おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。




あなたの手帳には、
どんなお店がリストアップされているでしょう?

好き嫌い。当然、反映されているはずです。
和食が好きな人、フランス料理が好きな人。
新しい店が好きな人、老舗が好きな人。
人それぞれに、
それぞれのラインアップが用意されている。

ボクの知り合いに、
「一人で食事するのが大好き」な人がいて、
一度、彼のアドレス帳を見せてもらったのですが、
それが面白かった。
ほとんどすべての店が「カウンターがある店」でした。
そうでなければ、サービス上手で
おしゃべり好きの店長やソムリエがいる店。
一人で食べる、といえばファストフードや
ファミリーレストランが便利だろう、
と思っていたのですけれど、彼に言わせると、
そうした店で一人で食事していると、
本当に一人ぼっちで飯を食っているような
絶望的な気持ちになるのだそうです。
だけど、オープンキッチンのカウンターで
シェフの仕事を眺めながら食事すれば、
一人でも何時間だって楽しく時間を過ごすことが出来る。
あるいは、素敵なサービススタッフのいる店ならば、
会話が楽しいし、
たとえ忙しくて話をすることが出来なくたって、
そうした人の働く姿を眺めるだけで、
1時間は驚くように早く、楽しく過ぎて行く。
だから気づけば、そうした店ばかりが
リストの中に増えてゆくんだよネ。

確かにその通りに違いないですネ。

このように人それぞれに、
それぞれのアドレス帳になりはする。
‥‥するのですけれど、
でもいろんな使い勝手の店を最小限、
ラインアップに加えておくことは
素敵な社会生活をするのに重要な工夫じゃないか、
と思います。
そこで、ボクなりのアドバイス。
見つけよう、こんな使い勝手の素敵なレストラン。

親密な空間で、
お料理のことを教われる店。

カウンターの中で料理人が働いている小さな店です。
寿司屋さん、天ぷら屋さん、蕎麦屋さん。
高級店であれ、大衆的な店であれ、
昔ながらの日本の老舗はみんなこの形をしています。
頑固な職人さんが働いている前で食事する、
というのは緊張を強いられることですネ。
でもそれだけで敬遠してしまうのは勿体ない。
なぜならこの店は、
「料理の世界の様々なこだわり」
を教えてもらうのに、非常に適した店なんです。
今の季節で一番美味しいお魚は何なのか?
これからどんな野菜が美味しくなってくるのか?
あるいは、料理のどんな状態が
一番美味しく食べられる合図なのか?
そんなことを教わるチャンスが目の前にころがっている。
そう思えば、そんな店の常連にならなきゃ損だ、
と思うでしょう。

別に和食の世界だけじゃないでしょう。
例えば小さな洋食屋さん。
例えばカウンターの中でマスターが
黙々とコーヒーを落としているような喫茶店。
例えば夫婦二人で切り盛りしている
オープンキッチンのイタリアンレストラン。
あなたの周りにないですか? そんな店。

一人で行っても寂しくはない店です。
とっておきの知り合いと一緒に行って、
心ゆくまで美味しい料理のハナシを聞くにも
良い店でしょう。
料理でもてなされる、
というレストランの醍醐味で正々堂々と勝負している、
そんなお店を知っているあなたは、
とても聡明で向上心旺盛な人に見えるでしょう。

息子が父親と二人だけで食事する、
と言う機会は思えば非常に
希少なモノになってるんじゃないでしょうか?
母と娘が仲良さそうに食事する景色は、
日本のそこここで見受けられる。
ショッピングセンターの評判の店や、
マスコミに取り上げられた話題の店に行けば、
特に平日のお昼間、必ず一つや二つ、
そうしたテーブルを見つけることができるモノです。
なのに、男同士の親子。
絶望的です。
そうした二人が楽しく食事できる店がなかなか出来ない、
というのがその理由の一つ
でもあるのでしょう。

ボクは父と、非常に険悪な仲に陥ったことがあります。
父と息子というのはそもそも、
どこかでライバルになり仲良く出来ない事情を
背負い込む存在です。
しかもボクの場合、同じ様な仕事を
一緒にしているワケだから、ますます事情は複雑で、
もうボクは親父がすることなすこと、
すべてが許せないような気持ちになった。
父は父で、ボクの存在そのものが頼りなく、
理解不能な物体のように思えていたのでしょう。
一緒にいても、業務報告のようなハナシはするものの、
会話はなかった。
そんな時、何の因果か、
二人だけで食事をしなくちゃいけない羽目に陥ったのです。
店選びはお前に任せるから、
と言われたのが唯一の救いでした。

考えました。
親父と顔をつきあわせて
何時間も一緒に食事するのは憂鬱だ。
だからカウンターの店にしよう。
食べ慣れた日本料理で、
あれこれ世話を焼いてくれる店だったら、ボクも助かる。
というような理由で、
ボクは一軒の割烹料理屋を選びました。

険悪な家族関係をも
修復してくれた店とは‥‥ 。

お前もこんな洒落た店を知っているのか?
と、父が驚いたのがまず高得点でした。
着席したときに、
「サカキさん、お久しぶりでした」
とご主人に挨拶されたのもポイントが高く、
タンタンと小気味よいスピードで
料理が運ばれてくるのも、良かったのでしょう。
父は、いつものになくご機嫌の様子でありました。
何より、ボクにとってはお互いが
顔を直視しなくてすむ会食、
というのが驚くほど快適でした。
会話の話題を考えなくても、
料理を作るご主人の説明を聞いていれば、
自然と時間が過ぎて行く。
まずまずの成功だな、と思いました。

ただ、ものの30分もたたぬうちに、
客席の主役はボクではなくて
親父にかっさらわれていたのが
少々、腹立たしくて悔しくはあったのですが。

と言うのが、ボクはご主人の話を聞いて
教わることばかり。
ところが父は、驚くほどの
日本料理に対する造詣の深さでもって、
ご主人と会話を交わす。
食材の説明を聞いても、
「そうですか」と感心するだけのボクと話すよりも、
父と話した方がご主人も楽しかったのでしょうネ、
ボクは一方的な聞き手になった。
そしてそのうち、
親父はボクに料理というモノを通じて、
いろんなハナシをするようになり、
ボクと親父は斜めながらも
向かい合うように食事をしていました。

ぶっきらぼうで自己主張が強いばかりの無神経な人間だ、
と思っていた父が、
実は一人前の人に対しては謙虚で楽しく、
そして何よりも自分の仕事と生き方に対して
誇りと自信をもっている人なのだ、
ということがその日分かって、
ボクにはそれがなによりもご馳走でした。

ボクが連れていった店だったけれど
当然のようにお勘定書きは父の前にあり、
ご馳走様と頭を下げるボクに対して、
父はこう言いました。
「上辺ばっかりの浮ついた奴だ、
 とお前のことを思っていたけど、
 こうした真っ当な店を知っている、
 ということが分かって、
 今日はとても安心をした。
 店のご主人からもかわいがって貰っているようだしな。
 ただもっと勉強をしなさい。
 教わる一方でなく、会話出来るように
 自分をもっと磨きなさい」
──と。

今から10年以上も前のこと。
今ではこの店、まるで父は
自分が見つけてきた店のように贔屓にし、
ボクはすっかり、おぼっちゃま扱いされるように
なってしまったけれど、
しかし「寡黙でありながらも素晴らしい料理で
お客様をもてなすレストラン」の代表として、
ボクのレストランリストの中では、
燦然たる地位を未だ保っている店であります。

ただこうしたお店、
出来ることなら大人数で行かないようにしたいもの。
みんなが一斉に質問したり、
みんなが一斉に感心したり、
みんなが一斉にウンチクを語り始めたりしたら、
それこそ収拾がつかなくなっちゃう。
親密な空間が壊れてしまう。
とっておきの人を連れて、素敵な人に会いに行く。
そんな気持ちを大切にしたいものだ、と思います。

次回は「大切なお客様をおもてなしするのにふさわしい店」
のおはなしです。

illustration = ポー・ワング

2004-07-01-THU

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