おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

シャンパンの楽しみ方。
まずは色をめでて、舞い上がる泡が立てる
音にならない音の気配に耳をすませる。
それから香りを味わって、一口、コクリ。
という順番になるんでしょう。
中でもグラスを鼻先に近づけて香りを味わう。
せっかくのシャンパンをいきなり飲む、
‥‥のではありがたみはない。
さあ、これから贅沢を楽しんでやるぞ、という
儀式めいたこの一手順が優雅にスマートに出来ると、
なんだか自分がちょっと上等な大人になったような
気持ちになれるというもの。
是非、実践。

ではあるのですが、ボクは昔、この本来、
優雅であるべき大切な儀式でとんでもない失敗をした。
こんな具合に、であります、笑ってください。



◆場をやわらげるシャンパンの力!


春だというのに、まるで夏のように暑い日でした。
ある企業が主催する新しいプロジェクトの発表会で、
場所はホテルの庭。
つまりガーデンパーティーという奴です。
本来ならばさわやかな春のそよ風に吹かれながら、
お洒落に優雅に‥‥、という趣向であったのでしょうが、
照りつける太陽がそれを許さず、
集まったボク達は先を争って木陰に逃げ込む。
正装した男性の首には汗ジミが、
女性はしきりにハンカチで額を押さえ、
庭の景色を楽しむなんて余裕もない。
しかもなんの手違いか
一向にレセプションが始まる気配もなく、
みんながザワザワし始める。
正装の男女が100人ほど。
不安な顔あり、イライラ顔あり、
でも誰一人として平静な人はなく、
多分ここにカメラを持ち込めば
ポセイドン・アドベンチャー級の
パニック映画のオープニングシーンが撮れそうな、
そんな状態。

あせったのは主催者でしょう。
なんとかその場をやわらげようと、
大量のシャンパンが運ばれて
まずはグラスを片手にご歓談を、ということになる。

シャンパンには場をやわらかくする力がありますね。
みんな一様に笑顔になって、銀盆の上のシャンパンをとる。
ボクも当然、手を伸ばし
いくつも並ぶシャンパングラスの中でも、
なみなみ注がれひときわ泡がシャワシャワ暴れる
グラスを手にしました。

グラスの中の色、であるとか音、であるとか
これから口の中で始まるであろう素晴らしい出来事の
予感を味わう余裕もなく、そのまま口に近づけた。
喉が渇いて仕方なかった、のですから。
で、そのままゴクリ、とやればよかったのだけれど、
そうそう、香りだけでも確かめなくちゃ、と
グラスの口に鼻を押し付け、ススッと吸った。
途端に。

ベックショイ。
くしゃみです。
暑い屋外の熱せられてホカホカの空気を吸って
馴染んでいた鼻の粘膜が、
冷たいシャンパンの泡にさらされビックリしたんでしょう。
盛大なるくしゃみ。
そこにいる人のほとんどみなが、
一瞬にして振り返るほどの大きなくしゃみ。
視線の真ん中には腰を折り曲げながらくしゃみするボク。
それまで緊張感に包まれていた庭園は、
すっかり笑いの渦に包まれて一緒に行ってた同僚に

「さすが、気の効いたことをしますよネ」

と褒められはした。
別に主催者になりかわって
そんな道化をやりたかったわけじゃない。
なにしろ手にしたグラスにはほとんど
シャンパンは残っておらず、
おろしたばかりのボクの靴はシャンパン浸しになっていた。
恥ずかしかった。



◆乾杯は、キスと同じです。


レッスンであります。
鼻は口よりも敏感である。
シャンパンを注がれて、その香りを嗅ぐとき。
まず泡が落ち着いて、こなれた温度になるまで待ちましょう。
色を見ながら、あるいは耳を澄まして
シャンパングラスをいとおしそうに見つめてめでる。
それはベクショイを防ぐ時間でもある、と思いましょう。
注ぎたてのシャンパンを見たら、
口は災いの元ならぬ、鼻は災いの元。
さあみなさん、ご一緒に。
それを忘れると、寒い日にラーメンを勢い良くすすり上げて
ベクショイするおじさんのことを笑うことも出来ません。

ところでシャンパンにつきものの乾杯。
欧米から来る人たちが日本のおじさんたちの乾杯を見て
必ずこういう。

「なんで彼らは、ああも勢い良く
 カチャカチャグラスをぶつけ合うのか?」

確かにシャンパングラスをビアホールのジョッキのように
ぶつけ合う乾杯、多いです。
威勢が良くて大学生の卒業記念パーティーかなんかでなら
似合うかもしれないけれど、
大人がとっておきの機会にするべき乾杯ではない。
そう思います。
なぜか?

シャンパングラスをぶつけ合う、という行為は
限りなくキスに近い、とボクは思うのです。
お互いの愛の深さを表現すること。
あるいは抱きしめあって親密さを確かめる行為。
その代わり。
だから、例えばバーで恋人同士が
お互いのシャンパングラスを見つめあい、
そしてキスの代わりに
そっとグラス同士をカチンとぶつける。
これは正しい。
だから、例えばある仕事の成功を祝った席上で、
本当だったらそのテーブルを囲むすべての人と抱き合って
今のシアワセを確かめたい気持ちのかわりに
グラスをカチン。
これも素敵。
これらは件のおじさんたちの
「ガチンガチンガシャガシャ」とは全然違う。
しかもこうした「正しいカチン」ですら、場所を選ぶ。
ウェイターの目が背中に貼りついて離れないような
高級レストラン。
みなが正装して厳格なプロトコルに従って
執り行われるレセプション。
そこでキスをする人はいないでしょう?
そこでどんなにシアワセでも抱きしめあって、
背中をパンパン叩く、なんてことはしないでしょう?
恋人同士はテーブルクロスの下で手と手を握り締める。
ビジネスパートナーはガッシリと握手を交わす。
そして目と目を見つめて、言葉にならない会話を交わす。
だからそうしたフォーマルな場所では
「カチン」の代わりに、
グラスをかかげお互いの目を見ながらそっと持ち上げ、
乾杯とそっという。

もしところかまわず相手のことを荒々しく抱きしめて、
音を立てるようなキスをしてもかまわない、
と思うのであれば威勢よくグラスをガチガチやればいい。
ボクはそんなパーティーに
混ざりたいとはおもいませんけど。

ところで少年の頃のボクのかたわらを飾ってくれた
シャーリーテンプルからそれた横道。
そろそろもと来た場所に戻りましょうか。
少年サカキシンイチロウの失敗の歴史を再び、
振り返ってみようと思います


(次回につづきます)


2005-09-01-THU

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