おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。




今回から何回かにわけて、
「おいしい料理がおいしくあるために
 備えていなくてはいけない要素」のお話をしましょう。
今回は「料理の美しさ」について、です。

見た目が美しく食欲を引きずり出してくれるような美しさ。
これ、やっぱり大切ですね。
家庭料理とレストランの料理の一番の違いは、
この見た目へのこだわりだろうな、とも言えるし。
だからシェフはまずお皿を選び、
細心の注意を払って盛り付けをします。
さあ、あなたの前に、そんな料理がやってきます。


自分が何を頼んだか忘れる?
ぜったいにやっちゃいけません。


厨房からお店の人が運んで来るや、
素晴らしくサービスが行き届いた店であれば
自分が頼んだ料理が、
なんの確認も必要とすることなく
自分の前にさっと置かれます。
そういうお店の人は、だれが何を頼み、
そのお料理が今、一体どういう状態でお客様の前にあり、
次に何をしなくてならないのか?
ということを一生懸命考え、
お客様がすこしでもわずらしい思いをしなくてすむように
いろんな世話を焼いてくれます。
‥‥まあそれらの一連の
お客様思いのあれこれのことを
「サービス」と呼んでいるわけで、
だから目の前に自分の頼んだ料理がさっと置かれる、
なんてことは本来、当然なことであるのだけれど、
でも時折、そうではないことも起こります。
一緒にテーブルを囲んでいる別の人の注文が目の前に‥‥
ということが起こっちゃうんだね。
どうしよう。
「うわぁ、これもおいしそう。
 でもワタシのじゃないんです」
こんな感じで注意を促しましょう。
第一声の「わぁ、おいしそう」、これが大切。
その料理を作ってくれた人に対する
敬意を表す姿勢は忘れないようにしましょう。

最悪なのが、だれが何を頼んだかはっきりしない、
と注文したはずの当の本人たちにとぼけられ、
料理をもってきたウェイターが
右往左往しているようなテーブルです。
パリやニューヨークでの
日本人のおとっつぁんグループでよく遭遇します。
イライラして怒鳴るように
料理の名前を読み上げるウェイター。
何が目の前で起こっているのか
理解できないほどにうろたえ、
もうなんでもいいからとにかく料理を
適当に置いてってくれ、と懇願するおじさん達。
そんなことプロフェッショナルとして
できる訳無いじゃないか、となおさら憤慨し、
大声で料理名を連呼するウェイター。
侮蔑の目を向ける周囲のお客様。
‥‥そんな阿鼻叫喚の地獄絵図の真ん中に
あなた自身を置きたくなかったら、
自分の注文は自分でしっかり覚えておきましょう。
「それ、私のです」と素早く笑顔で答える。
お客様の責任、ですね。


料理が目の前に置かれたら、
必ず反応をしましょう。


さて、そうやってポン、とお皿が目の前に置かれました。
そしたらまず驚いてみましょう。
「うわぁー、すごいね!」
すごいの理由が「きれいだね」でもいいし、
「すごいボリューム」でもいい。
「思った通り」でもいいだろうし
「予想とは違った」でもいいんだね。
とにかく驚く。
目の前の料理に反応する、ということです。

料理が目の前に次々置かれて行くのに、
おしゃべりで忙しくて肝心の料理に
誰ひとりとして関心を払わない…、
なんてことのないように。
かといってみんなが一斉にシーンと黙り込んで、
お皿を出すお店の人の手元を息をひそめて見つめる、
なんてことはしないように。
ボク達は就職試験の面接官じゃないんだから。

お店の人の手もとにあるお皿を仰ぎみる。
どんな料理なんだろう?
わくわくしながら目をキラキラさせてその人の顔をみる。
お皿が近づく。
のぞき込む。
お皿が置かれる。
「ああ、おいしそう!」

この当たり前の繰り返しが、
料理をサーブする人にとってどれだけ快適なことか。
このテーブルはとても好意的で楽しいテーブルだぞ、
と思ってもらえるんです。
気持ちの良いテーブルには
気持ちの良いサービスが恵まれます。

ああ、随分、回り道をしちゃった。
ここで言わなきゃいけないのは
「料理の美しさを味わう大切さ」でした。


すぐ手を付ける? じっと見る?


この世の中にはいろんな美しさがあります。
機能的なものがもつ美しさもある。
豪華で非実用的であるがゆえの美しさもある。
質素でこれ以上切り詰められない
厳しさの中の美しさもあれば、
自然がもつ伸びやかな美しさもあったりします。
料理もおんなじで、みんながみんな
同じ美しさの基準で語れるか?
というとそうじゃない。
例えば一皿1万円のフランス料理の一品が
もっている美しさと、
ざる蕎麦一枚の美しさのとは、
まったく別なもの、だけどどっちも美しい。
そしてその美しさには
ある特定のメッセージが含まれています。

イメージしてみましょう。
ここにお菓子が2つ。
ひとつはフランス菓子のミルフィーユ。
もう一つは和菓子のおはぎ。
どっちもそれぞれに美しいけれど、
その美しさを前にした人の気持ちは大きく異なります。
ミルフィーユ。
あの複雑にして繊細な構築物。
お見合いの席上で出された日には卒倒して
思い切りパスしたいほどの
憂鬱に襲われそうになっちゃうケーキ。
手の中のフォークを拒絶するほどに
気高い美しさがあります。
この美しさに込められたメッセージ、というと
「じっくり時間をかけて召し上がれ」、だね。
たかがケーキぐらいにナイフ&フォークを使うなんて
面倒臭いな…、なんて思う人には
食べて頂かなくったって結構! というメッセージ。
一方のおはぎの方といえば
飾り気の一つも無く質実剛健。
「今すぐ食べてください、手づかみで」
というメッセージです。
どちらが高級でどちらが庶民的と
いうことじゃないんです。

だから例えば高級レストランなのに
呆気に取られるくらいそっけなく単純で
飾り気の無い料理が出てきたとします。
それは「すぐ食べて」という
作り手の気持ちが形になって
食べ手の前にやってきているんだ、
と思って、すぐ食べましょう。
逆に複雑に出来上がった料理が目の前にやってきた時は、
その料理をいろんな角度から眺め、
攻略法を練りましょう。
舌なめずりをしながら。
どちらも料理を見て感じた印象を
口に出してしゃべってみましょう。
同じ食卓に座っている人達同士で、
それぞれの料理に対する印象を共有する、
ということはなかなかに幸せな出来事です。
だから、口に出してみる。
それだけで賑やかで楽しげな食卓になってゆくから。


料理は厨房からのラブレター。


「料理は調理人がお客様に向けて書いた
 ラブレターみたいなものだ、
 それも返事がもらえぬ悲しい手紙」
と前にボクは表現をしました。
でもそれじゃ悲しすぎるんで、
ボクはこの表現の後半をこんな感じに
書き換えてみよう、と思います。
「料理は調理人がお客様に向けて書いた
 ラブレターみたいなものだ。
 手紙をもらった側が、
 返事を書きたくても送れぬ関係の
 恋人同士の手紙のやりとり」
‥‥どうだろう。
例えば政治的に逃亡している彼から
故国のあなたのもとへ定期的に送られて来る手紙。
それを手にしてあなたはどうするでしょう?
いきなり封を切って読み始めるんだろうか?
ボクが彼女ならこうするね。
宛て名の筆跡を確認する。
乱れてないだろうか? しっかりしてるだろうか?
消印をみる。日付を確認する。
手にもって重さを確かめる。
ほお擦りをする。
封筒を空にかざして中を透かして眺めつつ、
そしておもむろに封を切る。

そんな気持ちで料理を見つめてくれれば
料理人は厨房の中で小躍りして喜ぶはずです。
ああ、しあわせだ、と。


次回は「シズル感のある料理」について
お話しします。


illustration = ポー・ワング

2004-01-22-THU

BACK
戻る