おいしい店とのつきあい方。 |
「イタリアンレストランのコーヒーカップって、 なんで取っ手が小さいんだろう?」 そう思ったことはないですか? エスプレッソコーヒー‥‥、 当然、カップ自体が小さいですから 取っ手はとても小さい。 どんなに指が細い女性でも 取っ手の穴に指を突っ込んで 持ち上げることが不可能なサイズで出来ている。 ところがエスプレッソ用のだけでなく、 普通サイズのコーヒーカップも取っ手が小さく、 指が入らないサイズであることが非常に多いのですネ。 取っ手が大きくデザインされているモノであっても、 それが肉厚に出来ていて、 指を入れようにも入らなくなっていたり、 あるいは取っ手そのものがプレート状になっていて、 そもそも指を通すための穴が あいてないものまであったりします。 どうしてなんだろう? どうしてそんな不親切がまかり通っているんだろう? そんなことを思ったことはないですか? そうした不親切きわまりないカップが 私達の目の前に現れる瞬間をイメージしてみましょう。
ここはイタリアンレストランです。 堅苦しいフランス料理の店に比べて、 カジュアルで面倒なテーブルマナーとかを考えずに 食事が出来る、楽しく幸せな空間です。 素敵なおしゃべりがあり、素敵な料理があって、 テーブルを囲んでいる人達との親密度も、 グンと深まる‥‥。 そんな場所で、もうかれこれ2時間近く、 お腹一杯食べている。 当然、ワインも飲んで もう頭がグルグルし始めているかもしれません。 お店に入ってきたときの緊張感、 そんなものはデザートと一緒に お腹の中に放り込んじゃって、 すっかりくつろいでしまっているんじゃないでしょうか? そのままの気分で椅子をたったらどうなると思います? 長丁場の会食の後、急に立ち上がって テーブルの横で無言で立ちすくむ老齢の紳士。 立ちくらみです。 陽気に大きな笑い声を立てながら 勢い良く立ち上がりざま、 椅子をバタンと倒してしまうご婦人。 店中の注目を期せずして集めて赤面です。 かと思うと、おしゃべりに夢中でそのまま席を立ち、 ハンドバッグを椅子においたままで、 お店の人に追いかけられたりと、 お店を出る直前の様々なトラブル。 終わりよければすべて良し‥‥のはずなのに、 ちょっと恥ずかしいですよネ。 そうならないように 取っ手の小さなコーヒーカップがやってくるのです。 カップに手を伸ばす。 しっかり取っ手を指で挟まないと 滑り落ちてしまいそうで、自然と指に力が入る。 緊張をする。 楽しい食事で宙をフワフワ浮いているような 気持ち良さから、一瞬にして現実に引き戻される。 持つのも大変。 自然としゃんと背筋が伸びる。 レストランのくつろぎに満ちた時間を一旦、リセットし、 これから帰る準備を始めるんですヨ、と言うきっかけを、 小さな取っ手のコーヒーカップが与えてくれる。 ‥‥のですネ。 気付け薬のような存在。 ここであなたが女性ならば、 小さなとってをつかんだ瞬間に小指が立つ。 とても自然に小指がキュンと跳ね上がるので、 誰もそれをいやらしいとは感じない。 そしてその時のあなたの手は、 カップを落としてはならないと言う緊張感から、 とても美しく、 きりっとしまって見えているに違いない。 イタリア帰りのボクの友人は、 その瞬間の女性の手首を見るのが、 この上もなくシアワセだ、と言います。 小指を立ててしなやかにカップを支える けなげな手首の線が、 この世の造形の中でもっとも美しい、 とさえ言い切るのです。 口に運ぶその姿も優雅に、 小さなカップにほんの少し唇をつけ、 すするように液体を流し込む。 その一連の動作をエレガンスに こなさせてくれるために、 イタリアンレストランの人達は わざわざ持ち上げづらいカップを あなたにプレゼントしてくれたのだ、 と思いましょう。 ‥‥素敵でしょう?
ところで困ったことがあって、 そのカップを持つ人がたとえ男性であっても なぜだか小指が立ってしまう。 どうしましょうか? イタリアのバル。 一日中、お客様が途切れない 喫茶店のようなバーのような、 はたまた立ち食いのレストランのようなそんな店で、 イタリアの人はこの小さなカップでコーヒーを飲む。 店の主役は男達です。 彼ら、バルのカウンターに居場所を作ると、 件の小さなカップに砂糖を入れます。 小さなスプーンで何倍も何倍も繰り返し 砂糖を入れるものだから、 陶器製の砂糖入れからカップの間に 砂糖で出来た透明の筋が出来るほど。 そしてこれまた小さなスプーンを カップの中に突っ込んで、 勢い良くグルグルかき混ぜます。 感覚的には砂糖の中に エスプレッソという液体を注ぎ込んで 混ぜている状態ですから、トロトロしています。 その甘いエスプレッソをキュッとやる。 小さなカップを手に、キュッ‥‥と。 この一連のプロセスを、 「小さな」と言う形容詞が付いている部分は、 すべて小指を立てて、 そして口に運んでキュッとやるその瞬間以外は、 すべて機関銃のようなおしゃべりをしながら行えば、 もうイタリア人そのものです。 のべつまくなくしゃべり続けるおじさん達が、 十何人も一列に並んで小指を立てて エスプレッソをすすりあげるバル。 うーん、絶対、彼らは戦争を起こさないだろうなぁ、 と思います。 小指を立てないとつかみ上げられないということは、 長時間、持ち続けるにふさわしくない、ということ。 つまみ上げたら即座に飲み切らなくてはならないし、 飲み終えたら迅速にテーブルに戻さなくてはならない。 そして、それはおしゃべりの妨げにならない、 ということに他ならない。 「コーヒーをたっぷり飲むのは お洒落じゃないでしょう?」 と言うメッセージでもあるわけです。 アメリカンスタイルのマグカップが たっぷりコーヒーを飲むのに適してはいるけれど、 マグカップ片手になされる会話って、 ビジネストークが一番似合うんです。 おしゃれのハナシ、人生のハナシ、恋愛のあれこれは、 やっぱり小さな取っ手のコーヒーカップを テーブルの上に置いてから‥‥、 ということじゃないかと思います。 だから日本の男性も、 エスプレッソカップを持つときは 正々堂々と小指を立てて。 グイッと煽って、あとはおしゃべり。 食卓は平和になるし、 楽しいフィナーレに向けて 最高の滑り出しを始めるはずです。
それはそうと、ボクは今晩、 イタリアンレストランで食事をする、という日は 入念に手の手入れをしてから行きます。 特に爪、そして特に中でも小指の爪が汚れていないか、 チェックしてから会食に向かいます。 ワタシは今晩、あなたと一緒に食事するため、 これほどまでに気合いをいれてやってきた、 十分な臨戦態勢にあったのだ、 と言うことを知らせるために、爪を磨きます。 あるいは、ワタシはこざっぱりと 身を整える時間を惜しまぬ、自己管理努力を怠らない、 信頼するに足りる男である、 と言うことを示すために手をいたわります。 そして小さなエスプレッソカップに立ち向かう。 ‥‥どうでしょう? そして今日の答え。 着ていると楽である、と言うことだけが 良い服の条件じゃない。 体を甘やかさない、という快適さもあるはずで、 心地よい緊張とは 自分と相手に対する最高のおもてなしであるのです。 それが取っ手の小さなコーヒーカップの 意味するところでもあるのでしょう。 さて、こんなふうに第二シーズンを始めました。 私達がレストランで遭遇する、 ちょっとした疑問。まだまだありそうです。 次回は「赤ワインは冷やしてもいいの?」 というお話です。 illustration = ポー・ワング |
2004-07-22-THU
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