おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。




お寿司って、手で食べなきゃいけないんでしょうか?

料理の世界では
「こういうふうに食べなきゃいけない」
という規則はない、とボクは思っています。
「こういうふうには食べない方がいいだろうなぁ」
というような食べ方、
つまりタブーはあるけれど、
ルールはないんじゃないでしょうか?

例えば寿司。
ナイフフォークで食べるのはタブーですネ。
だけど「手」で食べても「箸」で食べても
どちらも正しく寿司であって、
だから「お箸で食べると馬鹿にされるかもしれない」
と心配することはない、というコトです。

ただ、「握り寿司」という料理は
この世に生まれてからずっと、
手で食べて美味しく感じるように発達してきました。

シャリの温度。
限りなく人肌に近く、
しかし店の性格によって微妙に異なる温かさ。

寿司の重み。
見た目を裏切るギッシリつまった寿司を
作って出すところもあれば、
思いのほか軽やかな握り具合の店もあり、
それら寿司のもつ様々な特徴を
一番最初に味わうことが出来るのが「指先」です。
お箸でつまみあげたら分からぬであろう、
些細で小さなこだわりを、
指ならば、手ならば味わいきることが出来る、
というコトを考えれば、
やはりお寿司は指でつまんで食べたいところです。

寿司屋に行くのに
お風呂に入ったボクの家族。

昔、ボクの家族が寿司を食べに行くというと
それはそれは大仕事でした。
みんなまずお風呂に入る。
当時、ボク達の中で寿司屋さん、といえば
清潔でいつもお店を掃除している人たち、
という認識が非常に強かったからです。
実際に知り合いの寿司屋では、
毎日、営業を終えてから白木のカウンターを
タワシでごしごし磨いていましたし、
従業員の人たちも真っ白な服を着て、
髪の毛もサッパリ短く刈り揃えられていました。
だから彼らの清潔に負けない
清潔の状態で行かなくちゃ申し訳ないと
考えていたのです。

お風呂のあとはみんなで爪を切りました。
指でつまんで食べるということは
お店の人にとって一番目に付くお客様の部分、
それは指先に決まっていて、
だから爪が伸びていたり、爪の格好が悪かったり、
爪と指の間に垢が溜まっていたりでは格好悪い。
格好悪い以上に、心構えがなってないと思われる。
母なんか、マニキュアを全部きれいにとっていました。
「真っ赤な爪で寿司屋にいけますか!」
と言いながら除光液で爪をキレイにする母を見ながら、
今日は美味しい寿司が食べられるんだ、と
子供ゴコロにワクワクしたのを思い出します。

家を出発前に、家族5人が両手を出して、
指先がきれいかどうかの確認をしました。
贅沢な食事の出陣式‥‥のような感じでした。

レストランではナイフやフォークを
お客様のために磨きます。
日本料理店では、その店の格式とテーマにあった箸を
お客様のために用意します。
それがお客様に対する
大切なおもてなしの一部なのですが、
寿司屋では、お客様が食べる道具を持って行きます。
「手」という食べる道具が、
そのお店、あるいはそのお店の料理にあわせて
キレイに磨きあげられているか‥‥。
ココロをこめて素晴らしい寿司を握ってくれる
寿司職人さんへのおもてなし‥‥、と考えるんですネ。

寿司屋さんに行く、というコトは
なんと優しいことでありましょう?

その気持ちはたとえお箸で寿司を食べるときでも
同じくココロに置いておきたいと思います。
寿司屋における箸は指の延長したものである、
そう考えてみましょう。
お寿司を箸で持ち上げたら、その重みを確かめてみる。
そのお寿司はどのくらい温かいのか?
そのお寿司はどのくらいの柔らかさなのか?
指なら一瞬にして伝えてくれる
様々な情報を確かめるようにお箸を使いましょう。
それは多分、丁寧に寿司をつまみ上げ、口に運ぶ仕草を
あなたにプレゼントしてくれるんじゃないかと思います。

寿司屋に行入ったとたん
箸を割るのはやめましょうネ。

ところで寿司屋に行きます。
カウンター席に座ったとしましょう。
あなたの前には
何がどのような状態で置かれてるでしょうか?

まず必ず置いてあるのが、割り箸と醤油皿。
割り箸はキレイな袋に包まれて、
醤油皿は裏返しにされて置かれているのが普通でしょう。

おなかがすいています。
また緊張もしています。
何か作業がしたくて仕方なく、
割り箸を割ってスタンバイしたい。
あるいは醤油皿をひっくり返して、中に醤油を注ぎたい。
そんな衝動を一切がっさい我慢して、一息つきます。

割り箸を割ってしまったら
それを使わなくちゃいけなくなる。
甘いタレのついたアナゴなんかが出てきたら、
指じゃなくて箸を使わなくちゃいけないけど、
そうなってから箸を割っても遅くはないですよネ?

醤油皿に醤油を注いでしまったら、
それを使わなくちゃいけなくなっちゃう。
最近の気の利いた寿司屋さんでは、
すべての寿司に事前に醤油なんかの味をほどこして
提供してくれることがあります。
注いだ醤油をまったく使わず
食事が終わってしまうことだってある。
だとしたら、醤油皿の醤油は勿体無いし、かっこ悪い。

日本家屋に靴を脱いで上がるような気持ちで
寿司に向かいましょう。

外国の人に「sushi」という料理を説明するとき、
ボクはこういう言葉を良く使います。

「原始的に限りなく近い自然体が生み出す洗練」

そしてそれは日本文化そのものを表現することだ、
とも付け加えます。

畳を床一面に敷き詰める日本の家屋。
雑巾で毎日磨き上げられた
輝くばかりに美しい廊下をもった日本の家屋。
そこで人は靴から解放され、
清潔ですがすがしい生活を享受する。

じゅうたんで飾り立てられた贅沢があるわけじゃありません。
珍しい石で頑丈に敷き固められているわけでもありません。
世界的に見ても不思議な空間、それが日本家屋です。
西洋建築に比べれば、原始的に思えるかもしれない。
なんの工夫も、進化もない、
昔ながらの生活空間のように思われるかもしれない。
でも、あくまで自然をよそおいながら、
しかし自然には絶対に存在しない
「人の手によるおもてなしの気持ち」
が満ち溢れているこの日本家屋を
ココロから楽しみたければ、
靴を脱ぎ、素足になってみることが必要でしょう?

日本人は「素」ということを好み、大切に思います。
ですからsushiを食べるとき、
手に何も持たず「素」の状態で
立ち向かうことをお勧めします。

そう言うと、殆どの外国の方は箸を置き、
背筋を伸ばして寿司に手を伸ばします。
寿司は、私達日本人が世界に誇る文化です。
胸を張って間違いありません。


illustration = ポー・ワング

2004-08-12
-THU

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