おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

シャンパンを割って飲むものは
別にオレンジジュースだけじゃない。
柑橘系のもの。
あるいは木の実、ベリー系のもののジュースは
たいていなんでもシャンパンと一緒になると
とてもおいしいカクテルになります。
フレッシュジュースで割って飲むシャンパンは、
アルコール度数がそれほど高くなくなり、
酔いを楽しみたいけれど、
酔っ払いたくはないというときに
とても便利であったりするのです。

だからあまりアルコールが強くなかった昔のボクは、
シャンパンをジュースで割って飲む、
というスタイルにこだわっていたことがあります。
割るものによって千変万化の味わいを発揮する
シャンパンというものに心奪われていて、
いささか偏執狂気味なこだわりで、
どこに行ってもまずシャンパンを何で割ろうか?
と考えていた頃の、ちょっと恥ずかしい話です。



◆割るべきか、割らざるべきか。


友人がおいしいシャンパンをご馳走してくれる、
ということになりました。
何かのお祝いだったのか、
そのシャンパンを抜くことになったきっかけは
すっかり失念してしまったけれど、
ボクとあと一人、当時、
一緒に一つことをがんばっていた仲間が集まって、
それで一本のシャンパンを抜く。
程よいビンテージの素晴らしいシャトーが作った
良いシャンパンで、彼はそれを大切そうに
気心の知れたバーに持ち込み、
その店のご主人に託して抜いてもらいました。

細長いシャンパングラスにトクトク注がれる。

その一杯を目を細めてテイスティングする彼をみながら、
甘やかな香りと、シャワシャワ軽やかな泡の音を
楽しみながら、さて、これを何で割ろうか?
とボクは考えていました。
そうしたボクの頭の中を見透かしたのか、彼がこういう。
「まさか、これを何かで割ろうなんて
 考えてるんじゃないだよな?」
「だってそんなに酒が強い方じゃないもの」
「でも素晴らしいシャンパンなんだぞ」
「素晴らしければどんなものを一緒にしたって、
 その実力は壊れるはずがないだろう?」
とかって、どちらも一歩も譲らず、
ならばお前にはこのシャンパンを飲ませてやらない、
なんてことまで言って、言い争いました。
もう一人の友人はどうなることか、とおろおろするばかり。
せっかくのお祝いのはずだったのに。



◆口の中で、カクテルを。


そこにコホンと咳払い。

それはお店のご主人の咳払いで、
それに続いて気色ばむボクらをいさめるように、
3人それぞれの前に
シャンパンを注いだグラスをそっと置きました。
ボク以外の二人のシャンパングラスには8割方注がれて、
ボクのグラスには半分ほど。
ボクのグラスを見て、ちょっとした緊張が走ります。
シャンパンを持ってきた奴には失望の様がありありと。
ボクは何がボクのグラスの残り半分に注がれるのか、
ワクワクしながらご主人の次の行動に注目しました。
どうなるんだろう?
ご主人はボクの前にもう一つのシャンパングラスを置き、
そこにジュースをトクトク、注ぐ。
そして炭酸水が入った瓶をプシュッと抜くと、
ジュースの上に注いで「どうぞ‥‥」とボクに奨める。
「グレープフルーツジュースのチェイサーです」と。

チェイサー。
強いお酒を飲む際に、
口の中をリセットするためのお水やソフトドリンク。
ご主人はこう言いました。

──今日のシャンパン、多分、
  このグレープフルーツジュースで割ると
  素晴らしいカクテルになるでしょう。
  でもこのシャンパンは本当に素晴らしい状態だから、
  まずそのまま楽しんでご覧なさい。
  それで強いと思ったらチェイサーと一緒に口に含んで、
  口の中でカクテルにして楽しまれると良いでしょう。
と。

なるほど、と思いまずシャンパンを一口、口に含みました。
当時のボクにはいささか過激な
アルコールの刺激臭にむせながら、
それでも舌の上を転がすように味わうと、
これが素晴らしい。
ほのかな酸味の陰に、まるで栗の香りのような
まろやかなキャラメル臭がジンワリ、
喉の奥から湧き上がります。
ゴクリと飲むと、なんだか干草の中に
寝っころがっているような爽やかな緑の香りに包まれて、
しかも舌の上にいまだ泡が踊っているような感じにもなる。
シャンパンそのものの味を、
ジックリ心行くまで味わった人生最初の瞬間。
「旨いだろう?」としたり顔でボクを見つめる件の友人。
口当たりがやわらかいだけがおいしさでなく、
ギッシリ詰まった力強い旨さもあるんだ、
とそのとき思いました。


◆男らしい、シャンパンカクテルとは?


レッスンです。
カクテルに限らず料理というもの、
おいしいものとおいしいものを
単純に組み合わせればよりおいしくなる、
というものじゃない。
まず素材そのままを味わってから、
それで自分のワガママを言う。
ただ好き勝手に自分の好みを信じて、
素材のメッセージを聞き取ろうとしないのは、
ワガママでなくただの馬鹿者のすることなのだ、
と、そういうこと。

勉強しました。

ところでシャンパンを割る、というと
ジュース類ばかりを思い浮かべてしまい、
だからシャンパンって女性的な飲み物だ、と思われがち。
でも実は、オトコが飲むべき
男らしいシャンパンカクテルというのがあります。
「ブラックベルベット」。
これにまつわる思い出話を最後に、
今日のレッスンを終わりにしましょう。

大きな企画業務の受注営業を
主なる仕事にしていた時期があります。
30代半ばくらいのこと。
自分でもかなり自信があり、企画内容、プレゼン内容、
事業計画性などどれをとっても素晴らしく、
勝って当然のコンペに負けました。
その頃のボクは、運が良かったのか
それとも目に見えぬ何かの後押しがあったのか、
参加するコンペすべてで勝って受注する、
ようなことを1年以上も続けていました。
負ける気がしないほどの、
傲慢にも近い自信を持って仕事をしていたころの話です。
負けた理由は
「内容が素晴らしすぎて実現性に自信が持てない」
というワケのわからぬもので、
「あなたはワタシには良すぎる人だから」
という理由で女性にふられてしまった
哀れな男の子のような気分になりました。
そのコンペの内情をよく知る人にこう言って慰められた。
「最初から出来レースだったんだよ。
 企画内容では君のプランはぴか一で、
 それで結構、もめたんだヨ。気を落とすなよ」

仕事する人の人生に失敗と挫折はつき物、
とわかってはいても、本当に悔しくて
涙がこぼれて止まらなかったんです。
あまりの傷心を見るに見かねて、
飲みに行こう、とその人に誘われ
ボクは嫌々、とあるバーのカウンターに座ってました。

彼はバーテンダーに向かって一言、こういう。
「ブラックベルベットをもらいましょうか?」
ブラックベルベット。
初めて聞くお酒の名前で、果たしてやってきたグラスには
コーヒー色の泡立つ液体がなみなみと注がれていた。
飲む。
泡にまみれた柔らかな液体がトロトロ、
口の中に流れ込んでくる。
と、コクのある苦味が口いっぱいに広がって、
次第のその苦味が消えてゆくにつれ
爽やかな酸味と甘みが鼻から抜ける。

旨かった。

「シャンパンをスタウトビールで割ったものなんだ。
 オトコの飲むべき飲み物だとは思わないか?」
そういって彼も自分のグラスを勢い良く傾け、
ゴクリとやった。
「半分成功の部分がシャンパンで、
 でも半分失敗で苦いビール、というわけですね」
そう言うと、彼はこう答える。
「苦い失敗の後には、必ずシャンパンの
 味と香りがやってくる‥‥、と感じることも出来るよね」
人をやさしく甘やかしながら勇気付ける酒を知っている人生。
なんと素晴らしいものではありませんか。

(次回につづきます)


2005-08-18-THU

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