おいしい店とのつきあい方。 |
ところで、コース料理って面倒で仕方ないなぁ、 なんて思ったことはありませんか。 どうせ全部、お腹の中に入れてしまうんだから、 一度に出してくれれば便利ですよネ。 これから食べるであろう料理を 全部目の前に並べて眺める、というだけでも 王侯貴族気分を感じを味わうことが出来るだろうし、 なにより好きなものを好きな順番に食べる自由を 味わわせてくれるのも サービスの一つなんじゃないだろうか? ‥‥なんて、思うことはないでしょうか。 それでもコース料理が存在する理由。 世界各国で、美味しいものを背筋を正して食べる、 ということがコース料理のようである、ということ。 それが中国料理であれ日本料理であれ、 食事を楽しむということが 「待って食べて、また待ってまた食べる」 と言うことの繰り返しである、ということ。 その意味を、ちょっと考えてみましょう。
ホテルでの朝食の 楽しみの一つとしてのバフェ(バイキング)。 世界共通の楽しみ、と言っても良いでしょう。 ある海外のホテルのレストランのマネージャーが 面白いことを言ってくれました。 あのテーブルは日本人だな、っていうのは一目でわかる。 彼らは食事を始める前に 何度もテーブルとバフェカウンターの間を 行ったり来たりして テーブル一杯にお皿を並べて それからおもむろに食事を始める。 まるでそこだけもう一つ、 小さなバフェカウンターが 出来たような景色に遭遇すると、 ああ、ここは日本人のテーブルだ、 って思うんですよ──と。 それは旅慣れていない人であって、 日本人みんながそういう訳じゃないでしょう? とその時のボクは答えたけれど、 確かにその後、いろんな場所でそういう景色に遭遇し、 確かにそういう景色の中には日本人がいます。 「ああ、ここは朝から宴会してる!」 そういう景色を見ると、ボクはそう思います。 酒を飲んで騒いでいるわけではないのだけれど、 ああ、このテーブルは宴会をしている。 そう思うのです。 宴会と会食は違います。 皆さんは宴会にサービスを期待しますか? 宴会っていうのは、そこに集まっている人たちが 勝手に飲んで食べて、騒いで盛り上がるものであって、 それとレストランにおける食事(=会食)は 全然、違うことなんですネ。 テーブル一杯に料理を並べて、 いったん食事を始めると後は立ち上がることもなく、 ただただ黙々と料理を口に運び続ける。 そういう人達の目の前のお皿は、 料理てんこ盛りの状態で、 オムレツのケチャップと スモークサーモンのビネガーソースが混じり合って どこからどこまでがどの料理なのかもわからないような、 つまり「餌的」な、とんでもない状況に陥っていたりします。 あげく、全部食べきれず料理の残ったお皿が 大量に散乱するテーブルを後に立ち上がり、 ああ、なんて勿体ない、なんてお行儀の悪い、 ということになったりもします。
欧米のバフェ(バイキング)慣れした人はどうするか、 というと。例えば最初にフルーツを取ります。 テーブルに戻ります。‥‥食べる、そして立ち上がる。 スモークサーモンと生野菜を取ります。 テーブルに戻るります。‥‥食べる、そして立ち上がる。 卵料理にブレックファストミートを取り、 テーブルに戻り、食べます。 そんな繰り返しを、当然のように、 ごくごく自然に行うんですね。 彼らは「何度立ち上がることが出来たか?」ということを、 良いバフェであったかどうかの判断基準にしています。 「今日は5回もテーブルとバフェカウンターの間を 行ったり来たりすることが出来た!」とか、 「今日のはあんまり魅力的じゃなかったから 3回しか立ち上がれなかった」とか。 バフェにおいては、自分を自分でもてなす。 そういうものだと彼らは思っているのでしょう。 食べたいものを一度にとって あらかじめテーブルに並べるのでなく、 フルーツならフルーツだけを、 温かいものなら温かいものだけを、 味の強いものならば 他の料理と味が混じり合ってしまわないように それだけを、という具合に、 料理のもっとも美味しい状態を 自分にプレゼントしてあげるために 何度も何度もテーブルと バフェカウンターの間を行き来する。 その面倒をいとわないことで、 本来、美味しいはずの料理を 台無しにしてしまうことのないように、 自分で自分にサービスをしているのです。 レストランで食事することで高級といわれることは、 基本的に何度も何度もサービスを受けることができる、 ということ。 高級な店であればあるほど、 お店の人は厨房とテーブルの間を 何度も頻繁に行き来する。 頻繁に行き来することで、 美味しい料理を最高に美味しい状態で 提供することが出来るし、 なにより食べ手のお客様と接する機会も増えてきます。 サービスという言葉をもっとも単純に 日本語に訳すとどうなるでしょう? 「接客」──つまり、 お客様に接することがサービスであり、 お客様と接する機会が増えれば増えるほど 良いサービスのお店ということでもあって、 そうしてコース料理のような形態が 世界中で生まれ、育って、受け入れられた、 ということになるのでしょう。
レストランの業界では、 匿名のサービス一回の価格は300円ほどである、 とよく言われます。 それほど教育を受けていない どこのだれだかわからない従業員の サービス一回分は300円に相当する、という意味で、 これが教育を受け経験を積んだ人のサービスであれば 500円ほど、 ソムリエや特別な人のサービスであれば 1000円ほどの価値がある、 という具合に考えると、 レストランの値段の意味のある側面を 知ることができるんですね。 例えばマクドナルドのようなファストフードのお店では、 サービスはカウンターで注文して商品を受け取る一回だけ。 だから300円くらいで許してくれる。 例えば一般的なテーブルサービスのレストランに行くと、 だいたい5回くらいのサービスを受けられる。 メニューを持って案内されて一回。 注文を取ってくれて一回。 お茶やコーヒーを持ってきてくれて一回。 料理を運んでくれて一回。 コーヒーやお茶のお代わりを持ってきてくれて一回。 料理を下げながら請求書を持ってきてくれて一回。 そして大体1500円くらいの代金を払って帰る。 これが業界の掟の一つ、のようなものです。 ならば5000円で楽しむということは? ならば1万円の覚悟で とびきりの贅沢をするということは? どういうことかイメージできますよね? レストランという場所で 美味しい料理が楽しめるのは当たり前で、 素晴らしいサービスまで享受したい、 というどん欲が国境を越え、文化を越えて 世界中でコース料理を生みました。 「待って、食べて、また待つ」 ということの繰り返しを立場を変えて表現すれば 「見つめて、提供して、また見つめる」 という行為の繰り返しとなります。 待つことがレストランを楽しもうとする お客様にとっての仕事だとすれば、 そうしたお客様を見つめることが レストランで楽しんでいただこうとする 従業員にとっての仕事でもあるんです あなたは見つめられている‥‥のです! あなたが目の前の料理を楽しんでいるところを。 あなたがテーブルの上に何もない状態で、 ただただ過ぎゆく時間を楽しんでいるところを。 彼らの前であなたはどのように振るまい、 どのように感動し、 どのように気持ちを伝えればいいのでしょう。 考えてみましょう。 素敵なお客様であることの一部始終を。 お店の人から「素敵なお客様だ」と 感心してもらえる一部始終を。 「気配りを味わう」──次回はそんなお話です。 illustration = ポー・ワング |
2004-02-26-THU
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