おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

ボクには面白いおばあさんがいました。

老舗料亭旅館の女将さんをしていながら、
太平洋戦争中、中国大陸に夢とチャンスがあるとみるや
満州に単身のりこんで、
飲食店を何店か経営した、大胆な人。

日本が負けそうだ、という噂一つで
それらをみんな売りはらい、
命からがら帰ってきた、強運の人。

人一倍一生懸命働いて、二人の息子を育て上げ、
早くして隠居生活を楽しんだ、
シアワセを知る人であり、
引退してからはお花にお茶に、
趣味三昧に生きた人でもありました。



◆ばあ様の茶室にて。


そこそこの成功に恵まれたボクの親父は
このばあ様に茶室を一つ、プレゼントしました。
誰にも負けぬ親孝行でありましたから。
その茶室に孫を集めて、
茶の湯のあれこれを教えるのがおばあ様の楽しみの一つ。
厳しかった。
おばあ様の茶の湯レッスン。
ちょっとした袱紗さばきの間違いに、
手が飛んでくるのは当たり前だったりしましたから。
基本に厳しく、子供を子ども扱いしない、
意地悪なほど頑固な先生。
かと思うと孫達をそのお茶室に集めて、
花札の胴元を務めるようなガラッパチなところもある、
本当に魅力的なばあ様でした。

すべてに厳しいお茶の授業ではありましたけど、
子供達が許されていたことが一つだけ。
正座をしなくて良い、と言うコトでした。
子供達が授業に集中できるように、という心遣いで、
だから子供達は胡坐をかいたり横座りしたりと、
自由な格好で。
自分でお茶を点てるときだけ正座をすればよい、
のがルールでした。
そのあたりのところはとても合理的な
おばあ様だったわけです。

そのばあ様が、ときおり、お茶事を催すことがあり、
ボクはその下働きに借り出されることがままありました。
茶室周りを掃き清め、掛け軸を変え花をいけ、
場をしつらえて客人を待つ。
ここでときおり花札の集いが催されていようとは、
誰も気づかぬ凛とした気配に、
子供ゴコロに体がシャキッとしたものでした。

とっておきの菓子と簡単な料理が用意され、
粛々と進む茶の湯の儀式。
そこにいるみんながなんだかおすまし顔で格好良くて、
ボクもその場にいたくて仕方なくなり、
おばあさんに頼んでみました。
すると一言。

「シンイチロウも正座ができるようになったら
 呼んでやろう。」



◆さっそく正座のレッスンだ!


その日のお稽古から早速ボクは正座しました。
それまで正座なんて、何か悪いことして
叱られるときにするものであって、
つまり軽い拷問のようなものでした。

何しろ当時のボクは肥満児です。
足の下半分を、自分の体重のほとんどを使って
プレスするようなことになる。
たちまち足は血の気をなくしてビリビリしてくる。
額を指でグルグルすると気が紛れるヨ、
と隣のいとこに教えられ、
汗だくの額を押そうがつねろうが、
どうしてみても一向に痛さはとれない。
気が紛れるどころか
足の痛みが頭の方まで駆け上ってくる。

それでも我慢。

いつもは見るのが楽しくて仕方ない茶せんの動きも、
聞くとみるみる涼やかな気持ちになっていく
お湯を茶碗に注ぐ音も、
なーんにも感じることが出来ないほどに
一生懸命、ガマンガマン。

気づけば目の前にお茶が一服。

いただきます、と必死に手を伸ばして茶碗をとって、
コクリと飲みました。
けど、味がしない。
足が痛いのばかりが気になって、お茶の味なんて全然しない。

「シンイチロウ。
 今のお前にお茶の味はわからんじゃろう?」

ばあさん一言。
その通り。

「なによりそんな苦しそうな顔を見せられたら、
 ここにいるみんなの気が滅入る。」

ますますもっとも。

でもその日の失敗に懲りないボクは、
それからしばらく一生懸命、正座の練習をしたのです。
とはいえ正座、少々の練習で
我慢できるようになるわけも無く、
しかもその後も着々と体は大きく重たくなる。

でも正座。

おばあ様の茶の湯レッスンの間もずっと正座で通して、
いつも額に汗を浮かべて歯を食いしばってた。

そんな負けん気の強いボクのために、
おばあ様は小さな枕状の座布団を作ってくれました。

それをお尻の下に置いて、踵で支えるように座れば
痺れが切れずにすむからネ、と。

天国でした。

ちょっとした工夫で膝のところで血が止まることもなく、
とはいえちょっとした努力と我慢は必要ではあったけれど、
痛みが頭の中にまでにじんでくるようなことは無くなった。

そうしてボクは、やっとお茶事に出ることも許されて、
めでたしめでたし。

ばあ様はボクをいろんなお茶事に連れまわし、
「まあ、良く出来たお孫さんですこと」
と褒めてもらうのを楽しむようになったというワケ。

それからしばらくおばあ様のお茶友達はボクのことを
「おざぶの君」とかって呼んでました。

まあちょっとしたアイドルのようであったのですね。
こましゃくれたオトコの子の物語、
そのお茶会は、また新たなる失敗の舞台であったのですが、
そのことはまた別の機会にしておきましょうか。


◆お行儀よく、しかも楽しく!


さてレッスン。

お茶にしても食事にしても、
楽しむために人があつまる場所で行過ぎた我慢は、
自分のためにもその場にいる他の人のためにも禁物だ、
と言うコトですね。

お行儀良くすることは大切。
だからお茶の席では正座をする。
椅子に座ったら背筋を伸ばしてしゃんとする。
これは大切。

でも本当に大切なのは「お行儀良くし続ける」と言うコト。
もっと大切なのは「お行儀良くし続けて、
しかも楽しくあり続ける」と言うコト。

お座敷に座って、どうしても膝を崩したくない席、
というのが必ずあります。
目の前の取引先の人に、
今日の商談をまとめないと
会社に戻ることが出来ません、
ということを伝えたいとき。
こんな自分にお嬢さんをくださいませんか?
と、決死の覚悟で告げるとき。
あるいは正座な淑女のたしなみでございましょう‥‥、
と涼しげな顔して女気をぶつけたいとき。

テーブルにつく前にお店の人にそっと言います。

「今日は膝を崩すわけにはいかないんです。
 なにかいい方法はありませんか?」

もしも自分がその席で一番最初のお客様なら、
会食の場がテーブル席に変わっているかもしれません。

あるいはあなたの座布団だけ余分に
ちょっとフックラしてたり、
あるいはお尻を支える小さな箱椅子のようなものを
そっと差し出してくれたりする。

お店の人はそうしたちょっとした工夫のことを
よく知っている。
とても頼りになる存在。

それにしても快適であることがほとんどの
レストランの椅子の使命であるはずなのに、
世の中には座り心地がよくないことが
おもてなしである椅子がある。

さあ、それはどんな椅子なんでしょう?

次回はそんなへんてこりんな椅子の話をしてみましょう。


ちなみにボク、今でも正座は苦手です。

(つづきます)



2005-09-29-THU

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