おいしい店とのつきあい方。 |
「おしぼり」の続編です。 食事の途中でおしぼりが欲しくなったら どうすればいいんでしょう? 日本料理や中国料理などのレストランを除いては、 おしぼりを用意していないレストランが大多数である、 ということを、以前、説明しました。 そしてその意味も説明したのですが、 でも食事途中で、どうしても おしぼりのようなものが必要になることがあります。 ああ、今、手元におしぼりがあればいいのにな、 という場面に遭遇することがあるのです。 ‥‥、どうしましょう。 フランス料理のレストランで 「おしぼりを下さいませんか?」 とそう言ったとしましょう。 するとたいてい「申し訳ございません、 ご用意がございませんもので‥‥」と言われます。 あるいはせいぜいナプキンを お湯で湿らせたものを持ってきて、 「これでよろしゅうございましょうか?」 と恐る恐る聞かれるようなことになります。 その場しのぎのおしぼりのようなもので 事足りるのか? というと、 そうじゃないことの方が多分に多くて、 「この店、不親切な店だな‥‥」ということになる。 ‥‥残念です。 あなたは欲しいと思ったおしぼりを どんな目的で使うのでしょう? あるいは、あなたは何故、 今、おしぼりが欲しいと思ったのでしょう? その気持ちをお店の人に素直に伝えてみましょう。 理由を伝える努力を怠らなければ、 おしぼり以上のおもてなしを レストランのスタッフから受けることが出来るのです。 たとえばこんなシチュエーションで。
食いしん坊で早食いのボクの首から ぶら下がるネクタイ‥‥かわいそうな存在です。 料理の食べ汁とか食べカスがかなりの頻度で飛び散り、 ネクタイを汚してしまう。 まだまだ肥満体ではあるけれど、 お腹がベルトを隠すほどの体格で無くなった今では まだましですが、 かつては何かの拍子でこぼれ落ちた食品の欠片は 必ずネクタイの下端から10センチ位のところで溜まって、 シミを作るのが日常茶飯事であったりしました。 イタリアンレストランは、中でも鬼門でした。 イタリア料理の中でも特別好きなパスタ。 特別好きなパスタの中でも、 特に好きなトマトソースとガーリック、 オリーブオイルで調整されたスパゲティーとは、 これ即ち爆弾のようなモノでした。 ソースがはねないように静かに食べなきゃ‥‥、 と最初は慎重になるのだけれど、 もうそれが美味しくて美味しくて仕方なくなると 我を忘れてフォークにパスタをからみつけ、 バクバク口に運び続ける。 気づけばネクタイのどこかに必ずシミが付く。 色鮮やかなシルクのネクタイをおろしたその日に限って、 お気に入りのイタリアンレストランの今日のお勧めが 「手打ち麺のアマトリチアナ」 だったりすると悲劇的ですネ。 その日もそんな、シアワセとフシアワセが 背中合わせにボクを待っていました。 お馴染みのイタリアンレストラン。 おしゃべりと食べるのに夢中で、 ことにその日のトマトソースはこれまた絶品で、 知らずにボクはネクタイにハネを作ってしまった。 でもそんなことにも気づかずパスタをほおばり、 おしゃべりを続けるボクに、 そのお店のマダムが ガーゼと炭酸の瓶を持って近づいて来ました。 そしてボクの横にしゃがみ込み、 「ごめんなさいネ‥‥」 と言いながらそのネクタイをひっつかみ、 炭酸水をしみ込ませたガーゼで ハネの部分をタンタン叩いて、こう言いました。 「うちのパスタを喜んで食べてくれるのも嬉しいけれど、 これじゃあネクタイがかわいそうよネ。 炭酸でたたくとシミがとれやすいから、 一応の応急処置ネ。 明日の朝、一番でクリーニング屋さんに行って きれいにしてもらうのヨ。」 お母さんみたいな物言いで、 ごめんなさいね、と立ち上がる彼女に、 「ああ、家に帰って夜中にネクタイ、 チュウチュウしたらもう一回、 このパスタのことが思い出せたのに‥‥」 と、冗談めかして切り返しつつ、 そのネクタイのハネの場所を見つめれば、 もうあらかた汚れは取れて、 シミも最小限に目立たぬものになっていました。 ただのおしぼりでは出来ぬ芸当。 ソーダ水にはある特定の汚れを落とす効果があるんですネ。 例えばあなたが頼んだ骨付きラムのローストが とても素晴らしく、思わず骨を手でつかんで 歯でゴジゴジ関節周りの脂身をこそげ取った、 としましょう。 手が汚れます。 でも汚れるばかりではなく、臭いがついてしまう。 どうしましょう? 汚れを落とすだけであれば おしぼりでも良いのでしょうが、 臭いを落として指先を次の料理のためにリセットしたい。 特に香りを楽しむデザートに こころおきなく没頭するための準備をしたい。 そんなときにあるのが、フィンガーボールです。 温かいお湯にミントの葉っぱと 1スライスのレモンが浮かんだ小さなボールと、 アイロンのきいいた清潔なハンドクロス。 指先を生き返らせてくれる魔法の組み合わせです。 そしてこうしたマジックは、 当然、おしぼりを用意してあるお店でも ときおり静かにやってきます。
鮎の季節でした。 とある日本料理屋でお客様を接待していたとき、 鮎の塩焼きが出てきました。 みんな大喜びです。 新鮮な鮎は頭から腹にかけてが旨いんだよな、 と言いながら箸で丸ごと摘んで頭からガブリとやる。 ボク以外のみんなが一斉にガブリ。 ただボクは魚の目玉ってのが苦手なんですネ、 なんだか睨み付けられているようで、怖くなる。 もう十分に分別が付いた今となってはそれも我慢して、 美味しさのため‥‥とガブリといける 勇気も出来たのだけれど、 その当時、もうそれは怖くて怖くて仕方なかった。 だから頭の部分を指で押さえて、 首から折って胴体だけをガブッ。 (なんて残酷なんでしょう、‥‥文字にすると。) 美味しかった。 ただ左手の人差し指と親指は 脂でギトギトになってしまうし、 何より川魚独特の匂いが染みついてしまいました。 ボクはサービス担当の女性にこういいました。 「申し訳ないです、指をちょっと汚してしまいました」 お皿の上にボクが残した鮎の頭の残骸と、 脂で光るボクの指先を見て 「少々、お待ち下さいネ」と奥に下がりました。 しばらくして彼女は、おしぼりを 小さな桐の箱を二つ、手にして戻ってきました。 一つ目の箱を開けると、ほのかな湯気と一緒に おしぼりとスダチが半分。 おしぼりを開いてボクに手渡してくれた彼女は、 すかさずその上にスダチをぎゅっと絞って、 「どうぞ」と勧める。 適度に温かいおしぼりから立ち上がる 爽やかな柑橘の香り。 手のひらがジンワリ温められて、 生き返るがごとき気持ちよさ。 すかさずもう一つの箱を開け、 中からとりだし差し出された二枚目のおしぼりは ひんやり冷たく、桐の匂いのするものでした。 指先までがビシッと目覚めよみがえるがごとき心地よさ。 当然、先ほどまで爪をギラギラ光らせていた魚の脂は きれいにぬぐい取られ、 そればかりか手を丁寧に洗った後のように 匂いも消え去り、心地よいことこの上なかったのです。 まっさらな手で次の料理を待つことのシアワセ。 もっとも寿司屋に行ったとき、 今日はおいしい寿司を食べたんだ、 ということを少しでも長く思い出せるように、 食後、出されるおしぼりには 絶対に手を出さない友人をボクは知っています。 なじみの店で最後に出されるおしぼりを、 「ありがとう」と受け取りはするけれど、 決して開かずそのままカウンターに戻す彼を、 その店のご主人は楽しげに、 そしていとおしげに見つめていました。 ‥‥この人は今日もうちの寿司の匂いを お土産に帰ろうとしている。 今日も堪能してくれたんだろう、と、 そんなまなざしで見つめつつ、 「またのお越しを‥‥」とおじぎで見送る。 「使わぬおしぼり」という、 感謝と満足の表現もある、ということです。 香りを楽しむという贅沢もあり、 香りを消し去る贅沢もある。 人それぞれの楽しみ方が素敵なレストランにはあって、 そのそれぞれの楽しみ方を満足させて差し上げることを 一生懸命考える。 大切なのはプロに任せる、ということですネ。 医者を訪ねて 「風邪だと思うんですが薬を下さい‥‥」 と言ったら、 それを判断するのが医者の仕事だ、と叱られた、 という笑い話がありますネ。 それと一緒。 彼らがしたくて仕方ない いろんなサービスを引き出すためのヒントを あなたは出せばよいのです。 あとは任せる。 そういうことです。 illustration = ポー・ワング |
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