おいしい店とのつきあい方。 |
それぞれの料理を食べあう、 あるいは分け合ったり取り分けたりするのって、 マナー違反なんでしょうか? ボクはよくします せっかくだからそのお店のその時頼んだ料理を、 なるべくたくさん味わってみたいから、という理由で、 お皿の交換を、よくしています。 多分、本当は駄目なんだよな、と思います。 なぜなら、シェフは、以前書いた通り、 一人前をしっかり食べていただいて その美味しさが完成するように、料理を作っているから。 なかでも「シェフのおすすめ」のコース料理なんかだと、 最初の一皿から食後のコーヒーに至るまでが 一つの物語を形成しているわけですから、 その順番を変えたり、間に別の味を交ぜたり、 逆にスキップしたり‥‥なんていうことは 許されないだろうし、しちゃいけないことですネ。 でもあまり厳密でないメニューをもっている店、 お客様が自分で食べるものを自由に選んで 食事のストーリーを書き換えることができるような店、 ならば、ボクはある程度、 羽目を外してもOKじゃないかな、と思うんです。
ただ当然、守らなくちゃいけない 最低限のルールはあります。それは 「料理を動かすんじゃなくて、お皿を動かす」 ということ。 ナイフフォークレストランの場合、 こんなことをしてしまうことが多いんじゃないでしょうか。 食べる。 ↓ あまりに美味しい。 ↓ 隣の人に食べさせて上げたくなる。 ↓ お皿の上で一口分ぐらいをナイフで切る。 ↓ で、それをナイフとフォークで摘まんで持ち上げる。 ↓ 20センチほど両手を動かして、 隣の人のお皿に運んで乗せる。 ↓ おいしいよ‥‥召し上がれ! と言いながら。 ああ、今日、あなたがこれを読んでいる今、 この瞬間にも日本のどこかで そんなことをしている隣人思いの人が 何人ぐらいいるでしょう。 そしてその中の何人ぐらいが、 料理の空間移動の途中でボトッと テーブルの上にその料理を落としてしまうんだろう? 自分の料理を分けて上げよう、と思ったら、 料理を動かすんじゃ無くてお皿を動かす、これが鉄則です。 和食だって、そうでしょう? 和食というのは西洋料理に比べて 料理を摘まんで移動させる、 ということが得意にできています。 箸という道具と、つまみ上げ易い形状という 2つの日本料理独特の性格があるからですネ。 でも、それでも料理を自分の器から他人の器に 箸で摘まんでいれるのが許されるのは、 相手が子供であるときだけであって、 大人同士では無作法になります。 ましてや、西洋料理では‥‥!
昔々、ボクがまだ70キロ半ば、 レイテンイットンに向けて成長を始める 前夜辺りの出来事です。 稼ぎのほとんどが晩ご飯代に消えてゆくような生活で、 なにより上昇志向と好奇心ばかりはいっぱしに強かった。 たまには誰もが高級と認めるレストランに 行ってみるのもいいか、と友人を誘って出掛けました。 すごかった。 何が凄い、と言ってテーブルがでかい。 でかい、と言っても宴会場のテーブルのように 闇雲にでかい訳でなく、奥行きが深いのです。 つまりボクの相手がはるか遠くにすわっているような感じ。 テーブルの向こう側で何かボソボソつぶやいたところで、 こちら側に届く途中で落ちて消えちゃう、 そんなくらいの距離感でした。 その時、ボクは初めて悟りましたネ。 こういったやけに高級なレストランは 愛を語るためにあるんじゃないんだ。 告白したければカフェの小さなテーブルで肩を抱きながら。 愛を深めたければビストロの小さな食卓の、 テーブルクロスの下から相手の手を探り当てて 握り締めながら。 そして相手の質問を生返事ではぐらかして 何の良心の呵責にさいなまれることが無くなった カップルのためにあるのが、 高級レストランの巨大なテーブルなんだ‥‥ってね。 で、そんなテーブルの端と端にポツンと二人。 料理は素晴らしく、でもそれ以外はこれといって 楽しくも無く印象的でも無く メインディッシュまでたどり着きました。 ボクは魚、向こうには肉。 このどちらもが非常に美しく、そして魅力的に見え、 どちらもが相手にそれを独占させるのは 悔しくて仕方ない、と、奇しくも思いました。 ストレートに言うと「あっちも食べたい」。 そのころの無分別なボクは、 容赦なく向こうのお皿に手を伸ばして 分捕ろうとしました。 それも一番美味しそうなところを瞬時に見分けて、 グバッて具合に。 でも手が出ません。 手が届かないくらいに遠かったから。 しかもテーブルのこちらと向こうの間には 花が生けられた花瓶やら、 ワイングラスやらゴブレットやら、 倒して壊すとやっかいなことになってしまいそうな 障害物が山とありました。 ‥‥手が出ない! 仕方なしに自分の皿の料理をちょっとづつ片付けながら、 それでも相手のお皿の中身も気になって、 相手が操るナイフフォークの先ばかりが気になります。 そんな状態が続きました。 もう双方の皿には、二口分くらいしか残っていません。 ボクはむっとしてこう言いました。 「そっちもおいしそうだね」 相手はなおさらむっとして 「そっちこそおいしそう」とつぶやきました。 すかさずウエイターが近づいてきて、 こう言いました。 「お皿を交換させていただきましょうか?」──と。
当日そこはたまたまあまり混んでもおらず、 また場違いに若いボク達に与えられたテーブルは 目立たぬ場所だった、という状況がもたらした イレギュラーな幸福でした。 ウエイターはボクらのお願いにこたえて、 さっとお皿を入れ替えてくれました。 テーブルの向こうであれほど美味しく見えた肉料理は、 実際、期待以上ではなかったけれど、 ボクはそれでも幸せでした。 “それだから”幸せだったのかもしれないな。どっちだろう。 そしてそれはテーブルの向こう側の人も 同じだったんでしょう。そう思います。 つまり、人手が潤沢で 過剰とも言えるほどのサービスが可能な店であれば、 お互いの料理を一口分だけ分け合いたい、と言えば、 喜んで手伝ってくれます。 どうやって手伝ってくれるのか? というと、 それはお皿を入れ替えてくれることであって、 あなたの横に立ってあなたのお皿にナイフとフォークを立て、 一口分だけ切った上で しずしずそれを運んで別の人のお皿の上に置く、 というようなことをする訳じゃありません。 だからお皿を動かしましょう。料理じゃ無くて。 でもその時、こう思いながら動かすといいですヨ。 ──お店の人、ごめんなさい。 本当はこれ、あなたの仕事ですよネ。 あなたに頼めば、もっと手際よく 確実に入れ替えてくれるのに、ごめんなさい。 勝手にやっちゃいます。 だから見逃してくださいね。 そんな気持ちでするお皿の交換会は 傍でみててもかわいらしいし、ほほえましいものです。 お店の人も手がすいていたら飛んできて、そ れこそ本当に優雅にお皿の交換の手助けをしてくれます。
自分たちでお皿の交換をするときに、 注意しなくちゃいけないこと。 それは、テーブルを囲むすべての人が息を揃えて 同じタイミングで、同じリズムで、 同じ方向にお皿を動かす、ということ。 時計回り、あるいは時計逆回りが原則で、 ボクはそれを 「お皿にワルツを踊らせようか?」 って、言うことにしています。 一斉にお皿を持ち上げ、右から左に、 イチニイサンでお皿を動かす。 幸せの交換‥‥、のような儀式。 このとき、ナイフフォークをお皿に乗せるのは危険。 落としてしまうとかなり派手な音を立てます。 あなたの大切な洋服を汚してしまうこともあるでしょう。 だからお皿はお皿だけで動かす。 料理を扱うナイフフォークは 最後まで自分のものしか使わない。 それを心がけを守れば間違いはないのじゃないでしょうか? 私のお皿の上には骨付きのプラチナポークの塊が、 相手の料理は甘鯛のポワレが。 当然、私のナイフは頑丈な骨も切り刻めるほどの切れ味、 相手の魚用ナイフでは豚肉は切れそうにない‥‥。 そんな時は、お皿を動かす前に一口分、 あらかじめカットしてから渡せば良いです。 私の幸せは皆の幸せ。 ‥‥レストランで食事することの 最大のテーマだと思うのです。 次回は「食べおえたサイン」のお話です。 illustration = ポー・ワング |
2004-04-01-THU
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