おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)
シャンパンのことを思えば思うほど、
次から次へと思い出が湧きあがってくる。
まるでグラスの底から絶えることなく泡が産まれては
浮かび上がり続けてくるように。
不思議です。
気取ったシチュエーションを彩る機会が多い、
ちょっと気取ったシャンパンだけに
失敗をつれてくることがそれだけ多い、
というコトなんでしょう。
例えばこんなこともありました。
まず、シャンパンを楽しむ。
その瞬間をイメージしてみてください。
どんな音が頭の中に響いてきますか?
乾杯のときに、グラス同士が
初恋の恋人同士がするキスのように、
触れるか触れぬかのやさしさでこすれ合う、
ひそやかだけれど華やかな音。
あるいは聞こえてくるはずがないのだけれど、
まるで今、部屋中を満たしているかのような泡の音。
これは耳が聞く音じゃなくて、目が聞いてしまう音ですね。
あるいはグラスに注がれるときの、
トクトクから始まってシャワシャワと
軽やかにはじける炭酸のささやき。
シャンパンは数多くの音を連想させる
飲み物ではありますが、中でも「ポンッ」。
コルクの栓が盛大な音を立てて飛び出すところを
イメージする人が最も多いのじゃないか、と思います。
◆ハリウッド的シャンパンは是か非か?
確かにハリウッド映画では
レーシングゲームの優勝台の上で
シャンパンの栓はいつも勢い良く飛び出し、
それと一緒に「ポンッ」と威勢のよい音を立てている。
ボクも長らく、シャンパンとはそういう風に栓を抜かれ、
そう言う具合に楽しむものだ、と思っていました。
当時、ボクは気のおけない仲間を呼んで、
自宅でホームパーティーの真似事をすることに凝っていた。
情報誌あたりで
「ホームパーティーがお洒落」なんて特集を見つけて、
鵜呑みにして無批判に率先するのが若さの証拠、
みたいに思っていた頃ですから。
ホームパーティー、といえば当然シャンパン。
若いくせに何本も何本もシャンパンを抜き、
結果、まるでハリウッドスターのように
堂にいった手つきでシャンパンの栓を抜くことが
出来るようになっていた。
‥‥、少なくとも、自分の頭の中では
とても上手に栓を抜くことができるようになった、
と思っていたわけです。
コルクを握ってグリグリ、ユックリ回すように力を加える。
すると瓶の中に蓄えられた炭酸の圧力で、
徐々に自然に押し出されるように
栓が動きはじめるようになる。
そこで親指を栓の頭のくびれに置いて、
ちょっと力を加えてやるとスポンッと抜ける。
抜けるというより、勢いあまって
弾かれるように飛び出してくる。
盛大な音と一緒に飛び出す栓にぶつからないよう、
逃げ惑うように奇声を上げるみんなを見ながら悦に入る、
というような感じで盛り上がっていたわけです。
◆シャンパンの泡を無駄遣いするなよ‥‥。
あるとき、そうやって
シャンパンの栓をポンッとしたとき、
その場の一人がこう言いました。
「シャンパンの栓はそっと抜かなきゃいけないんだぞ」
盛り上がるボク達に冷や水をさすようなその一言に、
ボクはこういう。
「確かに危ないもんな。
すまんすまん。人に向けて抜くのはもうやめにするから」
すると彼はこう続ける。
「そうじゃないんだ。危ないとかじゃなく、
勿体無いヨ。だってほら、
せっかくのシャンパンの泡が
ボク達じゃなく床が飲んでる」
確かに盛大に音を立てて飛び出すのは
コルク栓だけじゃなく、
タップリの泡がドクドク、吹き出てこぼれる。
ボクにとってホームパーティーの後片付けとは、
床をきれいに掃除する、ことだったりしたほどですから。
「泡のないシャンパンなんて、
ただの甘ったるい酒じゃないか‥‥」
そういわれて確かにそうだ、と反省をする。
反省すると同時に、
ボクらはこんなことをそのとき思いました。
シャンパンって一体どうやって作るんだろう?
あの泡はなんの泡で、どうやって出来ているんだろう?
そこで百科事典を引っ張り出して、
シャンパンの欄を開いて読んだところ、
こんなようなことが書いてありました。
◆泡ひとつぶに込められた時間。
まず、ブドウの収穫。
良いシャンパンであれば丹精こめて育てられた
素晴らしいぶどうの粒を、
一粒一粒、丁寧に手で摘み取って集荷する。
この段階ですでに気の遠くなるような手間がかかる。
一箇所に集められたそのぶどう達を、
一気に絞ってジュースにする。
でそのブドウジュースを、発酵させます。
昔ながらの樫樽であったり、あるいは近代的に
ステンレスのタンクなんかで発酵させて、
この段階でもう十分にお酒になる。
それを一旦、瓶詰めして
ビールのように王冠で密封するのですけど、
これから実は二回目の発酵のために数年間、
熟成させられる。
最低でも数年間。
しかもその間、お酒を詰めた瓶は
斜め下向きに傾けられて貯蔵され、
瓶の底を手で少しずつ回される。
何年もの間、定期的に少しずつ、
ちょっと回してはまた休ませて、
ころあいを見計らってまた回す。
これまた気の遠くなるような作業です。
なんでそんな面倒なことをするのか? というと、
そうすることで「澱」を瓶の口の部分に集めるのですネ。
この澱がちょっとでも残っていると濁ってしまう。
それにあの細やかな泡を作り出すことが出来なくなるので、
シャンパン作りにはどうしても必要な作業なのです。
優秀なブドウと大胆で経験に満ちた人の判断力、
それに細心の注意をもって優しく待つという忍耐力が
ワインを作り出すとすれば、
それに「人の手によるデリケートな刺激」が加わることで
シャンパンになる。
人を無条件に幸せにすることが出来るシャンパンは、
こうして出来る。
ただこれでシャンパン作りが完了するか?
というとそうでなく、澱を集めたその瓶を、
瓶の口の部分だけ科学的に瞬間に凍らせて、
王冠を抜き澱を取る。
それから糖分を加えてコルクでもって密封をして、
また休ませる。
この糖分とアルコール分が反応しあうことで
泡が徐々に黄金色の液体の中に蓄えられる。
そうして見事、ブドウの絞り汁はシャンパンになる、
という具合です。
ああ、気が遠くなる。
スポンと抜いて、暫く放っておくと
跡形もなく消えてなくなる泡一つに、
これだけの手間がかけられている、というこの事実。
なのにそれをスポンと抜いて、
一番手間がかけられた部分を無駄にして飲んでいた。
なんて恥ずかしいことだろう、と
一堂、シュンとしちゃった。
いい勉強。
そしてレッスン。
何かを食べるとき。
何か食べるモノを準備するとき。
それを作ってくれた人のことを思い浮かべながら
準備したり食べたりする、というコトが大切なんだ、
ということです。
そしてその手間をかけてくれた人たちが、
一番手間をかけた部分を大切にする。
それがおいしく料理を味わう、ということなんだ、
というコトです。
さてさてシャンパンを飲む段になる。
そこにもさらなる失敗が潜んでいたのでありました。
(次回につづきます)
2005-08-25-THU
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