらしいクロークの 女の子から受け取りました。 ボクはその時、自分の実力以上の自分を、 お店の人に一番最初に手渡した コートというモノによって 表現することに成功したわけです。 まだボクが20代も前半の話です。 (やれやれ、いまから20年も前のことです!)
別の機会に、同じように 冬のニューヨークにボクはいました。 その滞在の目的の一つでもあった 話題のレストランに向かおうとした時に、 ふと、このときのことを思い出しました。 思いだして自分を見ると、 防寒着としては優れているけれど、 決してお洒落には見えぬコートを着ていました。 しかも両手には今まで買い物した ショッピングバッグをつかんでおり、 これじゃぁまるでロシアから来た 買い出し部隊みたいだな、と思って、 急いでホテルに戻り、コートを替え、 当然、買い物袋を置いて出なおしました。 実際に行ったその店は それほどに立派なしつらいでなく、 だからクロークもほんの小さなものでした。 でもそこに立っていたレセプションの女性は 飛び切りの笑顔で、ボクのコートを預かると、 どのテーブルに僕らを座らせようか…? と、案内係と相談を始めました。 実はその時、僕らは二つのテーブルを巡って 知らず知らずのうちに 熾烈な争奪戦の中に巻き込まれていたんだネ。 当然、予約で一杯のその店に その段階で残っていたのは二卓。 こういう場合、どうしてだろう、 一つは良いテーブル、 一つは(なかなかお目にかかれないような) 最悪のテーブルでした。 最悪の方は出入り口のすぐ前で、 ドアが開く度、冷たい風が吹き込んでくるような テーブルだったんです。 悪い予感がしたネ。 僕らは男だけのグループで、 お世辞にもお洒落ではなかったから。 どうなるんだろう? と思っていたら、ドアが開き、 日本人の女性のグループが入ってきました。 うーん、やられた、と思いました。 明治時代から、日本女性は 世界に通用する素晴らしい逸材だけれど、 日本男児は世界的価値を持たぬ不良品。 西洋人と付き合っていると痛感させられることです。 しかも彼女たちは非常にお洒落で、 とても爽やかな笑顔の人たちでした。 ニューヨークを堪能している真っ最中なんだろうネ。 両手に沢山のショッピングバッグを持って。 彼女たちに、良い方のテーブルを譲りましょう。 ジェントルメンの僕達はそう覚悟していました。 でも、彼女たちを見た瞬間、レセプションの女性は 「あなたたちのテーブルが決まりました。 ご案内しましょう」 と言って、なんと最良のテーブルを僕達にくれたんです。 ‥‥どうしてだろう? 彼女たちと僕達は、どこがどう違ったんだろう? 案内してくれた女性に、 本当にボクたちがこのテーブルでいいの? と聞いたら、彼女はこう答えてくれました。 「このテーブルはワザワザ、 ワタシ達の店に来ていただいたお客様のために 取っておいた席です。 だから買い物のついでに寄る人には 座る資格が無いの! なによりワタシ達のクロークは小さくて、 あんな荷物を預かるための スペースまではないんですヨ」‥‥と。 確かに彼女たちが持ち込んだ 色とりどりのショッピングバッグは、 バリバリ雷のような音とともに クロークの中に押し込められ、 クローク担当の女性が体を動かすたびに ガサガサ騒々しく音を立てています。 それはレストランという空間には、 いささかふさわしくない出来事でありました。
僕達も、もしコートを着替えに ホテルに帰っていなければ、 彼女たちと同じように ショッピングバッグを抱えて この店に来ていたのだろうし、 同じ条件で僕達と彼女たちを比較すれば、 当然、僕達は入り口近くの最悪の方に 座っていたんだろうな、と思います。 沢山の荷物を持ってレストランに行く。 ショッピングバッグを 山のように抱えてレストランに行く。 それはあまりお洒落ではないですネ。 なにより、レストランの人たちに 迷惑になる行為であろう、と思います。 当然、レストランに向かう途中で、 買い物をしたい欲求に駆られることもあるでしょう。 その時もレストランの迷惑にならないように、 って考えてみましょう。 イタリアンレストランに向かう途中に飛び込んだ スーパーマーケットで買ったオリーブオイルが、 お店の人との楽しい会話のキッカケに なることもあるでしょう。 待ち合わせ先の本屋さんで買ったカメラの専門誌が、 そのレストランのシェフの 思いがけない趣味を 発見させてくれることもあるでしょう。 そうなれば、素晴らしくシアワセな ことでありますけれど、 持ち物は控え目で目立たぬことであることがベター。 だって日本のレストランのほとんどは、 特別なクロークを持ってはいないし、 クローク専門のスタッフを置く、 ということもないのですから。 そして何より 「ワタシ達はこの店を目指してやってきたんです」 という意思表示をするためにも、 手に持つものは最小限の荷物に限りましょう。 これが礼儀であろうと思います。 素晴らしいレストランという存在は、 今日一日で最も素晴らしい思い出をここで作ろう、 と思ってやってきてくれるお客様のためだけに、 今日一日で最も素晴らしい思い出を 作ってくれるものなのですネ。 レストランのドアをあけるその瞬間に、 あなたの手の中にあるもの、 そしてあなたがレストランの人たちに 手渡そうとしているもの、 それはあなたを表現する雄弁なるヒントなのです。 さて、次回は 「それでもお店から断られるってどういうこと?」 っていうお話です。 悲しいかな、ボクも、あるんです、そういう経験が! illustration = ポー・ワング |
2003-09-25-THU
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