おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。



お店の人から「素敵なお客様だ」と感心していただく。
まずそのためには、美味しい料理を心から素直に
「おいしい」と感動しているさまを
お店の人に見てもらわなきゃいけません。
この人、うちの料理が本当に気に入ったかどうか
わかんないくらい無表情だな、っていうお客様は
絶対に素敵と思われません。
美味しいものには美味しいような反応をすること。
これが基本中の基本です。

ただ、問題は目の前の料理が本当に美味しいかどうか、
ということです。
目の前に出される料理すべてに自動的に
「うわぁっ、すごい」とか
「美味しい、すごいっ」とかを
連発するのは、逆効果でしょ。
美味しいというのは、判断するのは非常に難しい、
主観的にして抽象的な概念です。
ちょっと言葉を変えて考えてみましょう。
わかりやすくなるから。
あなたはどんな料理を目の前にすると感動するでしょうか?


そのモヤシはどんなモヤシ?



感動するにふさわしい料理は、感動的な形をしています。
まずこれを覚えておきましょう。

フカヒレスープという料理があります。
ちょっと高級な中国料理店ならば必ず置いてある、
贅沢なスープの代表格のような料理です。
そもそもメイン素材であるフカヒレそのものが高価ですね。
それに味を与えるスープ、
これも驚くほどに手間がかかっています。
ただどんなに目を凝らして
このフカヒレとスープを眺めてみても、
それがどれほどに手間がかかり、
どれほどに高価で、
どれほどに感動的であるかは伝わってきません。
一掬い口に含めば、
素晴らしい美味しさは伝わってくるかもしれないけれど、
でも宙を仰いで両手を胸の前でくんで
神様に感謝するほどに美味しい‥‥と、
無邪気に驚くだけの価値があるかどうか?
難しいです、判断が。
そんな時は、他の手がかりを探しましょう。

みるからに高そうな食材から一旦、目を離して、
どこにでもありそうな、そうあなたの冷蔵庫の中にも
普通にころがっていそうなものに目を移し、
その形を眺めてみましょう。
例えば野菜。
フカヒレスープに付きものの野菜、といえばモヤシです。
ツルツルのフカヒレと熱々のスープの間に
シャクシャクをはさむとそれぞれの触感が
より引き立つし楽しくなる、
という理由で必ず添えられる
薬味以上、具材以下、といった食材で、
ただ実は、作り手の
「とびきりの料理をお客様のために作ってやろう」
という熱意が、いっとう先に伝わってくる、
「情熱のリトマス紙」のような存在=もやし、
である・・・のです。

美味しいお店のモヤシは、
本来、あるはずのヒゲの部分がありません。
味の点では別にヒゲがついていようがいまいが、
別に不具合があるわけではないのだけれど、
モヤシのヒゲは明らかに美しくなく、
家庭料理とお店の料理を区別する意味でも、
ヒゲを取るんですネ。
一本一本、丁寧にそれを取る作業。
気の遠くなるようなものだけれど、
でもこの手間こそがお客様に喜んでいただく作業である、
と、彼らは、ヒゲを取るんです。


ちゃんと見ましょう。
ちゃんとびっくりしましょう。



素晴らしいお店のモヤシは、ヒゲがないだけでなく、
長さがきちんと揃っています。
同じ長さにモヤシの両端を切り揃える、ということは
それだけ食材を無駄にする、ということだけれど、
レンゲに乗せたときに収まりもよく、
何より口の中にスルッと収まってくれる。
料理でお客様をおもてなしする、ということは、
こうして食べ易さにまで気を配る、ということであり、
だから手間をかけてまで
長さをきちんと揃えるわけです。

そして、ものすごく素晴らしい感動に値する
お店のモヤシは、
長さだけでなく太さまできちんと揃っているのです。
お皿の上に並んだ、まるでクローンのように同じ長さ、
同じ太さのモヤシをもしあなたが幸運にも発見したら、
迷わず背筋をひときわ伸ばして目を見開いて、
まず一本、モヤシをつまみ上げ、
口に含む前に「うわーっ、きれい」とつぶやきながら、
ゆっくりその贅沢を味わうといいでしょう。
あっ、この人は本当に美味しいものを知っている。
本当に美味しいものを作り出すことの大変さを、
この人は知って愛してくれる素敵なお客様なんだ、
とお店の人は思ってくれるから。
料理を前にして途端に背筋を伸ばした
あなたという存在を、
サービススタッフから口伝えに聞いたシェフは、
よし、そのお客様のために力を入れて
素晴らしい料理を作ってやるぞ、と
いつも以上の熱意で、
実力以上を発揮してくれるに違いありません。

同じ太さのモヤシばかりをより分けて、
それら一つ一つを大体同じ大きさに切り揃える。
すごい労力です。
しなくても良い作業。
「本当においしい」を越え、
「感激的においしい」のお店に行けば、
金気を嫌うモヤシのために一本一本、
指で摘んで長さを揃えられています。
包丁で切り揃えることの数倍の労力と
集中力を必要とするでしょう。
しかしながら、切り揃えるのでなく、
摘み揃えられたモヤシはそれはもうみずみずしく、
香りも高く、フカヒレスープの添え物を越えて、
それこそが主役でもあると思えるほどに
堂々として心に残る食材になりうるんです。
何より、調理人からもてなされるように
正しく調理された食材にもてなされる私達は
この上もなく幸せです。
そう思うと、襟を正して味わいたくなります。


情熱の手がかりを探してみましょう。



おしゃべりに夢中のあまり、
目の前の料理を一瞥もくれず
いきなり口に運んでしまう。
ああ、なんて勿体ない。
一瞥程度はするけれど、
お皿の上の様々な細々を見つめて
調理場からのメッセージを見逃してしまう。
これもやっぱり勿体ないことです。

ちょっとした一手間を惜しまぬことで、
お客様に美味しい料理を食べていただこうという
情熱をこめることに成功した料理。

探してみましょう。
情熱の手がかり。
大抵はお皿の真ん中じゃなくて
隅っこの方に押しやられています。
大抵は高そうに思えるお肉や魚じゃなくて、
野菜のような当たり前の食材だったりします。
例えば仔羊のグリルの横に添えられたジャガイモが、
みんなそろいも揃って
同じ大きさの粒ぞろいであったりします。
例えば魚の焼き物の彩りにあしらわれた
ししとうの緑色がみんな同じ緑色であったりする。
例えばスープの浮き身の野菜のどれもこれもが
同じ大きさのさいころ状に切り揃えられてあったりする。
私達が自分のために作る料理であれば、
絶対にしないであろう手間をかけ、
しかもそれをこれ見よがしに自慢するでもなく、
あたかもそうすることこそが
レストランで料理を作ることである、
と謙虚にしかし雄弁に語りかけてきます。

そうした作り手の気配を感じとったなら、
素直に背筋を伸ばして感動してみましょう。
そして同じテーブルを囲んだ人と、
その感動を語り合い分かち合い、
ああ、今日は本当にこのお店を選んで良かったね、
と感謝しましょう。
そうしたら料理を残すなんて、
勿体なくて出来なくなっちゃう。
付け合わせの一つ一つにまで心がこもっているんだ、
と思ったら、薬味の一つに至るまで、
残してしまうなんてとんでもないことだ、
と思えるに違いないんです。

そうそう、お料理を残す
というのはやっちゃいけないことなんでしょうか?
どうなんだろう?
そのお話を、次回、します。


illustration = ポー・ワング

2004-03-04-THU

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