おいしい店とのつきあい方。 |
コートはいつ脱ぐモノなのでしょう? 店の外? それとも中? アメリカにいたときの話です。 ニューヨークを訪れて初めての冬、 その年はいつもにもまして厳しい寒さで、 ボクは奮発して素晴らしいコートを一つ誂えました。 カシミアです。 ダブルブレストで、 これであと20歳も年をとっていれば ウォールストリートの人に見えるであろう、コートです。 それにあわせてボルサリーノ風の帽子も買って、 かといって普段遣い出来るわけでもなく、 二つ揃ってクロゼットの中でしばらく眠った状態でした。 冬に冬眠するのは熊くらいで、 コートが冬眠しちゃ笑い話以外のなにものでもなく、 でも普段のボクはダウンジャケットの一つもあれば 十分に事足りていました。 そんな時、友人の実家でパーティーをするから 来ないか? と誘われました。
住所を聞けば、なかなかの高級住宅街。 初めての冬の初めてのホームパーティー。 出来ればジャケットを着て来てくれるとうれしいな、 と言われ、いささか緊張しながら、 でもワクワクしつつとっておきのコートと 帽子の出番となったワケです。 地図を頼りにたどり着いた家は、 マンハッタンにありがちなタウンハウスではありましたが、 緊張するに十分な重厚な造り。 分厚いドア。 建物のすべての窓から明かりがこぼれ、 中ではすでにお客様で賑わっている気配がしました。 ボクは玄関先に立ち、当たり前のようにコートを脱いで、 それからドアをノックしました。 コンコンコン! ドアを開けてくれたのは友人のお母さん、 であろう上品な女性。 「こんばんは」の声と一緒に、ボクを一瞥。 そして彼女の第一声は「おやまあ‥‥!」でした。 続いて大きな声で息子の名前、 つまりボクの友人の名前を呼び、 飛んできた彼にこう言いました。 「リチャード、彼にパーフェクトな パーティーデビューをさせてあげなさい、 ‥‥友達ならば。」 玄関先に押し戻されたボクに、彼にこう言います。 「コートは脱がずに入ってくること。 帽子は屋根のあるところでは必要ないから脱いでくること。 お前は全部が逆。マナー違反なんだぞ‥‥」と。 そして彼は家に入り、それから数分後、 何食わぬ顔してボクはドアをノックしました。 コートを着たまま、帽子を手に持ち、ドアをノックして 見事、パーティーに招き入れられたのでありました。
案内してくれた、彼のお母さんが コートを脱がせてくれます。 帽子を手渡し、挨拶が終わると ホスト役のお父さんがシャンパンのグラスを差し出します。 ‥‥ドラマの中の一シーンのような パーティーのレセプションでした。 そう言えばどんなドラマでも、 確かにコートは家の人に脱がせて貰っていました。 あるいはそうでなくても、家の人の許しを得てから コートを脱いでいた‥‥ような気がしました。 暫くしてくつろいでから、 ボクは最初の非礼をこう詫びました。 「日本では人の家の門をくぐる時、 コートを着ては失礼だから、という理由で 必ず脱いでからノックをするのです。 そのつもりで今日は失礼をしてしまいました」 するとお父さんがこう言いました。 「アメリカの家の玄関ホールは家の外でもなければ 中でもない、中途半端な場所なんだネ。 玄関先ではシンイチロウもただの訪問者。 私達がウェルカムして初めて 君はこの家のゲストになる。 ゲストとして認められた証が、 コートでもお脱ぎになりますか? という一言で、 だから最初からコートを脱いでこられると、 こいつ、否応なしにゲストになる気できている 図々しい奴だな、と思ってしまう。 だからコートは着たまま ドアをノックしなきゃいけないんだネ」‥‥と。 なるほど、こりゃ日本と逆の風習だ。 そう言えば日本の家の玄関には靴脱ぎ場があります。 靴を脱がせさえしなければ、追い返すことは簡単です。 でもアメリカの家には靴脱ぎ場もなければ、 靴を脱いでから家に上がるという習慣もありません。 「靴を脱ぐ」と「コートを脱ぐ」は 多分、同じ様な感覚なのでしょう。 日本の家で、呼び鈴が鳴り、 お客様だと思ってドアを開けたら、 外に立ってた人が、もう靴を脱いで それを両手に持って立っていた‥‥、 としたら、そりゃあ変でしょう。 変だと思う以上に、こいつ図々しいぞ、 絶対、家に入れてやるもんか、 と思うに違いありません。 そう思ったら、アメリカ風の習慣も 分かりやすい社交のルールだ、 と納得できたということです。
レストランも同じことでしょう。 レストランの店先というのはまだ半分、 パブリックスペース。 半分、表通りのような場所でしょう。 コートを脱いで、ゲストになれるつもりで入ってきて、 「すいません、ご予約をいただいておりませんが‥‥」 なんて言われたらどうしましょう? それからすごすごコートを着直して帰って行く、 なんてどんなに惨めなことでしょう。 だからコートは着たまま、ドアを開けるのが、 スマートです。 名前を告げて予約を確認し、それではこちらへ、 と案内される瞬間にコートを脱ぐ、 あるいは脱がせてもらうのが自然でしょう。 もっとも、ドアを開けた瞬間に、 「お待ちしておりました、サカキ様」 と呼んでいただける自信があれば コートを脱いで、自分の家に戻って行くような気分で 店のドアを開ければ良い、ということです。 ただそれにしても、ボクはその時の友人の お母さんのフォローの一言が忘れることが出来ません。 「そうよ、シンイチロウ、あんな素敵なコートを 自分で脱いでしまうなんて勿体ない。 思わず頬ずりしてしまいたくなるほど、 素敵な手触りでしてヨ。 リチャード、いいお友達が出来てシアワセね。」 コートは人に脱がせて貰うモノである、 という特別なシチュエーションもある、 ということでありましょう。 illustration = ポー・ワング |
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